おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2018.12.27column

11月11日に開催した「髙橋克雄作品上映会とトークイベント」の振り返り

高橋克雄の世界裏面A - コピー

11月11日のお祭り騒ぎはまだ記憶から消え去ってはおりませんが、24日未明に決定した2025年の万博開催地決定を控えて、当館にもその波が押し寄せ、今までで最高のマスコミ関係者においでいただきました。毎日放送は12日午後から放送の人気番組「ちちんぷいぷい」で、関西テレビは22日17時台の「報道ランナー」で、いずれも特集として取り上げてくださいました。関西テレビ系列のフジテレビでも放送されたようですから、ご覧いただいた方も多いのではないでしょうか?

さて、ボォーとしているうちに今年も残りわずかになってしまいました。書ききれないことが余りに多く、資料を挟んだファイルは重くなるばかりで、まったくトホホ状態です。そこに正会員でもある中京大学の岩田先生から「『小原篤のアニマゲ丼』に11月11日のことを綴った文章が載っている」と情報提供。二人して「流石!!!」と思う文章なので、一番良いのはこのままコピペなのですが、「それは不味い」ということになり、部分引用をして当日の紹介に替えさせていただきたく・・・・。

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一言も聞き漏らすまいとメモを取られる先生方。前列中央におられるのが小松原甫さん。今回の「髙橋克雄展」を提案して下さった一番の功労者です。この日も関東から遠路遥々お越しくださいました。小松原さんのお声掛けなくして、今回の展覧会はありえませんでした。心より感謝申し上げます。

この上映会の当日になって、前回このブログで紹介したサムイル・マルシャークが1943年独ソ戦最中に書いた戯曲『森は生きている』も「メルヘンシリーズ」の中に含まれていることを知りました。DVDを受け取って直ぐに「メルヘンシリーズ」を一度見ているのですが、頭の中を素通りしていたらしく。。。「知る」ってことは、今まで見過ごしていたことに「気付く」ということなのですね。こんな簡単なことを身をもって知りました。「メルヘンシリーズ」は1978年4月~85年3月まで毎夜7時59分から放送されたNHK「番組のおしらせ」のバックに流れていた陶器の人形によるアニメーションです。わずか1分間の作品ですが、気が遠くなるような手間暇をかけた作品に、当時の人はどれくらい想像の翼を広げてその創意工夫を褒め称えたものでしょうか?否、多くの人はそういうことにちっとも気付かないまま、以前の私のようにぼんやり見て過ごしていたのかもしれません。そうした主張をされないところが髙橋さんの魅力かもしれません。「さりげなく、良いものを、お茶の間に届けられたら」それで、良しとされたのかもしれないと思うのです。

代表作の一つ『野ばら』(1977年)について、小原さんは「国境警備兵の老人と青年が国の違いを超えて友情を結ぶがやがて戦争によって引き裂かれ……という小川未明の名作童話をアニメ化。カラフルでツヤツヤした陶器人形が二人の汚れない心を映し、バラを育てチェスに興じる穏やかな日々をキラキラした幸福感で彩ります。そして、終盤、老人の夢の中に、青年を含む敗軍の兵たちが灰色一色の無表情の人形となって現れ、強いコントラストをなします。人形は冷たく、硬く、重く、心を失っているよう。一瞬、色と表情を取り戻す青年のかすかなほほえみが、かなしい余韻を残します」と表現されています。

若いころに一度この作品を作ったことがある髙橋さんですが、その時はスクリーンにスライドを映して語るものでした。もう一度原作に忠実に作って見たいと考えておられていた髙橋さんは、その頃ヨーロッパで陶器の人形に出会います。「これなら原作の持つ透明感を表現できる」と考えて着手。途中大病を患われたこともあって、構想から3年の歳月をかけて完成しました。髙橋さんの特徴である陶器人形の第1号が『野ばら』です。音楽もそれまでの林光さんのような著名な方ではなく、東京芸大に貼り紙を出して募集。自宅3階に学生オーケストラを集め、窓に毛布を張って録音。印象的なオカリナの音色も大学生が吹いているそうです。お父様にとって、この作品は非常に強い思いのこもった作品ですから「今日この場に父がいたらとても喜んだだろうと思います」と挨拶されました。

東中スタジオ画

さらに続けて「父は本当にスタッフに恵まれました。絵は下手なんですが、作りたい画像ははっきりと頭の中にあって、人形は先ず、顔の型を自分で彫刻刀で、納得いくまで彫っていました。その型を基にイメージ通りの仕上がりになるようスタッフにいろいろと煩い注文を付けて作って貰っていました」。

