おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2025.07.09column

映画館文化を後世に!澤田佳佑さんの研究発表「消えた映画館の発掘・近畿地方に残る映画館建築」開催しました!

7月4日京都新聞「まちかど」で、6日の研究発表「消えた映画館の発掘・近畿地方に残る映画館建築」のお知らせを書いていただきました。

本当は、時折お送りする一斉メールでご案内すれば良かったのですが、未だ突如消えてしまったメールアドレスの残念感から立ち直れず、まだ登録し直しが完了しておりません。新しくご縁を得た皆様の分は順次登録していますが、仕事がノロいのでもう少し時間がかかります。メールマガジンと受け止めてくださっている方から「最近来ないけど、どうしたのかなぁ」とお気遣いの言葉を頂戴することがあり、その思いやりが大変ありがたいです。7月末頃にはNHKBS国際報道で、当館も取材してくださった番組が放送される見込みですし、8月23日夕方から坂本頼光さんをお招きして活弁上映をする予定ですので、その頃までには何とか頑張ってご案内できるように整えたいです。どうぞ今しばらく温かい目でお待ちくださいませ。

さて、6日澤田佳佑さんにお越しいただいて、研究発表「消えた映画館の発掘・近畿地方に残る映画館建築」を開催しました。新聞のお知らせ記事で知った方も参加して下さり、暑い日の昼下がりでしたが、下の写真のように大勢の皆さまがお集まりくださり、彼の発表を一緒に拝聴しました。

若手研究者の発表は久しぶりのことです。若い人に発表や作品展、上映会などを提案する機会も増えてきましたが、来年は先日来館してくれたIAMASで学ぶ若者の作品展とワークショップができたら良いなぁと話しています。「自分もやってみようかな」と思う方は遠慮なくお声がけください。 “映画”をキーワードに、人と人が出会う情報交差点になりたいと思って始めた活動です。どんどん活用して貰えることが私どもの希望でもあります。

昨年12月22日にお会いしたその日に、澤田佳佑さんに研究発表をお願いし、「聞き手はどなたが良いかしら?」と相談したら、その前日にお越しくださった伊達深雪さんのお名前が挙がりました。さっそくお願いし、引き受けていただきました。澤田さんの発表の合間に、澤田さんの方から伊達さんに問いを投げかけるスタイルになり、想像していた形とは異なりましたが、お二人の映画館建築、映画館愛に溢れたトークイベントになりました。

第1節 なぜ映画館調査か ……刈谷市から始まった映画館調査

第2節 映画館調査の手法 ……「映画館名簿」と住宅地図をもとに、サイト「消えた映画館の記憶」を構築し、「消えた映画館の記憶地図」も作成して公開

第3節 近畿地方に残る映画館建築・痕跡の事例紹介

発表の冒頭に「若い世代はシネコンしか知らず、それすらも知らない世代がこれから出てくるだろう。このまま映画館文化が後世に伝わっていかないのではないかと思って調査を始めた。町の歴史と一緒に映画館の歴史を伝えていけたらと考えている」と話されました。そうして2017年から映画館データベースサイト「消えた映画館の記憶」の作成を開始。お住いの愛知県刈谷市からスタートし、愛知県、東海地方、そして全国に広がりました。

戦後毎年発行されている『映画館名簿』と住宅地図をもとに調査を進め、実際に現地に足を運び、地域の人にお話を聞いて確認します。老舗の和菓子屋さんとか古い喫茶店などをされている人々から貴重な話が聞ける場合があるそうです。知らない人と話をするのが苦手という人にはできませんね。「知らないことを知りたい」と意欲の方が勝ればこその調査継続。これまで澤田さんが手がけたような情報はなく、しかも全国を網羅。戦後1万件あったと言われている映画館を、個別にまとめなおしてネットで公開しておられます。住所表記の変遷がややこしい場合も多く、「いろんな知識を持って判断していく作業は気を遣う」と澤田さん。さもありなん。

