おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2022.02.22column

2月25日「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」で開かずの金庫から出てきたモノは?

宮崎県で銀行も作った豪商の旧邸にあった「開かずの金庫」を開けてみると、写真の「ライオン映写機」とスライドフィルム5作品が出てきました。この映写機について番組制作者から問合せが1月にあったご縁で、番組をご紹介します。

2月25日(金)21時、テレビ東京の「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」です。関西ではテレビ大阪で録画予約出来ました。

うちにもこうした機械はいくらかあるのですが、同じライオン製でも紙箱の表紙絵が異なっていて面白いです。下掲写真は当館所蔵のおもちゃ映写機が入っていた紙箱。上掲はフィルムを用いた家庭用幻燈機でフィルムを縦と横に設定するホルダーがあります。光源部は熱を防ぐ抜き打ち抜きのカバーになっていて、後に掲載する当館所蔵幻燈機と同時期のものと思われます。

側面に商品リストが載っているのも同じで、こうした箱にきちんと入れて金庫に仕舞われていたことから、大切に思っておられた様子が伝わります。ですが、どうも箱に入っていた幻燈機(アイキャッチ画像)と箱の絵は異なっていて、下掲当館の幻燈機がこの絵と一致するように思われます。如何でしょうか?ひょっとしたら、件の旧家には他にも幻燈機があったのかもしれませんね。

幻燈は学校や幼稚園など教育の場で使われたり、お寺などで道徳を説く場でも使われたようです。紙製の箱に入っていたことから、昭和10年代~20年代のものではないかと思います。

幻燈機の専門家ということで早稲田大学名誉教授草原真知子先生を担当者にお繋ぎしました。そのやりとりが大変に勉強になったので、番組に支障がない範囲で、備忘録としてメモします。

家庭用のスライド映写機は昭和10年頃に普及し始め、10年代に全国的に普及します。戦後も使われていたようで、この箱に書かれているフィルムは昭和20年代のものかもしれません。鷲谷花さんの研究によれば、戦後すぐの娯楽として、今で言うカラオケ用のロールフィルムなども随分作られ、公民館などで使われたほか、労働運動でも使われたということです。

金庫から見つかったこのスライド映写機は、つや消しエンボス加工で高級感を出し、しっかりしたブリキ板を使っているので、昭和20年代の可能性があり、それなりの値段はしたでしょう。ライオン映写機は非常に多くの台数を販売し、プラスチック製玩具が登場するまで製造していました。以前ライオン映写機を作っておられた方のご家族が来館され、子どもの頃の思い出を語って下さいました。そのことはこちらで書きました。

そのブログに登場する当館所蔵ライオンのフィルム幻燈機です。ロールフィルムが普及したのは戦後。

日露戦争の頃から、ガラス板に描かれた絵を映写して見る家庭用の小型幻燈機は結構安価に手に入るようになり、樋口一葉『たけくらべ』などにも登場します。やがて映画が登場すると「活動写真が見られる幻燈機」が注目されるようになります。当時の代表的な少年雑誌『少年世界』に「活動写真器」「活動写真機」の広告がしばしば出てきます。大正2(1913)年2月号には、広告が3件出ていて、形状からいずれもドイツ製のようです。1つは2円80銭から4円50銭までの4種類、もう一つは2円40銭から6円90銭までの4種類、さらにもう一つは2円50銭から18円までの6種類。大正2年大卒銀行の初任給が40円(朝日新聞社『値段史年表』参照)ですから、お高いですね。

投書欄からみると、『少年世界』購読者は地方だと医者や教員の家庭などで、他の広告もカメラや望遠鏡などと、明らかに上流家庭が顧客だとわかります。

それが大正9(1920)年10月号になると、同様の「改良活動写真機」が同様価格帯で売られている一方で、ごく簡単な作りらしい国産の「実用新案活動写真機」としてフィルム20種付きで50銭という格安の商品が登場しています。当時はまだブリキ板供給に問題があったのですが、昭和期に入って八幡製鉄(新日鉄の前身)が良質の国産ブリキ板を量産するようになって、ブリキ板のコストが格段に下がって金属製玩具が盛んに作られるようになりました(『日本金属玩具史』)。そのため、昭和に入ってから、電気が来ている一般家庭に普及するようになったのでしょう。

とはいっても、家庭用映写機に対する憧れや“貴重品”という感覚は長く残ったのだろうと思います。だからこそ金庫に入れて保存されたのではないでしょうか。

戦争中には玩具への金属使用の禁止や金属供出がありましたが、戦意高揚に役立つ玩具は対象から外されたらしく、金属生産者に示された初期の除外品リストに「軍刀」や「ラッパ」と並んで「活動写真機」が載っていました。もっとも、戦前の家庭用映写機は割合ペラペラのブリキ板で出来ているものが多いです。

これまで筆者は、レフシーや家庭トーキーの映写機が誕生から僅かな期間で姿を消したのは、金属資材難が深刻化して、昭和13(1938)年に金属製玩具が製造禁止になったからと説明していました。けれども初期には、活動写真機が戦意高揚に役立つからと除外されていたことを今頃知りました。紙製フィルムには、上海に上陸した日本軍の映像も含まれていましたし、おもちゃ映画にももちろんあります。アニメーションにも明らかにプロパガンダ目的に作って販売されたものがあります。家庭でこれらの映像を見ながら、子ども達は「日本は強い」と信じ込まされてきたのです。

