2023.01.14column
最近ご縁を得た海外出身の素敵なお客様の中から、幾人かをご紹介
SNSでは既にご紹介しているのですが、ブログでなかなか書けずにいた印象深い海外出身の方との出会いをブログでも幾人かご紹介します。
81年前太平洋戦争開戦日だった12月8日、アメリカのバージニア州出身の「鮫肌」さんが来館。関東から折りたたみの自転車に乗って来館。たまたま通りがかりに看板を目にして、「何だろう?」と思って立ち寄って下さったのだとか。この自転車でどこへでも出かけているそうで、フットワークが軽い。Facebookで繋がる約束をしていたのでうっかりと連絡先を聞き洩らしたのを未だに後悔しています。
関東在住で、アニメーションやこのキャラクターも生み出しておられるのだとか。竹の文化や忍者にもとても興味を示しておられたので、お繋ぎしたい方の顔も浮かんでいただけに連絡が取れないのが残念。
一番驚いたのは、描く速さ。直前に見て貰って声をあげて楽しんで下さったおもちゃ映画のアニメーションに登場するキャラクターを、早速イラストの中に登場させてくださっています。
持参のペンで、あれよあれよという間に画面いっぱいに描いて下さいました。その上手なこと、ったら‼
12月25日クリスマスの日に来て下さったのは、アメリカのオハイオ州にあるコロンバス・カレッジ・オブ・アート&デザインのグレイグ・キャンベル准教授。引率してきた他の学生さんたちはそれぞれ別の場所へ見学に行かれたそうですが、先生は目的を持って来館いただき、そのことが嬉しかったです。キャンベル先生も描くのがとても速くて‼ ネット検索すると、サンフランシスコ州立大学で美術の学士号を取得後、カリフォルニア芸術大学でコミックの MFA (美術学修士)を取得されました。コミック アーティストとしてキャンベル先生の作品は、 HyperallergicやThe Margins などの出版物に多く掲載されてご活躍です。
メガネがトレードマークなのですが、「あれ?」と尋ねると「今日はコンタクトレンズ」なのだそう。とても綺麗で優しい目をされています。世界各地を歩いたバッジをたくさんつけておられました。約束通り、キャンベル先生のカメラで撮った記念写真を5日に送ってきてくださいました。メールには「次に日本に行くときは必ず再訪します」とあり、文章末尾に“ The experience at the Toy Film Museum was magical.”とあったのがさらに嬉しいです。
宝物が二つ増えました💗💖ミュージアムご来館の折に、実際にご覧くださいね。
4日には、台湾の国家電影及視聴文化中心で活躍する劉欣玫玫さんから、今年も「春聯(しゅんれん)」が届きました。毎年の干支をこうして送ってくださり、私どものことを気にかけて下さっていることがありがたいです。同じウサギ年。ウサギのように元気に飛び跳ねて、皆様共々飛躍の一年にしたいものです。
早速玄関に飾りました。左の西陣織「アマビエ」の額は、新型コロナウィルスが蔓延し始めた2020年に「抽選で3名様にプレゼント」に当選した縁起物ですが、ずっとこの位置に出ずっぱり。一時は落ち着いたかに思われましたが、最近の第8波ではたくさんの方が感染しておられるようですので、もう少し踏ん張って疫病退散のご加護を願いましょう。
そして、昨日13日に来館いただいた戴 周杰(タイ シュウキ)さん。中国湖南省出身で、有名な北京電影学院の美術系広告監督専攻に進まれ、在学中に制作された作品は海外でも上映される出来栄え。その後東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻を修了されましたが、思うところあって同大学国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻研究生としてキュレーションコースで学びを深めます。1年間の東京都写真美術館映像部門インターンを経て、2020年4月から浜松市鴨江アートセンター・木下惠介記念館に着任され、今日に至っておられます。来日8年目。
昨年、このチラシがミュージアムに届いて、不勉強だったゆえですが、「木下惠介記念館」のことを知りました。これは戴さんの機転で、木下惠介監督のこと、記念館のことを広く発信していきたいという思いで、各地に送られたのだそうです。チラシを手にして訪ねたいと思いながら、ミュージアムを構えてから気軽に出歩くことが難しくなっている間に、関西への用事の足を延ばして戴さんの方から挨拶かたがた木下惠介記念館の説明に来て下さったという次第です。
戴 周杰さんにミュージアムのことを繋いで下さったのは、昨年6月22日に訪ねて下さった中国湖北省出身の京都芸術大学大学院生の李韻秋さんでした(下掲写真左端)。
同じ勉強仲間の奥田知叡さん(中央)が演出される『胎内』が今日14日と15日、東京の三鷹SCOOLで上映されます。右端の北京出身の田詩陽さんが映像を担当されます。
その映像には、6月来館の折お見せしたおもちゃ映画の中から、田さんが選ばれた『上野動物園』と『支那事変 徐州への大進軍』も用いられています。こうしたご縁もあるので、近ければ是非にも観に行くところですが、とても残念。遠くから盛会を祈ります。もうすぐ開演時間。
人の縁は面白いですね。こうして昨日知り合ったばかりの戴さんですが、北京電影時代の映像研究で初めてご覧になった日本映画が木下惠介監督『楢山節考』(1958年)だったのだそうです。今の日本ではキュレーターとして活躍したくてもなかなかその職がないのですが、幸いにも浜松市鴨江アートセンター館長で、木下惠介記念館館長でもある村松 厚さんが「やってみたら」と仰ってくださったのだそうですが、木下惠介監督が導いて下さったのだと思わずにはおれません。着任後、中国出身の戴さんだからこそ気が付く木下惠介監督の素晴らしさを、一人でも多くの人に知ってもらえるよう、様々に企画して実行されています。
昨年は木下惠介監督生誕110周年でした。大正元年の1912年に浜松市に生まれ、平成10年の1998年、享年86歳で黄泉の国へ旅立たれるまで49本の映画をつくり、その後はテレビドラマの世界に進出して数々の作品を世に出しました。国内の若い人たちには勿論のこと、海外でももっと知られて、評価されたら良いのにと思います。戴さんといろいろおしゃべりをしていて、何か一緒にできないものかと相談しました。いつか、その報告ができることを願っています。