「消えた映画館の記憶地図」は、「Googleマイマップ」上で澤田さんが作成されている全国の映画館地図です。47都道府県と東京23区を足した48地域版に、戦後の日本にあった全映画館をポイントとして登録。各年度版の『映画館名簿』の情報と各年度版の住宅地図の情報を掛け合わせて作成されます。営業中は緑色、閉館になったものはオレンジ色で識別できるように工夫されています。「こうした情報を公開することで、別の人の新たな研究につながるのではないかと期待している」と話しておられましたが、実際私どもの正会員である立命館大学の竹田章作先生は、直接澤田さんとお会いされたことはありませんが、澤田さんがネット上で公開されているこれらの情報を活用していると仰っていましたし、他にもそういう方がたくさんおられることでしょう。

さて、研究発表のメインは「現存する映画館建築」で、いくつか近畿地方の映画館情報をお話しくださいました。建物については、京都市南区の「南大正座」、和歌山県串本町の「大正座」、京都市中京区の「八千代館」、京丹後市の「大野劇場」、奈良市御所市の「ライオン館」、奈良県大和高田市の「高田シネマ」、大阪府羽曳野市の「古栄座」、大阪府和泉市の「和泉セントラル」、京都府船井郡京丹波町の「和知館」、大阪市東成区の「フカエ座」、兵庫県養父市の「八鹿第一映劇・第二映劇」、大阪市東淀川区の「淡路東宝」、兵庫県養父市の「ルート9劇場」の13の建物をスライドで紹介。

「南大正座」は、今のDX東寺。1913(大正2)年芝居小屋として竣工したのが最初。戦前には『映画館名簿』に載っていますが、1950(昭和25)年に東寺劇場に改称し、歌舞伎・剣劇・浪花節などの各種実演が行われ、やがてストリップ興行をするようになり、1971年に現在の名称にかわりました。ここは私が行く機会のない劇場ですが、少し前まであった京都みなみ会館へ行く途中、自転車で走っていて偶然建物を見つけて興味津々に外観を眺めたことがありました。ストリップ劇場は増改築ができないそうで、竣工から112年経ち、いつまで現在の建物が残ることでしょうか。

「八千代館」は繁華街の新京極にあって、今は衣料品店WEGOが営業中。昨年当館が移転の必要性を検討し始めた折、ハーバード大学の教授から「新京極に映画館をそのまま活用した衣料品店があるよ。そこが使えないか」と助言をもらったことがありましたが、澤田さんのスライドを見ると映写機やスクリーンが遺されたままの店内でした。研究発表会に参加してくださったロチェスター大学のジョアン・ベルナルディ教授が、帰りに新京極のWEGOに立ち寄って、早速写真を送ってくださいました。

最初は1910(明治43)年に開館し、1928(昭和3)年に現在の建物が建ちました。1970年以降には日活ロマンポルノから成人映画館になりましたが、2007(平成19)年に閉館。そして、今のWEGOが入ったということです。

スクリーンが残ったままの店内。

大勢の人がスクリーンに見入ったのでしょうね。やがて100年前の映画館がそのまま残って活用されているのは良いものです。当日参加された方の話では、映画『パッチギ』(2004年)で使用されて、その時貼られたポスター『カサブランカ』が今も残っているそうです。「新京極は京都の映画文化の中心であったので、その建物が残っていることは、その歴史を感じさせてくれる。もう一つ、西陣も映画文化の中心だったので、そこにおもちゃ映画ミュージアムが移転したのも意義深い」と澤田さんは、当館のことにも気を使って言及してくださいました。

京丹後市の「大野劇場」は、丹後ちりめん全盛期の1928(昭和3)年に開館。その3年前に鉄道が開通し、ちりめんと一緒に繁栄した街の様子が感じられる建物です。1965(昭和40)年に閉館しましたが、機屋として使用された後、現在は建築設計事務所が入っていて、八千代館同様、約100年前の建物が今も残っています。この建物については伊達さんの話が記憶に残りました。「今の大宮町の中心地となっている平野部は、戦時中に特攻隊が訓練する飛行場があったところ。その訓練のために全国から若者が集められて、映画館が貴重な娯楽だったのかなぁと思う」。彼らの結末を知っているがゆえに、映画館に纏わる悲しい話でした。

