おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2023.05.18column

ヴォーリズ初期(1913年)の名建築「地塩寮」で四方田犬彦氏講演会

5月5日付け京都新聞で映画史家・四方田犬彦さん新著『志願兵の肖像-映画にみる皇民化運動期の朝鮮と戦後日本』(編集グループSURE)が刊行され、13日13:30~、京都市左京区の地塩寮でご本人による講演会があり、関連作品の映像も見せていただけると載っていたので、興味本位で申し込みしました。当日の世話人さんの挨拶では、申し込み多数でお断りもされる関心の高さだったようです。

高名な先生なのでもちろんお名前は知っていますが、実際にお話を伺うのは初めて。地塩寮という名称にも面白さを感じて自転車で出発。

到着してみれば、目的の建物は以前から気になっていた建造物でした。帰ってからネットで検索したら、設計したのは有名な建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズでした。写真には写り込んでいませんが、1999(平成11)年国の「登録有形文化財第26-0038号」に登録されたプレートが掲げられていました。1913(大正2)年、京都大学キリスト教青年会(YMCA)の活動を支えるために建設され、2003年の改修工事で当時と同じレンガ色に塗り直されて、今も活用され続けています。煉瓦造・木造の2階建てで、イギリスの伝統的な「ハーフティンバー様式」を模したデザインで、大学YMCA会館で現存する建物としては最も古いそうです。

着いたのが開始時間ギリギリだったので遠景の写真を撮れなかったのが残念。今年は建築されて110年になりますね。西隣に京都府立医科大学YMCA橋井療もあって、この建物もヴォーリズ設計だということです。ちゃんと見てこれなかったのが惜しいので、いつかまた百万遍周辺へ行くときに立ち寄ってみようと思います。

地続きで裏に大学に在籍する人たちが住む白い4階建ての地塩寮があって、洗濯物が干してあったり、自転車がいっぱい置いてあったりと学生さんたちの日常風景が垣間見えました。彼らは独自の選考を経て入寮されているそうで、他の大学の学生さんでもOK。寮生全員で自分たちの生活に関することを協議して決定していく自治寮なのだそうです。

どなたが描かれたのかわかりませんが、入口でこの日の催しのポスターが出迎えてくれました。ここでスリッパに履き替えて、靴をもって階段を上って2階の会場へ。

本当は物珍しいので、写真をもっと撮りたかったのですが、着いてすぐに開始になったのでそうもいかず。。。写真は2階への階段から1階を振り向いたところ。中央に少しだけ見えているのが卓球台。

1階から2階へ上がる階段の左手の部屋「図書室」。椅子の背もたれの形がユニーク。階段の右手には応接室と右奥に会議室があるそうです。

階段を上がって2階のホールで、目的の四方田犬彦さんの講演会。これまで百何十冊もの著書があるそうです。その最新刊が『志願兵の肖像』なのですね。配布されたA4用紙には、お話をされながら見せて頂く予定の作品リストが16作品。それぞれの作品の部分映像を見せて貰いながら、講演が進みます。

1938年『軍用列車』監督:徐 光霽ソグァンジェ 列車は前線に兵と物資を送る。「新しい祖国」として与えられた日本への忠誠がメロドラマの構図の中で描かれます。

1941年『志願兵』監督:安夕影 アンソギョン 主演は当時№1女優「半島の美女」文藝峰 ムンネボン 徴兵の前に募った半島の兵           

「1937年から皇民化政策の映画がつくられた。日本人の観念の中で作り出した朝鮮人が描かれている。志願兵になることで自らのアイデンティティーが回復し、“国家からの強制ではなく、自ら欲して日本人になる”主人公を描いていて、皇民化政策には、朝鮮人の内面を操作する巧みな論理がある」と四方田さん。

