おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2025.09.27column

9月21日大阪・関西万博イタリア館見聞録

多分、大阪・関西万博には行かずに終わるだろうと思っていたのですが、9日夜に、イタリア館で開催されるイベントへの招待をいただき、せっかくの機会だからと21日は休館して出かけてきました。

前日の買い物時に「実は急に万博に行くことになった」と初対面ながらつい話したら、その方は1970年万博の折にコンパニオンをされていて、今回の万博開催前に見学する機会があったのだそうです。曰く「70年万博への思い入れが強すぎて、もういいかなと思うけど、アラブの赤い砂だけは見たかったな」と仰ったのが記憶に残り、早速家に帰ってジェミニ―ちゃんに尋ねました。

「それはサウジアラビア館ですね。人気があるので東ゲート前に開門前到着して、まずサウジアラビア館に行って当日整理券を入手し、予約手続きをする。その後、他のパビリオンを見るのが良い。各パビリオンの位置関係と、イタリア館での催しの時間を考慮して効率的な回り方を案内する」というのを信じて、その通り頑張って早起きして舞洲駅まで行き、東ゲート前の行列に並びました。手荷物検査を受けて会場に入り、地図を片手にサウジアラビア館に着いたら、割とすんなりと中に入れて、「ええっ」と拍子抜け。後で万博スタッフに尋ねたら、赤い砂が踏めたのはヨルダン館だったらしく、時すでに遅し。鳴子!

イベント会場についても「オーディトリアムシアターはイタリア館のすぐ近くにある」とジェミニ―ちゃんが言うので、信用していたら、そのシアターはイタリア館の中にありました。「なぁんだ」と思ったことを、22日のお客さんに話したら、「ジェミニ―ちゃんはよく知ったかぶりをする。プライドが高いので、何とか質問に答えようとする。それで、先日間違っていたよと指摘したら、謝ってくれました」と仰って、鵜呑みにしてはいけないことを教えられました。とはいえ、海外の方とのやり取りにジェミニ―ちゃんは重宝して、私にとって頼りになる相棒という位置は変わりませんが。

さて、そのオーディトリアムシアターでの14時半からの催しは、イタリアのエミリア=ロマーニャ地方の特別イベントで、Cineteca di Bolognaが企画し、エグゼクティブディレクターのElena Tammaccaroさんも出席されるとのこと。Cineteca di Bolognaは、イタリアのボローニャにある映画の修復と保存を専門とするところ。お繋ぎ頂いたのは、IOCオリンピック記録映画の修復などを手掛けられたエイドリアン・ウッドさん。2013年夏の「第8回映画の復元と保存に関するワークショップ」で講演して頂いてからのお付き合いが続いています。会場で、久々にエイドリアンさんご夫妻とお目にかかれたのも嬉しかったですし、第13回まで連れ合いが代表を務めたこのワークショップで協力してくださった柴田さんや三木さんとも再会できました。

最初にエミリア=ロマーニャ地方のいわば州知事にあたる方の挨拶。同州はEU地域イノベーションバレーの一つで、トップクラスのイノベーションエコシステムとして認識されているそうです。Cineteca di Bolognaもこの州にあり、様々な映像の復元に貢献されていて、そうした活動の一端をエレナさんが映像を用いて発表されました。

フランスのリュミエール社が派遣したカメラマンが撮影した映像も修復していて、この作品もフランソワ=コンスタン・ジレルか、そのあとのガブリエル・ヴェールが撮影したものかもしれません。同時通訳だったのですが聞き取れず。

講演後に挨拶をかわし、記念写真を撮りました。左から東宝アーカイブの三木さんと都島さん、私、IMAGICAの柴田さん、エレナさん、連れ合い。

エイドリアンさんも一緒に撮り直し。良い記念になりました。

丁度その場にマスコットの「イタリアちゃん」が通りかかり、お土産に買った「イタリアちゃん」と一緒に記念写真を撮りました。リュックを支えてくださったのは日本語が上手なローリアさん。

この後、ローリアさんの案内で、イタリア館の展示を見学しました。予約がなければ6時間待ちの人気館なのだと後で聞き、実に幸運でした💖

イタリア館の何が凄いって、本物が遥々イタリアから運ばれて展示され、目の前で見ることができたことに尽きます。古代ローマ時代のものから、最新のインスタレーションまで目が釘付けになりました。ローリアさんの後ろに赤く見えているのは人の心臓をかたどった造形で、その動きを表しています。彫刻家ジャゴの「循環器系」。

イタリアの都市のリアルタイムの空気と連動(水色に見えている部分)しながら、視覚的にイタリア館内でそれを確認できる最新の造形があったかと思うと、紀元2世紀の大きな大理石彫刻もあって、その幅広い展示にクラクラします。

日本でいえば弥生時代につくられた「ファルネーゼのアトラス」。日本初展示。高さ約2m、約2トンもの重さがある大理石像を空輸したそうです。ギリシャ神話に登場する巨人アトラスが、48の古代星座を刻んだ天球を背負って、膝を折る姿を描いています。ナポリ国立考古学博物館所蔵。

こちらは、ミケランジェロ・ブオナローティの「復活したキリスト」。1514年ローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会のためにメテッロ・ヴァリがミケランジェロに依頼したキリスト像の一作目だそうです。

作業中にキリストの顔に黒い血管が浮き出てきたため、彼はこの大理石を放棄して、後にヴァリに贈ったそうです。1607年この作品が美術品市場に出回ったことを証明する数通の書簡が残されるまで、この作品に関する情報は失われていたと説明書に。

