おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2018.03.12column

ドキュメンタリー映画『廻り神楽』

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春到来を思わせる暖かい日差しに誘われて、大阪の十三にある第七藝術劇場へ行き、気になっていた映画『廻り神楽』を観てきました。平日のことだから仕方ないのかもしれませんが、もっと多くの人にご覧いただきたい作品です。岩手県宮古市の黒森神社(火伏せの神)を本拠地とする黒森神楽のことは、2014年3月21日大阪府茨木市の茨木神社で、岩手県下閉伊郡普代村の鵜鳥神社(漁業の神)を本拠地とする鵜鳥神楽が奉納されたのを見に行った折に知りました。鵜鳥神楽は大変興味深く印象に残ったので、詳しいレポート(1)(2)(3)を書いています。お時間がある時にお読みいただければ嬉しいです。

黒森神楽も鵜鳥神楽も共に「国重要無形民俗文化財」。それぞれの神社のご神霊を移した「権現様」と呼ばれる獅子頭を携えて、三陸沿岸各地を巡行しながら、点在する「神楽宿」を中心に神楽を奉納します。豊漁、航海安全、人々の健康と幸福、亡き人の鎮魂などの祈りを込めて、太鼓、横笛、手平鉦の音、歌に合わせて舞います。

改めて2014年に書いたものを読み返しますと、鵜鳥神楽と黒森神楽は、それぞれの神社を起点に、南廻りの年と北廻りの年の巡行を交互に行います。今日観た映画は、2017年1月から3月にかけての黒森神楽巡行の様子を記録したもの。神楽宿では、2年ぶりに神様が自分の家にやって来て下さったことを喜び、村人も神楽を楽しみに集います。「清祓」「八岐大蛇退治」「恵比寿舞」の演目をご覧になっている人々の表情が、とても良いです。

黒森神社には、南北朝時代の文明17(1485年)の銘がある獅子頭、安政の大地震が起こった頃の獅子頭(1856年)も残っていて、黒森神楽が古くからの伝統があり、地震の後も鎮魂に巡行したであろうことがうかがえます。文化庁の国指定文化財等のデータベースによれば、黒森神社の「権現様」による地域巡行の記録は17世紀末のものが残っているそうです。その伝統は途切れることなく、7年前の3月11日に起こった地震の後も続けられています。神楽衆だけでなく、それを迎える人びとも3.11では大変な被害を受けられ、死を覚悟した人や、身内を亡くした方もおられます。神楽衆の一人は言います「前の通り、いつも通り」。生きていくうちには、いろんなことがあり、「前の通り、いつも通り」は、言うは易くても、なかなかできないことですが、こうした共通意識が伝統を継承する力になっていると思いました。

映像の中で人々が話す一言一言が素晴らしく印象に残ったので、書き残そうと暗闇でメモをしたのですが、生憎それが手元にあった新聞だったので、何を書いたのか自分でも判読できず残念無念。パンフレットがあれば絶対に買ったのですが…。はっきり読めるのは「権現様がくれば、春はもうすぐ」。東北の言葉の語りと昔話朗読も、とっても味わいがあって胸に染み入りました。

映画を観に行って、三陸産の「いわてわかめ」を貰いました。こんなことは初めて。三陸地方の物産を購入することが地域振興の役に立てるのですから、今後も意識的に活用しようと思います。皆さまも、是非に。

良い映画を観た余韻に浸りながら1階に降りたところで、不意に声を掛けられました。「おもちゃ映画ミュージアムさんですよね?」と。「えぇーっ。こんな広い世界に、私のような者を知っている人がいる」とびっくりポン! 聞けば、9日に開催したばかりの「音と妖怪」に参加いただいた方でした。顔を覚えていてくださったのでした。話のついでに「当日おいでいただいた方の中に傘をお忘れの方がおられて、どなたか確認作業をしようと思っているところです」と申しましたら、「それ、私のです」と返って来て、またもやびっくりポンポン‼ 曰く「先日のイベントに参加して、すっかりおもちゃ映画ミュージアムのファンになりました。傘は16日の落語の会に行って、その時持ち帰ろうと連絡せずにいました」と。共に方向音痴だということもわかり、阪急電車に並んで座り、彼女が西院駅で下車されるまで、旧知の間柄のようにおしゃべりの花を咲かせました。

「いわてわかめ」だけでなく、おもちゃ映画ミュージアムのファンまでGETして、黒森神楽の「権現様」は、私に優しくて温かい春を届けてくれました。

【3月13日追記】

昨日『廻り神楽』を観ながら暗闇でメモ書きをした京都新聞1面コラムで、岩手県に原発がない背景を知りました。私共が住む現在の京田辺市出身の母を持つ岩見ヒサさんは、戦中戦後を看護師として働き、1950年に三陸の田野畑村に移住。そこは旧満州からの引揚者が多く住み、医師不在の中で開拓保健師として村人の健康管理を一手に担いました。1980年に原発誘致話が持ち上がった時「出稼ぎに行かなくて済む」と男たちは喜びましたが、岩見さんを中心に女たちは「海が汚れないか」と疑問の声をあげました。原発の解説書を買って人々に配り、専門家の講演会も開催。村長に直談判をして誘致断念を迫りました。村人が命を預けた岩見さんの声が支持され、岩手県民は誘致話を拒みました。3.11で、原発が建ったかもしれない浜も大津波に襲われました。

2015年に岩見さんは死去され、村の資料館に岩見さんが詠んだ「吾が住み処 ここより外になしと思ふ」の歌碑が立っているそうです。黒森神楽は岩見さんが眠る田野畑村も巡行します。

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