おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2016.02.18column

「後院通」知名度アップ・プロジェクト

夕べ、頑張って手書きのミュージアムの地図を書き、まだ始めて間なしで、使い方もよくわかっていないツイッターでUPしたところ、思わぬ反響があり、びっくりポン! その後、新着情報を書き、FacebookにもUPしました。3回も迷子になったという知人から、「これなら辿り着ける」と言ってもらえたので、急場しのぎになると一安心。20、21日のイベントにご参加いただける方に迷子になられては一大事ですから。

そうして一夜明けた今朝、いつものように「後院通(こういんどおり)」を歩きながら、ふと思いつきました。市長さんに直訴しても掛けてもらえない「後院通」の道案内板、だったら、いっそのこと、それを逆手にとって「後院通」の名称を広く知ってもらう活動をしたらどうだろうと。名付けて「『後院通』知名度アップ・プロジェクト」。内容はすっかり忘れてしまいましたが、昔読んだ丸谷才一の『たった一人の反乱』のタイトルが、すぐに頭に浮かびました。

「後院通」は四条大宮から千本三条までの1キロに満たない斜めの通り。そこに見られる「おもろいもの」「歴史あるもの」などを掘り出し、地図に落とし込めば、楽しい「後院通散策マップ」ができるのではないかと思ったのです。四条大宮には、「餃子の王将」発祥の店があります。千本三条には、行列ができる「焼き肉のヒロ」があり、両者の中期地点にはこれもおいしいラーメンの「香来」があります。その向かい近くの路地には、町家を改装したアートホテル「kumagusuku」、他にも、業界で名が知れた「きんこう楽器」、千本三条近くには、遠方からも買いに来る「TOYs KUMAMOTO」もあります。

1912(明治45)年に市電開設が原因で斜めの後院通が誕生したことは、前掲新着情報で書きましたが、その市電は1978(昭和53)年に廃されました。今もその名残の玉ねぎ型電柱が、市電の車庫があった壬生操車場前に立っています。京都からお見えのお客様には、「壬生操車場」を目印の一つとしてお伝えすると、大概の方はお分かりです。

明治37年に開校した京都府葛野郡朱雀野尋常小学校は、この市電開設に伴い校舎を移転。変遷を経て、1947(昭和22)年に京都市立朱雀第一小学校に改称し、現在に至っています。周辺は平安京のメインロード「朱雀大路」の近くで、身分の高い貴族邸宅や公的機関があったようです。発掘調査では、校舎の下から「朱雀院」の名が記された木簡や下駄、貴族の屋敷跡である「州浜」が原形をとどめたまま見つかっています。そういえば、昨年11月28日に京都市埋蔵文化財研究所で「難波津の歌」が書かれた9世紀後半の木簡を見学しましたが、この小学校のすぐ傍から発掘されました。その時展示されていた地図を見て、またもやびっくりポン!

スキャン_20151128 (2)下手な手書きの地図よりよほどわかりやすい? おもちゃ映画ミュージアムの位置を赤く塗りました。ぜひ、ご参考になさってください。

DSC03937

ちなみに井戸の中から見つかった木簡は、長さ約35㎝で、有名な「難波津に咲くやこの花冬ごもり いまは春べと咲くやこの花」の歌がほぼ平仮名で書かれています。右に歌が、左に散文が一緒に書かれていて、こうした例はなく、平仮名の歴史を考えるうえで重要な史料だそうです。ここでいう「花」は梅をさすので、丁度今頃の歌ですね。

このように今の「おもろいもの」だけでなく、歴史上から見ても「おもろいもの」がある「後院通」をもっと丁寧に調べて、散策マップを作り、広く知って貰えたら良いなぁと夢見ています。もちろん、おもちゃ映画ミュージアムは、今の「おもろいもの」の中に組み込みます。

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