光源に関して。戦前から戦後しばらくは「電気」は部屋の天井の中央から電灯がぶら下がっているのが普通で、天井の電灯ソケットから延長コードで電気をとって電球を蓋の部分に嵌め込んで使っていました。このような映写機の次には、映写機自体に電気コードがついているタイプが登場し、学校などで広く使われるようになりました。

しかし、そのような映写機は普通には個人で買うものではなかったので、今も昭和10~20年代の幻燈機・映写機が多く残っているのは、それらが家庭で随分長く大事に使われていたということではないでしょうか。

番組に登場するスライド映写機、つまり幻燈機で用いる短いロールフィルムは、各コマが独立の映写する紙芝居のようなものです。昭和10年頃から紙芝居が普及したのと関係があり、下掲写真のような当館所蔵「紙芝居映写機」など、中間的な形態もありました。

日露戦争の頃から普及したガラススライドを映す家庭用小型幻燈機の光源はランプでした。1960年代初頭でも山間部などでは、まだ電気が来ていなくてランプの生活のところがありました。西洋の幻燈機に感じるような「機械装置」という雰囲気はなかったのですが、やがてドイツ製(ニュルンベルクが主な生産地)の動画が映せる家庭用映写機が入ってくると、これもランプで映すタイプでスライドも映せるタイプが普通だったようですが、しっかりしたデザインで、如何にも上等に思えたことでしょう。ドイツの機械技術に対する崇拝の念があったはずですから、国産家庭用幻灯機もこれらに倣ったデザインが主流になったのではないでしょうか。昭和初期に普及した国産映写機は、それまでのものと一線を画したデザインになり、35㎜フィルムとガラススライドのどちらも映せるタイプと35㎜専用のものが製造されました。メーカーは大阪近辺が多かったようです。

スライドについては、戦前・戦中まで一般的だったガラススライドは、重い、割れる、一枚ずつ取り替えて上映するのが大変という問題がありました。戦中はガラスの不足から紙製のスライドが作られたりしました。戦時中はプロパガンダ映画以外にフィルムを使うことはできなかったはずですが、戦後になるとガラススライドのような欠点を持たず、一度セットすれば話の最後まで続けて見られるロールフィルムのスライドが普及したようです。

とここまで振り返りを書いていて、肝心な映像を見逃していたことに今また気が付きました。担当者の方から動画を送って貰っていたのですが、忙しくてダウンロード出来ずじまいに終わっていました。どうも開かずの金庫から出てきた幻燈機はオルゴールの音が鳴る仕組みらしいのです。幻燈機+オルゴール‼ 「幻燈機にテープをセットして回すと、オルゴールの仕組みを利用してテープが回るようになっているのだろう」と番組担当者は推察されています。これはもう、番組本番を見るしかありませんね。

草原先生によると、オルゴールで映像に音を付けようという試みは、明治期の大型の覗きカラクリで行われていたそうですが、家庭用では聞いたことがないと先生。国内外の幻燈機、大型幻灯機、家庭用映写機も大抵のメーカーのものを見てこられた先生も、今まで見たことも聞いたこともないとか。動画をご覧になった先生は「オルゴールの機構が前面についていて、そのクランクを回すと鳴るのですね。今までに見たことがない機構です。素晴らしい発見かもしれません」と興奮が伝わってくるコメント。

ますます、放送が楽しみになってきました。皆さんもご都合良ければぜひご覧下さい。

【2月27日追記】

25日21時、ワクワクしながら番組放送を待ちました。番組担当者からの連絡から、てっきり金庫の中に幻燈機が入っていたのだろうと思っていましたが、実際にはそうではなくて、旧黒木清五郎宅にあったお宝のひとつということでした。開かずの金庫は幻燈機紹介後に専門業者によって開ける場面が放送されていました。商いに関する貴重な資料類がお金等と一緒にびっしりと金庫内に収めてありました。以前私が主宰していた「木津川の地名を歩く会」で古文書の勉強会もしていたことがありますので、黒木家から見つかった古文書の分析が進むことを期待しています。

さて、件のスライド幻燈機がこれです。本体右側につまみがあり、それをクルクル回すとフィルムが送られて、投影できます。おそらくフィルムは垂れ流し。

その映像が『ピノキオ』で、日本語バージョンです。オルゴールの音楽付き投影。

番組を見損ねている連れ合いにこの写真を見せましたら、「本体左に付いている四角い箱状のものが、おそらくオルゴールで、自分でハンダ付けしたのだろう」と申します。連れ合い自身、茶筒を用いて幻燈機を手作りしていますから、そう難しいものではないと申しています。それよりも幻燈機にオルゴールをくっつけて楽しむ発想が良いですね。商品化はされず、ご家族での団らんに楽しむための工夫だったのでしょう。

 

 

 

記事検索

最新記事

年別一覧

カテゴリー