おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2018.11.18column

良き出会いが続きます

珍しく、朝から途切れることなくお客さまが続きました。そのうちお二人は、「通りがかりに看板が目に入って」と来館。

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これは、11月12日に放送されたMBSの番組「ちちんぷいぷい」で放送された中でアップで写っていた看板。連れ合いが手作りし、11月5日に掲げたばかり。超人気番組に写ったことでとってもとっても嬉しいです!!!!! 番組字幕にもありますように、放送前日に開催した映像作家「髙橋克雄の世界」作品上映会を取り上げてくださいました。

隣の6階建てワンルーム・マンション「Lazo 二条」が完成し、続々入居が始まっています。所有者のご配慮もあって敷地前方が建物で塞がれず、以前より当館の看板が通りからも幾分見えやすくなりました。それで、先のお二人もこの看板に「何だろう?」と興味を持たれて足を運んでくださったのです。

そのうちのお一人は、中国黒竜江省から立命館大学に留学中の李雪螢さん。11月1~5日訪問した北京電影学院で随分とお世話になった女子学生さんのお一人も「ゆきちゃん」だったこともあり、親しみを感じて一緒に写真を撮りました。

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お名前が「雪」に「螢」と書くと知って連想したのは「蛍の光」の歌。ということで、この写真を撮ってくださった井上優さんと一緒に「蛍の光」をにわか合唱。「ほた~るのひか~り、まどのゆ~き~♪」。京都南座の吉例顔見世興行のまねき書きで大活躍の勘亭流4代目井上さんと一緒に歌を歌えるなんて果報者です、私。急な誘いに、面くらったのは、井上さんですが。。。

ちょいと喉を披露したあと、この歌の意味を説明したら「中国でも同じ言葉があります」ということで彼女早速ネット検索。「でも、いっぱいあります」と李さんが言うので、代表的なひとつを教えて貰いました。それが、「集螢映雪」。

目下の私の関心事は、世界の「おもちゃ映画事情」。というわけで、おもちゃ映写機の操作体験をして貰った後で、李さんにも「中国でおもちゃ映写機やおもちゃ映画がないか」と尋ねました。おそらく占領下の中国で見られていたものが残っているのではないか、と思うのです。彼女の返事は「長春の博物館で、おもちゃ映画を見たことがある」。北京でこの質問をしたいと思いながら、できず仕舞いに終わったこともあり、嬉しい情報です。こう聞けば、次に中国へ行く機会があれば、絶対この博物館を訪ねて自分の目で見てみたいです。

彼女と話しながら、ふと「地球儀が欲しい」と思いました。海外からのお客さまがお越しになったら、ご自分の国、都市に虫ピンでマークをして貰おうと考えたのです。連れ合いが「地球儀に虫ピンを刺すのはできないだろう」と申しますので、ならばと、先ほど世界地図を発注しました。最近海外からのお客さまが続いたこともあり、わかる範囲で、その方たちの分もマークしようと思っています。細々とではありますが、世界を繋ぎながら、おもちゃ映画の世界、広がりを調べて見たいなぁと思っています。

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11月2日に「京都フィルムメーカーズラボ」のワークショップ参加者として、仲間7人と一緒に来てくれた岡村峰和さんも来てくれました。6回目ぐらいの来館でしょうか。丁度14日から始まったばかりの「池田富保展」で、彼女が大好きな大河内伝次郎の写真も展示しているので、そのうちの1枚の前で写真を撮りました。下掲の今回チラシにも用いた『弥次喜多』シリーズの1枚。3人の剽軽な表情がとても良くて、好きな写真。

IMG_⑨尊王攘夷・大河内伝次郎サインA (2)

これは、大河内伝次郎のサイン。『建国史 尊王攘夷』(1927年)で井伊大老を演じた折りの絵葉書ブロマイドの裏に書いて、「目玉の松ちゃん」のご子息房吉(房雄)さんに贈られたもの。文字のデザインがとてもお洒落ですね。

