おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2017.03.25column

生前の尾上松之助さんをご存知の女性にインタビュー(2)

3月13日、日本最初の映画スター・尾上松之助さんに子どもの頃頭を撫でてもらったことがある京都市内在住の佐々木初栄さん(101歳)を再訪しました。先月13日同様、尾上松之助遺品保存会代表の松野吉孝さんにも同行していただきました。毎回感心するのは、装うことへの気配り。この日もネックレスをして、口紅もさして、私どもの到着を待っていてくださいました。

松野さんが、1926(大正15)年9月16日に営まれた松之助さんの葬儀行列記録映像などを用意してパソコンでご覧いただきながら説明を始めると、「千本座の隣に新聞屋があった」「(日活大将軍)撮影所で子どもで遊んでいたのは私一人だった。梅村蓉子、酒井米子、浦辺粂子ら女優さんらとは顔馴染みで、手を広げて挨拶してくれた」「何しとんのや?とおっちゃん(松之助さん)が声をかけてくれた」などと次々思い出しながら話して下さいました。

3月4日尾上松之助遺品保存会主催「尾上松之助を偲ぶ会」(於:成願寺)で、『史劇・楠公訣別』が上映されました。1921(大正10)年12月8日、後の昭和天皇が摂政官時代に、『太平記』をもとにした松之助さん演じる楠正成と尾上松葉さん演ずる息子正行の父子が別れる名場面をご覧になった時の記録映像で、国の重要文化財です。佐々木さんもお誘いしたのですが、足を悪くされていることもあり参加を見送られましたので、その時の報告をしましたら、「その映画は学校かどこかで2回観た。『桜井の訣別』も全部歌える」と言って、「青葉茂れる桜井の…♪」と口ずさまれたのにはびっくり。映像には、18分間立ったままで松之助さんらが演ずる芝居をご覧になる摂政宮様が映っていて、白い手袋で右目をぬぐわれたことは池田富保監督だけではなく他の人も目撃しておられたことから、「ご落涙」と大きく新聞報道されました。

松野さんが、この時のことを記念して発売されたレコードをお聞かせすると、耳を傾けながら「この声、この声」と佐々木さん。そして思い出したように「『普通のおじさんだけど、あの役者一度目を剥いたら千両になる』と友達に言ったら、父から『言わんときや』とたしなめられた。でも、父も嬉しそうだった。『今日は松之助さんとこの衛生清掃の日だけれど、他の人は一日だけ手伝いだが、二日行かなあかん』と言っていた」。松之助さんに頼りにされたことが父にとっても、それを傍で見聞きする娘にとっても、どれほどの誇りだったかがうかがわれます。

IMG_プール写真② (2)これは松野さんが北野中学から提供された『同窓会発足90周年記念 京二商史』掲載資料の一部。松之助さんが病気で亡くなられたのは、この立派なプールが完成した翌月の9月11日。同資料によれば、大正15年3月から万難を排してプール建設を促進することになり、同窓会や父兄に1口5円の募金を呼びかけたところ、松之助さんから多額の寄付の申し出があり資金集めがかなり助かったそうです。当時ご子息の房吉さんはこの学校の4年生。『目玉の松ちゃんー尾上松之助の世界』(岡山文庫、1995年)の房吉さん回想録によれば、この年4月20日頃から松之助さんは体調不良を訴えておられたようですから、子どもの行く末を案じて多額の寄付をされたのかもしれません。佐々木さんは、このプールのことも良く覚えておられ、「(松之助さんはプールを建設する資金を)全部出せる人やった」と言われましたが、私には例えそうだったとしても、地域の人々の母校に寄せる思いを反映できる余地を残そうと、敢えて全額出されなかったのではないかと思うのです。松之助さんのことを聞けば聞くほど、調べれば調べるほど、周囲の人のことを絶えず気にかける人となりだったと思います。

