おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2017.03.07column

22年前の「目玉の松ちゃん」に関する記事

17142065_1227778833969835_1826605926_o - コピー昨日、この記事執筆者の武部好伸さんから、送信していただいた22年前の新聞記事です。3月4日に開催された「目玉の松ちゃん・尾上松之助を偲ぶ会」の後、尾上松之助遺品保存会代表松野吉孝さん宅で打ち上げをした折り、この記事右下に写る房吉さんの前に広げられているアルバムに武部さんの名刺が挟んであったとお聞きしたので、そのことをお伝えしたことによります。

驚いたのはお伝えして1時間半後に昔の記事スクラップを送信して下さったこと。1月28日にミュージアムで開催した後輩記者・森恭彦さんとの「日本『映画』事始め」を巡っての講演会のレポートも翌日昼には届き、素早い仕事ぶりに驚きました。多方面にわたってご活躍されていてお忙しい中でも、資料の整理整頓などをきちんとされておられることが垣間見られ、益々尊敬‼

記事で、房吉さんが「人嫌いで、無口」と父・松之助さんのことを語っておられますが、子どもの頃松之助さんから頭を撫でてもらった経験を話してくださった101歳の佐々木初栄さんの言葉と照らし合わせると、よほど佐々木さんのお父さんと気心が合って、可愛がって下さったのだなぁと思います。来週再会をお約束していますが、動いている「松ちゃん」の映像をご覧になって、どのような感想を述べられるのか楽しみです。

松之助さんのお父さんは、元は備前池田藩の下級武士でした。彼が役者になることに反対していたお父さんは形見に守り刀を渡し、「立派な役者になるまで、郷土を踏むな」と言い渡します。14歳の時のことです。それからの役者人生は決して順風満帆とはいかず、日清戦争のころは困窮を極め、みかねた山口県の慈善家に親子4人が救われたこともありました。この時の経験が「私生活は地味」で、晩年の数々の慈善活動につながったと思います。佐々木さんのご両親は共に大庄屋に生まれましたが、人生の荒波に揉まれ随分と苦労されたそうです。松之助さんは、同い年の佐々木さんのお父さんに対して、国民的大スターと撮影所で働く人の立場をこえて響き合うものを感じられたのではないでしょうか。それがまだ少女だった佐々木さんにも伝わったのではないかと思います。

この記事は「映画100年」にちなんだ連載の4回目として掲載されました。それから22年経った今年2月15日は、日本初の映画興行から120年目の節目にあたることから、武部さんは大阪と映画をテーマに資料を丁寧に調査して、このほど『大阪「映画」事始め』(彩流社)を刊行されました。この本を巡って注目されているのが「日本の映画発祥地」ということですが、今日7日、ABC(朝日放送)テレビ夕方の情報番組『キャスト』で、ズバリ『日本の映画発祥地はどこ?』という特集で、武部さんが登場するそうです(17時台の予定)。視聴可能な方は、ぜひご覧ください。

武部さんはFacebookで「121年前、米国のエジソン社からヴァイタスコープを輸入した心斎橋の舶来品輸入商、荒木和一さんの『テレビ・デビュー』です~!」と喜んでおられます。おそらくその番組には、「日本映画発祥の地」を掲げる京都側の人も登場することでしょう。いずれにしても、これまでは稲畑勝太郎さんがフランスから持ち帰ったリュミエール兄弟発明のシネマトグラフばかりで語られていましたが、同時期に活躍した荒木さんのことも知ってもらえたら良いなぁと思います。こうした先人たちの尽力があって日本の映画が始まり、稲畑さんからシネマトグラフを譲り受けた横田永之助さん(後の日活社長)と牧野省三さん(日本映画の父)、そして尾上松之助さんの3人によって、活動写真という新しいメディアが大衆の支持を得ていきます。

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