「伊東マンショの肖像」。室町時代の天正10(1582)年に九州のキリシタン大名の名代として長崎を出発した天正遣欧少年使節団の主席正使として欧州に行きました。1585年ヴェネツィア共和国を訪問した折りに、ヴェネツィアの巨匠ドメンコ・ティントレットが描いた肖像画です。スペインの衣装を着ていますが、どこかヨーロッパ的な風貌。当時の画家は日本人の顔を描くのが難しく、このようになったのでしょう。大切なのはこの絵の裏側に、この人物が伊東氏であると説明書きがしてあることで、裏面も見ることができる展示になっていました。プライベートコレクションで普段はイタリアにありますが、今回は特別公開されました。

1920(大正9)年5月31日、イタリアのローマを飛び立った陸軍のアルトゥーロ・フェラリン中尉組とマシェロ中尉組が乗った木製飛行機2機が東京代々木の練兵場に着陸しました。3か月間の飛行距離は約1万8千㎞。ライト兄弟が初めて空を飛んでから17年後のことでした。欧州とアジアを結んだ飛行に、日本中が熱狂し、歓待したそうです。展示されているのは、複葉機「アンサルドSVA9型機」(全長8m)を、イタリアのジョルジュ・ボナートさんが、2015年頃から手作りで組み立てたもの。読売新聞の記事によれば、空気抵抗を低減するため、流線型を描く部材が多く、湯気で木を温めながらカーブを付けて形を作ったそう。これを読みながら、当館所蔵のセレクタリーミュートスコープのリールも、同じように湯気で温めながら丸く形を整えたのだろうと思いました。

ボナートさんは、細部まで見てもらえるよう、敢えて骨組みのままの状態で展示されたそうです。後で写真を載せますが、イタリア館屋上庭園に置かれていた人形の両目には富士山が描かれていました。「まともな地図がない時代に、空の向こうには日本があると信じて命がけの大冒険に挑んだ。万博では、夢を信じることを伝えたい」とボナートさんの思いが記事に書かれていましたが、富士山が目に入った時の喜びは如何ばかりだったかとその思いに想像を巡らす展示でした。マシェロ組はトラブルで途中で乗り換えましたが、フェラリン中尉組は一貫して飛び続けました。命を懸けて成し遂げた偉業ですね。宮崎駿監督『紅の豚』はその「アンサルドSVA9型機」を参考にされたようです。

門外不出と言われているバチカン美術館所蔵のカラヴァッジョが描いた「キリストの埋葬」(1600-1604年)。300×203㎝の油彩カンヴァス。向かって右手にクロバの妻マリアが両手を広げて天を仰ぎ、その隣にマグダラのマリアがうつむいて涙を拭き、左端の聖母マリアはキリストに呼応するように老いた姿に描かれ祈る姿に。キリストの姿を人として描き、信者の視点は手前から見上げるような構図です。

上手く写真を撮れなかったのですが、ピエトロ・ヴァンヌッチ(通称:ベルジーノ。1446-1523年)が描いた「正義の旗」、ウンブリア国立美術館所蔵で、国外初公開だそうです。ラファエロの師で、ルネサンス期を代表する画家。聖母子と天使たち、祈りをささげる聖フランチェスコと聖ベルナルディーノ、正義の兄弟団のメンバーが描かれています。この目の高さで鑑賞できるのは初めてのことで、それを聞くだけで、貴重な体験ができたとありがたく思います。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「アトランティック・コード」。彼が残した文書やスケッチのコレクションの中から選んで展示してあり、これらのコレクションは母国でもなかなか見られないものだそうです。それだけに警備の人が張り付き、写真は1人1枚に制限。この赤い線の手前には、フェラーリが展示してありました。

午前中は、フェラーリをバックに州知事さんがインタビューを受けておられました。超高級スポーツカー、格好いいですねぇ。

この後は、屋上のイタリア庭園に移動して、そこから万博会場を眺望しました。。

これは逆に、大屋根リングから見たイタリア館の眺め。

環境問題を意識した建築で、マリオ・クチネッラさんの設計建築だそうです。

前述のイタリア航空界の偉大な先駆者の一人、アルトゥーロ・フェラリンを称える像。日本とイタリアの友好を象徴しています。

回収された金属板と鉄にいろんな彩色をして造形された作品「ノーネーム」が庭園にいくつもありました。アーティストのフランチェスカ・レオーネは、セルジオ・レオーネ監督のお嬢さんだそうです。人間、時間、そして素材の関係性を問いかけています。

一階で皆さんとお別れをして、少し腹ごしらえをしてから、せめて日本館を見て帰ろうと思い、予約なしのため、大屋根リング下の長蛇の列に覚悟を決めて並びました。

18時頃から並んで、やがて照明が点灯し、

2時間待って20時ごろに漸く日本館入口に着きそうという頃には、疲労困憊。他の方のように折り畳みの携帯椅子があれば良かったのでしょうが、事前準備をせずに出かけたためずっと立ちっぱなし。いやはやくたびれました。「イタリア館で6時間待ち」なんて聞いて、「へぇ~」と思いましたが、人生は辛抱、根気、忍耐ですね。疲れもあり、30分ほどで館外へ。日中は日差しも強く暑かったのですが、夕方からは涼しい風も吹いて秋の気配を感じました。吾亦紅や芒、萩の花も咲いて季節の移ろいを感じながら、舞洲駅へ向かう人の列に連なり歩き、満員電車に乗って帰宅したら23時でした。

行くことはない、と思っていた大阪・関西万博でしたが、イタリア館で開催されたCineteca di Bologna企画の催しにご招待いただいたおかげで、エレナさん、ローリアさんと知り合い、エイドリアンさんら懐かしい人々とも再会できました。そして超素晴らしいイタリア館で見せて貰った展示のことも、これから先忘れないことでしょう。そのための備忘録として長々と書きました。

大阪・関西万博閉幕まであと少し。

 

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