続いて映画館があったことを示す痕跡については、京都府福知山市の「河守会館」の椅子、京都府宮津市の「宮津東宝」の料金表、兵庫県朝来市の「生野協和会館」の法被、兵庫県南あわじ市の「都劇場前」バス停を紹介してくださいました。ここでは「都劇場前」バス停に触れます。

スライドは、兵庫県南あわじ市の「都劇場前」前バス停。「都劇場」は『映画館名簿』には記載されていますが、詳しいことが分からないそうです。今は空き地になっている場所に、1950(昭和25)年開館し、1961(昭和36)年頃に閉館。地元の人によれば、工場として使用されたのち、1968(昭和43)年頃焼失したそうですが、57年経っても、その名称が続いていることから、地元の人々にとっては大きな意味を持つ建物だったことがうかがわれます。

特筆事例として、石川県珠洲市の「飯田スメル館」、兵庫県豊岡市の「永楽館」、岡山県笠岡市の「光劇場」を紹介してくださいました。能登半島最北端にある「飯田スメル館」は、映画黄金期の1952(昭和27)年に開館し、1976(昭和51)年に閉館しました。その後倉庫になっていましたが、昨年1月の能登半島地震で半壊し、11月に公費解体されました。解体前には、市民有志によって映写機や椅子、スクリーンが運び出されて保存されたそうです。中日新聞の記事はこちら。かつての賑わいの象徴として今も大切に思う人々にとって、心のよりどころとなっているのでしょう。

こちらは兵庫県豊岡市北部の出石城城下町にある「永楽館」。1901(明治34)年に芝居小屋として開場し、昭和初期から戦後の映画黄金期には映画館としても用いられました。1964(昭和39)年に劇場としては終了し、パチンコ店として使用されました。その後、平成になって再興の機運が高まり、2008(平成20)年に市民主導で復元工事がなされ、一般公開されたという、地域住民の思いが籠った建物です。今公開中の『国宝』でもロケに使用されたということですので、ぜひ左の写真を覚えていただき、どの場面で「永楽館」が登場するか映画館で目を凝らしてご覧くださいね。

もう一つの特筆事例として、岡山県の笠岡諸島にある北木島にある「光劇場」を。昭和20年代末頃に開館し、1967(昭和42)年頃に閉館しました。2014(平成26)年のアートプロジェクトで“発見”されて、友の会が結成され見学施設となり、2019(令和元)年には日本遺産「せとうち備讃諸島」の構成文化財に指定されました。澤田さんは「建物自体に文化的価値があるか否かは別として、地元の人も知らなかった建物ですが、改めてその価値を知って保存され、地域の活性化につながっている。近現代の発展の象徴ではないか」と話し、「自分が取り組んでいることが、誰かの役に立つのではないかという風に考えている」と結んで、研究発表を終えました。

質疑応答の後、お二人の著作『映画館のカケラ【東海編】』と『ウィキペディアでまちおこし』の販売とサイン会をして、15時半ごろ無事に終えました。

転居前のイベントでは、恒例の記念写真を2階の窓から撮っておりましたが、引っ越しのバタバタで失念していました。そのことを思い出し、新拠点でも久々に撮りました。椅子の上に立って撮ればよかったと反省💦

大勢の方に澤田さんの研究発表をお聞きいただき、誠にありがとうございました。来年には今回紹介した映画館などを取り上げた『映画館のカケラ【近畿編】』を刊行の予定だそうです。以降もシリーズ化して発行を計画されていますので、どうぞお楽しみに。かつての映画館について何か情報をお持ちでしたらお聞かせください。彼の研究に反映することができましょう。ご協力をよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

記事検索

最新記事

年別一覧

カテゴリー