余談ですが、連れ合いが子どもの頃、嵯峨駅界隈には「大邊男(ますお)」(大邊勇と記憶)、「佐々木康」「森一生」の表札がかかった家があり、その頃玄関先にピンポンがあるのは大スターか監督さんの家ぐらいで珍しかったこともあり、「学校帰りによくピンポン・ダッシュしたものだ」と懐かしんでいます。その「大邊男」が大河内伝次郎の本名。

岡村さんの紹介で来館いただいたリトアニアとカナダの二人にもおもちゃ映画の上映体験をして貰い、とても関心を寄せて下さったそうなので「機会があれば彼らの国のおもちゃ映画事情を聞いてほしい」と彼女に依頼しました。

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そして、ドイツのボン大学の湯川史郎教授。片岡一郎弁士のご紹介でお越しくださいました(11月15日)。いろんなことに「面白い」と興味を持ってくださって、随分と話が弾み、楽しい時間を過ごさせていただきました。もちろん湯川先生にも、おもちゃ映写機についてお願いしました。カメラを向けておられるのは、早川雪洲出演の『楠公父子』(1933年)の撮影風景。

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もう一枚早川雪洲の写真があります。池田富保監督のニッカポッカ姿は、当時の流行ファッション。会場では尾上松之助最晩年の『(実録)忠臣蔵』(1926年)のスチール写真をたくさん展示していますが、当館で発見されたこのパテ・ベビー版フィルムによって、それまでの松之助の演技と異なり、リアリズムを追及した演技になっていることが証明されました。ファッションだけでなく、映画製作に対しても池田富保監督は流行に敏感だったことが言えるのではないでしょうか。

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今回の展覧会で、私が最も嬉しかったのは、早川雪洲の写真をご覧いただけること。この本は、当館が開館した2015年の9月末、千葉県館山市在住の大場俊雄氏から寄贈いただいたものです。2011年に大場さんが執筆されたこの本を紹介する機会が得られたことを喜んでいます。

早川雪洲、本名早川金太郎は、1907年房総半島先端に近い漁村からアメリカへ渡り、1913年ハリウッド映画界に入り、早川雪洲という芸名で『ザ・チート』(1915年)に出演します。雪洲は日本人として初めてアカデミー賞助演男優賞候補に選ばれ、多くの外国映画に出演しました。『楠公父子』の頃は、「早川雪洲君 日本で大発展 映画でなくアノ道で」と在米邦字新聞(1933年9月16日付け「羅府新報」)が噂話を掲載するほど、私生活では色々あったようですが。

当館に、戦後の作品で早川雪洲主演の『レ・ミゼラブル』(1950年東横作品、伊藤大輔・マキノ雅弘監督)の16㎜フィルムがあります。相当痛んではいるのですが、大場さんのことを書きながら、この作品上映会を計画して見ようかなぁと思っています。もちろん大場さんにもご連絡を差し上げて。

「あとがき」で、大場さんが「雪洲について聞いた話を忘れないように書きとめ始めてから、ほぼ44年の歳月がかかった。今日では、早川雪洲を知らない世代が増えている。千葉県でも、雪洲が千葉県出身と理解している人は少ないかもしれない。」と書いておられます。今回の「池田富保展」は、尾上松之助遺品保存会の松野さんの「目玉の松ちゃん」という人が日本映画の最初期に活躍していたことを知って貰いたいという熱い思いで実現しています。他にも、もはや忘れ去られようとしている人のことを、記憶に刻んで貰おうと一生懸命活動されている人々がおられるでしょう。貴いことだと思います。

 こうした事例から学ぶことも多く、今年開催したキャメラマン・宮川一夫先生の展覧会と上映会、昨年開催した脚本家・依田義賢先生の上映会のように、来年からお二人の功績を長く人々の記憶に刻んで貰えるよう恒例行事にしていきたいなぁ、と連れ合いと話しています。

今回のブログは、「雪」の文字の人物で始まり、「雪」の文字の人物で終えます。

ご縁に感謝しながら、最後に今回展示のチラシを掲載。日本で開催される最初で、最後になるかもしれない「池田富保展」です。お一人でも多くの方にご覧いただければ幸いに存じます。

池田富保(表)A - コピー

 

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