おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2020.08.21column

7月24日「映画『祇園祭』研究者と製作上映協力会メンバーとのトークイベント」の感想文

祇園祭(表)A - コピー

7月24日に開催した「映画『祇園祭』研究者と製作上映協力会メンバーとのトークイベント」は、京樂真帆子・滋賀県立大学教授と田中聡・立命館大学教授のお二人の研究者と、この映画の為に新たに京都府庁内に設けられた府文化事業室の職員として、労働省の職員から採用され、映画「祇園祭」製作上映協力会事務局長として中心的な活躍をされた堀昭三さん、京都府市民団体協議会事務局員から同協力会事務局嘱託として、ほぼ1年間、様々な団体に協力を依頼するなどの仕事をされた田中弘さんという縁の下の力持ちお二人と、府職員としての仕事の余暇にいろいろなお手伝いをされた岡田(旧姓高橋)佳美さんの3人の方においでいただいて、貴重な話を聞かせて貰いました。製作されてから既に52年の歳月が経ちますが、強烈な印象を伴って三人の脳裏に刻まれているようで、昨日のことのようにお話し下さいました。参加者の皆さんと一緒に、映画が製作された当時のことを聞かせて貰えて、とても有意義な時間となりました。

DSC03769 (2)イベント参加者の中で、最も若い滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科1回生の女子学生さんから感想文が届きました。

……『祇園祭』に携わった方々の貴重なお話を聞くことができ、今回参加させていただいたおかげで得るものがたくさんありました。資料だけ見たら数秒で過ぎてしまうものでも、今日のお話を聞きながらだと、さらに時間をかけて見たいような魅力的なものに変わりました。

 展示されている資料も普段見ることができないものまであり、わくわくしました。さらに、このような企画で、講演してくださった方以外の方ともお話しすることができました。ここに集まる方とは私自身の勉強したい分野に詳しい方がいらっしゃり、お話を聞かせてもらうこともできました。

 本当に楽しかったです。ありがとうございました。……

若い人が聴講し、関心を持って下さったことが、とても嬉しいです。こちらこそ、ありがとうございました。

DSC03796 (2)もうお一人、登壇者の岡田佳美さんからも感想文が届いていますので、ご紹介します(お書きいただいてから、掲載まで随分日数を置いてしまい、申し訳ございませんでした)。

……

京都府(私の勤め先)が中村錦之助が作る映画「祇園祭」の製作協力をするらしいと知ったのは50年以上前の1968(昭和43)年、私の独身最後の年でした。

それまで仕事(行政)と趣味(演劇分野)は全く別のものだったのですが、蜷川知事も、職場の労働組合も取り組んでられるので、好きなことで私も関わることが出来る! と、業余の時間の殆どを、祇園さんの西楼門の南側にあった「製作上映協力会事務所」に通い詰め、撮影現場にインタビューに行ったり、山鉾巡行のモブ・シーンのエキストラさんのお世話をしたり、とても楽しくお手伝いをさせて頂きました。

難しいことは分かりませんでしたが、大きな映画会社でなく独立プロで作るということ、膨大な製作資金を調達しなければならないこと、関係者の異なる意見調整の難しいこと、途中で監督さんの交替があったり等、1本の映画の製作に大勢の人が関わる大変さはよく理解出来ました。

 が、京都・全国の上映が一応成功裏に終わるとともに年月も流れ、この映画のことは私の記憶から遠ざかっていきました。

それから50年! おもちゃ映画ミュージアムさんからのお便りで、映画「祇園祭」のフィルムの修復のことや、この映画の研究をされている大学教授さん(滋賀県立大学・京楽真帆子先生ほか)がおられることを知り、懐かしさのあまり、「50年前にこの映画にイッチョカミしました」とか、「この映画を研究をされるなら、ぜひ『行政とのかかわり』も視点に加えられた方が、他の映画と比べて特徴が出ると思います。」とか生意気な返信をしてしてしまいました。

さぁ、それからが大変。人生70年を過ぎ、「終活」を始めていて、いろいろな資料・写真をどんどん捨てようとしていた中から、なんとか残っていたものを「おもちゃ映画ミュージアム」に寄贈しました。私がダンボール箱に詰め込んでいたものを、ミュージアムさんがリッパに額に入れて飾って下さって、ホントに恐縮です。また、「製作上映協力会事務所」を牽引されていた堀昭三さんと田中弘さんを、おもちゃミュージアムさんと研究されている先生方にお引き合わせできたことも良かったと思います。話し合う中で、映画製作当時のことが立体的に甦ってきました。