1843年『望楼の決死隊』監督:今井正 東宝 原節子出演 戦中に朝鮮半島で今井監督が撮った国策映画。

1959年『にあんちゃん』監督:今井昌平 日活 北林谷栄、小沢昭一出演

1962年『キューポラのある街』監督:浦山桐郎 日活 川口を舞台にした吉永小百合出演作

1965年『春婦伝』監督:鈴木清順 日活 日本人慰安婦3人と朝鮮人慰安婦1人

1967年『日本春歌考』監督:大島渚 創造社

1968年『絞死刑』監督:大島渚 創造社、ATG

1968年『帰って来たヨッパライ』監督:大島渚 創造社 

1969年『地獄変』監督:豊田四郎

1970年『地の群れ』監督:熊井啓 えるふプロ、ATG

1975年『日本暴力列島 京阪神殺しの軍団』監督:山下耕作 東映 大阪の鶴橋が舞台

1975年『異邦人の河』監督:李學仁イハギン 緑豆社

ここで夕方の17時近くになり時間切れ。

1979年『沖縄のハルモニ』監督:山谷哲夫 個人映画 16ミリ

1993年『月はどっちに出ている』監督:崔 洋一 シネカノン

1994年『全身小説家』監督:原一男 疾走プロ

四方田さんは「見る人が見たらわかる作りをしている。重要なことを言いたいがために、他のことを持ってきて出して表現している。“シークレットメッセージ”を読み取ることが大切だ」と幾度も話しておられました。「大島監督はいつも半島の目を必要としていた。助監督に崔洋一監督が付いたのもその流れ」と仰るのを聞いて、手元にあった国立映画アーカイブのリーフレット「没後10年映画監督大島渚」特集上映を見ましたら、上掲3作品とも4月11日~5月28日の間に上映されていました。

そのうちの『日本春歌考』の説明を引用すれば「大学受験のため上京した若者4人は、教師の死をきっかけに性欲と妄想を解き放つ。添田知道の著作『日本春歌考』に着想を得た大島は、春歌、朝鮮人慰安婦の歌などをもって、そこに刻みこまれた存在と歴史を召喚し、紀元節に象徴される国家の虚構性を解体する。シンガーソングライターの荒木一郎や自由劇場のメンバーを迎え、各シーンは登場人物に関する簡単なイメージをもとに現場で即興的に作り上げられた」とあります。なお、大島監督特集上映は28日までですが、展示は8月6日まで開催です。

2000年代から韓国映像資料院が中国から、日本が朝鮮半島を統治していた時代の映画を購入して、そのたびに四方田さんの助言が求められていたそうです。そこで思い出したのが、2017年に韓国映像資料院の金弘潤さんから貰ったDVD『授業料』。

日本統治下の1940年に作られた作品で、監督はチェ・インギュさんとパン・ハンギュンさんの共同。脚本は八木保太郎さん、韓国語の台詞はユ・チジンさん。DVD制作に至った経緯は、添えられていたブックレットに書いてありました。2013年11月に中国電影資料館から入手した「韓国映画目録」に「学費」という項目があり、それが『授業料』であると確認した韓国映像資料院は、この作品プリントが中国電影資料院に所蔵されていることを知ります。翌年、韓国映像資料院は、中国電影資料院からそのプリントの複製を輸入しました。このDVDは韓国映像資料院「発掘された過去5」となり、103番目のデジタル映像版として製作されたということです。尽力された一人が、韓国映像資料院専任研究員のチョン・ジョンファさんでした。

最近友人が神戸映画資料館で開催された「帝国日本映画と朝鮮」特集で、『2つの名前を持つ男 キャメラマン金学成・金井成一の足跡』(2005年、田中文人監督)を見たとメールで教えてくれました。韓国映像資料院の男性が中国にフィルムを借りようと2度手紙を書いたけどだめだったので、直接会いに行ったら、翌日ポンと出してくれたとインタビューで語っていたそうです。残念ながら私はその映画を観ていないのですが、これを読みながらチョンさんの顔を思い浮かべました。とても誠実な男性で、その誠意が相手に伝わった所以でしょう。

チョンさんのお顔も思い浮かべながら、韓国映像資料院から今年4月7日に届いた同院発行の冊子『ARCHIVE PRISM』#11について、次のブログで書きます。おそらくチョンさんのご尽力で錚々たる世界中のフィルムアーカイブ施設が並ぶその末席で当館の活動も紹介して頂きました。

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