松之助さんとよく共演された新妻四郎さんの話も興味深かったです。昨年10月27日100歳でお亡くなりになった三笠宮崇仁親王殿下(昭和天皇の弟)がまだ子どもで澄宮(すみのみや)様と呼ばれていた頃のこと、同い年の佐々木さんの思い出では小学5年生ぐらいの時ですが、撮影所を見学に訪れ、大ファンだという新妻四郎さんにどうしても会いたいと希望されました。普通なら名誉なことだと思うのですが、横田永之助社長が「名誉のためにお会いしてほしい」としきりに説得されましたが、新妻さんは「ひげ面のこんな顔をお見せするわけにはいかない」と固辞され、宮さまは夕方まで駄々をこねても結局会うことができないまま、御供の人に付き添われて帰られたということです。 

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尾上松之助さん最晩年の『忠臣蔵』(1926年、池田富保監督)に出演の新妻四郎さん。きっと澄宮様には男らしく映ったのではないでしょうか。

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これは2013年に 松野さんが撮影された三重県伊勢市の二見輿玉(おきたま)神社のカエル像(参考写真)。「しばらく見に行っていないが、働いていた頃は慰安旅行などで何度も行って見た」と佐々木さんは懐かしそうにカエル像の話も聞かせてくださいました。「身内以外で松之助さんが伊勢にカエル像を奉納した話を聞くのは初めてだ」と驚く松野さん。残念ながら、松之助さんが奉納されたカエル像は戦時中に金属供出されたので、今は下掲のプレートが神社で保存されているのみ。

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千本撮影記念映画『荒木又右衛門』を復元したのが連れ合いでしたので、これも何かの縁かと。下はその映像の一場面。

荒木又右衛門

妙心寺近くでは、よく松之助さんの撮影が行われていたそうです。ある日のこと綺麗な着物を着たお侍が斬られて池に落ちるシーンを撮影しているのに遭遇。「あんな立派な衣装を着てるのに池に落ちるんやろか、と見ていたら、傍に薄い着物を着た人がいて、その人が斬られて池に落ちた。でも後で映画を見たら、池に落ちたのは綺麗な着物姿のお侍になっていたので、映画はそうやって作るんやなと子どもながら感心した」と思い出を披露。「御室撮影所近くのバスに乗って、女優さんらが四条へ買い物に行くのも良く見た」とも。撮影所周辺が日常的に撮影に用いられ、身近な存在であったことがうかがえるエピソードです。

今朝私は東京国立近代美術館フィルセンターのHPで所蔵絵葉書コレクションが公開されているのを見ました。先に紹介した『史劇・楠公訣別』など松之助さん主演作のスチル写真に彩色して頒布されていたもので、佐々木さんが「綺麗で立派な衣装やった」と話しておられた通り、とても綺麗です。今度お会いするときは、この絵葉書コレクションをプリントアウトして見せてあげようと思います。当時の映画はモノクロですが、松之助さんに頭を撫でてもらい「誉のような誇りを持っている」と話す佐々木さんにとっては、きっと今でもカラーのままの松之助さんの記憶があることでしょう。「人を好きにさせる魅力がある」と力を込めて話す佐々木さん、その子どもの頃の思い出の数々は生きる上での大きな支えになっていたのだろうと思います。

さらに会話は進み、森友学園問題にまで発展。「あんなことしてたらあかん‼まだ訳もわからん子どもらに教育勅語を諳んじさせて!」と言いながら、今度は教育勅語を諳んられたので、またびっくり。そして「子どもの頃、教育勅語が暗唱できなかったらひどく叱られたもの。私は指名されたらスラスラ諳んじてみせたけれど、5、6回やったら『なんや』と思うようになった。次に指名された時に『ちょっと忘れました』と言うたら、叱られて『廊下で立っていなさい』と言われた。「立っているだけで良いなら簡単や」と思って立っていた。こんなもの覚えさせたらあかん!」といささか語気荒く。その姿勢に聞いているこちらまで背筋が伸びました。益々佐々木さんが好きになりました。

まだまだたくさんお話くださいましたが、特に印象に残った話を書いてみました。次回はどのようなお話が聞けるか、今から楽しみです。

 

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