 さて、先週7/17、復元された美しい画面の映画「祇園祭」を、京都文化博物館フィルム・シアターまで観に行きました。

新型コロナ・ウィルス対策で、定員は78名。開演30分前には既に長蛇の列(もちろん間隔をあけて)、この古い映画にいまだにこんな沢山のヒトが関心を寄せてられるのか、とビックリするやら嬉しいやら。そして私も、初めて観るみたいに新鮮に鑑賞しました。

室町時代の画面の中で、山鉾巡行や土一揆のシーン等に大勢の人間たちが溢れかえって、よくもまぁこんなにヒトが登場する大作を、独立プロが作ったものだと改めて思いました。プロの出演者に混じって京都府民・市民が室町時代の町衆・村人たちに扮していて、自分たちも映画づくりの一端を担ったのだという思いが息づいていました。

熱意を持ってこの作品の映画化の中心になられた中村錦之助さんは、藍染め職人・新吉の役をされていますが、いつもは武士役が多く、腰が決まって刀使いも鮮やかなのに、今回は腰も低く足も少しO脚で、ほんとに職人さんでした。山科の百姓との争いのシーンなどは、「刀は使ったことはない、刀を持つのもコワい」といったふうに、めちゃくちゃ腰砕けに刀を振り回してられたのが印象的でした。指先はいつも藍に染まっている役ですが、錦之助さんは、「今日の撮影は指先がはっきり写るシーンはない」という日でも、ちゃんと指先を染めて撮影されていました。(最後の弓矢に打たれたあとのシーンだけは、突然歌舞伎役者調になっていましたが…。)

それと、これは単なる疑問ですが、京都で撮影した京都のお話を「京ことば」にせず、標準語にされたのは何故だったのでしょうか。室町時代の京ことばの時代考証は難しかったのでしょうか?

念仏衆の踊りのリズムやメロディーが凄く現代的だったので、スタッフ名を観ましたら、佐藤勝さんでした。集団のエネルギーがあふれてましたね。

今回見直しての疑問は、やはり岩下志麻さんの「あやめ」の外観でしょうか。妖しく美しいあやめさんですが、私は「野性味のある美しさ・ナチュラルな美しさ」がふさわしいと思っていましたので、アイラインまで描いた作り過ぎのメイクアップの美しさは、どうもそぐわないと、…公開時も今回も、やっぱりそう思ったことでした。

しかし、7/24の京楽先生の講演の中で、新しいことを学びました。

今でいう部落差別が確立したのは江戸時代で、この室町時代は、職業上の区別・差別はあっても、それが人間差別として生まれ地域で代々引き継がれるものではなかったということだそうです。……なんか合点がいきました。河原者の庭師の永井智雄さんやその娘あやめの岩下志麻さんの衣装がリッパだったのは、けっこうお金持ちの親子だったのですね。(ヨーロッパで、ユダヤ人が経済を握っているのに宗教的に人種差別を受けていたことに似ているのかしら?)

あと、大文字の送り火で終わる映画のエンディングシーンは、伊藤大輔さんが監督を降板される前に、現代の祇園祭の山鉾巡行シーンにオーバーラップさせて終わりたいというアイディアを持ってられたとのこと。もし実現しておれば、室町時代の祇園祭の復興が町衆の力の結集で出来たことを、現代の私たちにも引き継いでほしいという監督の思いが大きく伝わったのではないかと思います。

この映画をテーマにして長年研究を続けてこられた京楽先生はじめとした大学の先生方のおかげで、50年振りに観た映画「祇園祭」の新鮮さに驚かせられ、また、製作に関わった全ての方々の熱い思いを再認識しました。みんなで創った映画「祇園祭」、これからも丁寧な保存と公開を続けられますことを祈ります。ありがとうございました。……

DSC03804 (2)

 感想をお寄せ頂き、誠にありがとうございました。楽しく、充実した催しでした。参加いただいた皆様に、心より御礼を申し上げます!!!!!

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