おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2016.02.13column

2月13日京都新聞朝刊で、石田民三についてのイベントが紹介されました

今日の京都新聞朝刊23面で、今月20日(土)に開催する北野上七軒の芸の継承に貢献した「石田民三監督生誕115年記念上映+研究発表会in京都」の案内記事が掲載されました。

スキャン_20160213 (5)写真3枚を使っての大きな扱いに感謝感激‼ 先日来、北野商店街、上七軒周辺を何度も自転車で走り、チラシ設置をお願いして回りました。北野天満宮傍の喫茶梅では、経営する年配の女性が、「子供のころ、石田民三さんによく遊んでもらった」と懐かしそうに話されたのが印象に残りました。今日は嬉しいことに、新聞記事を読んだ方から幾人もの申し込みがありましたが、その中には、「新聞に載っていた石田先生の写真を見て、子どものころを懐かしく思い出した」と電話で話してくださった方もおられました。お父さまが、石田民三と親しかったことから、「二人ともお酒が大好きで、よく家に来て飲んでいた」そうです。

そのお父様とは、京都大学経済学部出身の書家で、文化功労賞も受賞された綾村担園さん。石田民三は東北の造り酒屋の生まれで、そこの銘酒「百千鳥」のレッテルを担園さんが揮毫されたそうです。お話を聞きながら、担園さんはどのような人か興味を持ったので、ネットで検索。立命館大学衣笠キャンパスにある3か所の門標にブロンズ製の銘板「立命館大學」が掲げられていますが、これらは、日展審査員だった担園さんの筆でした。参照した立命館史資料センターHPによれば、末川博総長(当時)と担園さんは、第三高等学校でともに弁論部であったことから交流があり、末川さんから揮毫を依頼されたようで、3か所の門標だけではなく、他にもいくつかあるそうです。

先だっては、「子どものころ尾上松之助さんに頭を撫でてもらった」という100歳の高齢女性にお話を聞いてきました(いずれ、文章にまとめます)。今日は石田民三監督ゆかりの話も聴けたわけで、「さすが映画の町、京都だなぁ」と感心します。と同時に、かつての映画にまつわる話は、今のうちに聞いておかねばならぬという思いが日増しに強まってきます。20日午後5時からの上映会には、電話をくださった綾村担園さんのご長女・綾村捷子(しょうこ)さんも参加のお申し込みをいただきましたので、「せっかくの機会ですから、石田民三さんについての、子どものころの思い出を皆様に紹介してください」とお願いしました。

上映会当日は、新聞にある佐藤さんのほかに、長年花街、とりわけ上七軒について調査研究された中原逸郎さんの研究発表があるのですが、記事から漏れているのが、何とも残念です。中原さんには、2012年に発表された「花街の芸の再創造-京都上七軒における石田民三の寄与を中心に」という論文もあり、20日は「石田民三と京都北野上七軒花街」の演題で発表されます。こちらも、どうぞお楽しみに‼ ひょっとしたら、ここに挙げた二人の研究者は綾村担園さんについて、まだ聞き取りをされていないかもしれません。

[追記] 綾村捷子さんは、お電話で、京都の名士が歌舞伎役者から指導を受けて、顔見世と同じ演目を演じた「素人顔見世」のことについても話してくださいましたが、正直に言えば、その時はすっかりと飲み込めたわけではありませんでした。でも、先ほど自分がかつて石田民三の『花ちりぬ』(1938年)を見た後で書いたブログを読み返していて、「あっ、そうか!」と今頃納得。石田民三は、戦災孤児の義援金を集めるために、南座で年末に「素人顔見世」を立ち上げ、作・出演・演出もされていたそうです。京都南座の舞台に立ったのは、京都の政財界人や文化人ら。きっとその中に、お父様の担園さんもおられたのでしょう。戦時中の映画界に嫌気がさし、石田民三が映画界を引退した後の1952年から亡くなる1972年まで続けらたれたそうですが、京都新聞2006年11月20日付け記事によれば、「素人顔見世」は、石田民三が亡くなった後も1993年まで引き継がれ、顔見世の千秋楽翌日に演じられました。

 

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