上のスケッチは、展示を担当して下さっただけでなく、当日も登壇いただいた千光士義和さんが当時を思い出してスタジオの様子を描かれたもの。

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たくさんの資料類も大切に保存されていました。千光士さんはアニメーション作家で、もっぱら動くダンボールアートで知られています。彼は佳里子さんに思い出を尋ねられ「OKを貰って作り始めて、1~2時間かけてコマ撮りして3秒くらい出来上がった時、『あっ、千光士、それは違うわ。全部作りなおせ』と急に言われたことがありましたね。頭の中に新しいイメージがわいて、その方が絶対に良いと思ったからなんでしょう。『ガリバー』の時は、全部作り終わったのにやっぱり人形の顔が気に入らないというので頭からまるまる撮り直しました。でも、作り直した放送版の人形は本当に良かったんです」と昔を思い出しながら話されました。

妥協を許さない髙橋さんの要求に応える当時のスタッフさんたちのストレスは大変なものだったろうと推察します。髙橋さんの頭に確たるイメージが存在し、それを造形して要望に応える。人形は顔が命と言います。『野ばら』の人形の顔は二つだけ残っていて、今回それを展示しました。佳里子さんに聞いたら、顔をつくれる人が辞めてしまってから、人形の頭部を使い回したので残っていないのだそうです。やはりどうしても譲れない好きな顔があったのでしょう。

代表作『一寸法師』(1967年)と『かぐやひめ』(1972年)も上映。『一寸法師』で、やられた鬼がパッと煙になって消える合成シーンが、有名なアニメーション作家のノーマン・マクラレンさんの興味を引き、髙橋さんは「マクラレンさんと親しくなって、互いの特撮自慢ごっこをしていた。父はミッチェルの35㎜カメラを愛用していましたが、『合成のためにフィルムを巻戻すときに絶対ずれないように、フィルムを送る爪のところを改造してあるんだ』と楽しそうに話していた」そうです。

このようにお父様を大変尊敬しておられる様子が佳里子さんの言葉の端々に現れていましたが、そのお父様のスタジオを明け渡すことに。1967年から使い続けていた三脚やミッチェルを手放す時の寂しさは如何ばかりかと思います。今回発見され話題を集めた『ミセス21世紀』等の映像は、元はといえば大阪に住む一人の女性から届いた一通の手紙から。「70年万博の時オーストラリアと日本という映像を作ったが、それに出演した当時の小学生たちが今年還暦を迎えるので、記念にその作品を上映したい」というものでした。それで佳里子さんがアトリエを探したら、次から次へと貴重な映像や万博関係の資料類がみつかりました。2025年万博の開催地に大阪が名乗りを上げていることから、タイムリーな話題ということで大きく取りあげていただきました。当館での催しに間に合うよう東京光音さんには多大な協力をしていただきました。おかげ様で、『ミセス21世紀』『The Adventures of Toppy』などいくつかの作品が復元でき、大勢の皆さまにご覧いただけることが出来ました。これも、ひとえに髙橋さんの几帳面さのおかげですね。

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DSC07770 (2)展覧会期間中に、佳里子さんは『かぐやひめ』取材に同行した元スタッフさんとお会いすることもできました。東京との何回かに及ぶ往復は大変だったことでしょう。ひょっとしたら内心『かぐやひめ』の翁と媼のモデルとも伝え聞く方がお越しになるのじゃないかと楽しみにしていたのですが、そういうハプ二ングはございませんでした。ちょっとガッカリしつつ、安堵もしています。

小原さんは「みやびな雰囲気をまとう人形たちは美しく気品があり、ちょっとしたシーンにもたくさんの人形が作られ、竜が暴れるスペクタル、屋根を守る兵らのモブシーンも見応えあり。これもぜいたくな作りです。」と綴り、続けて佳里子さんの言葉「父にとって、この作品のテーマは『死別』、永遠の別れでした。前年に亡くなった母ーつまり私の祖母を失った悲しみが色濃く投影されています。」を引用して、「なるほど、月の装束をまとった姫が翁と媼と別れる場面で、姫が半透明の体になっているのはそういう意味なのですね」と結んでおられます。当日の段取りにばかり気が向いていて、しっかり作品に向き合えていない自分を恥ずかしく思いました。細部にまでこだわりをもって描ききった髙橋克雄さんの世界が、これからも展示と作品上映を通じて、より多くの人に鑑賞機会が与えられんことを願って、振り返りレポートとさせていただきます。

DSC07779 (2) - コピーご多忙の中にも関わらず、大勢の皆さま方にお集まりいただき、盛会裏に終えられましたこと、心より御礼を申し上げます。ありがとうございました!!!

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