おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2021.06.23column

影絵アニメ『約束』の上映と研究発表会の振り返り

緊急事態宣言解除の2日前、通常の定員を半分にして換気にも消毒にも気を付けながら開催した影絵をテーマにした上映とトークイベントを予定通り19日に実施しました。直前の一斉メールが功を奏したのか、定員に達し、久し振りに懐かしいお友達幾人かにもお会いすることができました。

今回は影絵アニメーションの先駆者ロッテ・ライニガーの没後40年を記念して開催しましたので、講師のアニメーション作家河野亜季さんの言葉を借りれば「天国のライニガーさんにも喜んで貰えたら良いなぁ」という思いで計画しました。

前半はロッテ・ライニガーの作品をいくつかご覧いただき、休憩を挟んだ後半冒頭にライニガーの手法を用いて作られた河野さんの作品をご覧頂き、続けて河野さんに「現代における影絵アニメーションの作り方~ロッテ・ライニガーの手法を用いて~」の演題でお話しいただきました。

振り返りはその後半部分から。最初にNHKみんなのうたで放送された『すっぽんぽんぽん』(2016年、歌:岩崎愛さん)を上映。後の質問タイムでお聞きしたのですが、先に岩崎さんの音楽ができて、プロデューサーのところでいくつかの候補から選ばれ、アニメーションの注文を受けたのだそうです。歌の主人公はスッポン。河野さんらしい綺麗な色使いです。絵コンテ、キャラクター、動画監督は河野さんですが、造形はこの日もお越し下さった梅澤豊さん。連れ合いは「人の才能も自分の才能と思える人が監督だ」とよく申していますが、少数精鋭での作品作りのようです。

続いて、東京藝大大学院時代の作品『約束』の上映。影の物語を影絵アニメ-ションという手法で挑戦。監督・脚本・アニメーションを河野さんが手掛けた9分の作品。男の子が亡くなり、肉体は朽ち果て消えてしまいましたが、黒い影だけが残ります。「僕の影を剥ぎ取っていいよ」。我が子の姿を誰にも渡したくなかった母親のもとに、「夜分すみません。子どもの影をお持ちではありませんか?」と神の使者がやってきます。「肉体と魂を一緒に神に届けなければならないのだ」と言います。

参加者からの質問で「なぜ母子関係を影で描こうとしたのか?」と問われた河野さんは「犠牲愛を描きたくて、涙を注ぐものとして母が子どものために犠牲になる話にした。キケロが『肉体は魂の器である』と答えていて、どういう意味か考えているうちに、『空っぽの肉体に影という分身を入れると人物になるんじゃないか』と仮定を立てて物語りにした」と答えておられました。

この作品は第15回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門審査委員会推薦作品、モンストラリスボンアニメーション国際映画祭2012ジュニア審査員部門最優秀賞受賞。色彩がとても美しい、静かな作品です。作品のシーンを再現していますので、ぜひ間近でご覧頂ければ幸いです。

『すっぽんぽんぽん』『約束』はライニガーが使っていたマルチプレーンと同じ方法で撮影されました。

パワーポイントの画面を撮ったので不鮮明で恐縮ですが、左がアトリエでマルチプレーンを使ってアニメートするロッテ・ライニガー(左下)と夫のカール・コッホ(左上)とスタッフ二人を撮った貴重な写真(ドイツのテュービンゲン市立博物館提供)、右が河野亜季さん。「大きさや層の違いがありますが、撮影方法はほぼ変わらない」と河野さん。今も人形を使ったアニメーションを作り続けておられます。

この日は①影絵について-影とは②線画台(マルチプレーン)の手法③ライニガー作品と歴史背景の項目でお話し下さいました。

講演テーマ①は先ず影絵の色の話から。現代のテレビや劇場アニメに比べると圧倒的に情報量が足りません。特に劇場アニメーションは背景のリアルさを追求して細部まで描き込まれている傾向があります。一方で影絵は顔の表情は無いし、主人公や背景物はほとんど色が付いていません。影絵アニメは黒色とその周りの背景色によって表現されています。両者に共通するのは聴覚視覚で楽しむという部分。因みに視覚は人間の五感の中で87%を占めるそうです。『約束』では背景色に色彩心理を応用して選色。例えば赤色は観客をドキドキさせる効果があるので、男への恐れを表現しました。

緑色は調和やバランスの色ですが、映像や舞台の背景色や照明に使うと不穏なイメージや異次元の世界を表すのに効果的で、見る人に次は何が起こるの?大丈夫かなぁ?という感情を与えます。影絵のメインとなる黒は孤独とか、重苦しい印象を与えることができ、重量感を表現できます。白が0なら、黒は100。場合によっては肉体より影の方が重量感があるように見え、目立ちます。「もしかしたら影の方が主体となって動き出してしまうのじゃないか」と思う人がいるかもしれない。そう考えると影に意味を持たせる影絵の手法の面白さを分かってもらえると思います。

影絵アニメーションにとっての黒色のもう一つ重要な要素に「抽象性」を考えます。抽象性とは「一般的なこと」「誰にでも当てはまること」で、この抽象性が影絵の中にあると思います。主人公の顔が描かれていないことで、自分の好きな顔に頭の中で変換することができますし、自分と重ね合わせて感情移入できやすいことも影絵の強みだと考えています。

河野さんが手にしておられるのは、今回手作りしたマルチプレーンに置いているシンデレラ人形。紙でできたペラペラのものですが、上から覗くと重量感があります。また、黒は背景色を引き立てる効果もあります。このように色で意味を持たせる面白さが影絵にはあります。

また、影は光があるからこそ生まれるものです。実体があって触ることができるものには必ず影が生まれます。影が実像よりも意思を持って描かれることがあります。影響を受けた作品のひとつにドイツ表現主義の中で有名なロベルト・ヴィーネ監督『カリガリ博士』(1920年公開)があります。外見からは分からない内面を、博士の影を使って表現しています。

他にシャミッソー著『影をなくした男』とアンデルセンの『影法師』もあります。この2作品に興味を持ち、影はどのような存在なのかを考えました。どちらも影が成長していき、実体を持ちます。最終的に実体よりも大きく偉くなります。影に触れることができるようになったり、あるいは折り畳んでポケットに入れることなどができるようになります。影に物質性を与える点に興味を持ちました。3つめは古代エジプト人にとっての影の存在でした。影は魂を視覚化したものと考えていて、影を人間の分身として見なしていました。人間が密かに持つ感情が影を通して表現できる面白さがあると思いました。

この3つを通して影の面白さを知り、『約束』では、影を触れられるものにし、その影に魂を与えるというテーマで作品を作りました。

講演テーマ②のライニガーが考案したマルチプレーン(線画台)について。

館長が手作りしたマルチプレーンには、1954年ライニガーが製作した『シンデレラ』(ペロー版)の一場面を再現しました。シンデレラと王子には実際に関節を付けて動かせるようにしています。針金で関節をとめていて、バックライトだけだとわかりませんが、上からのライトだと光ってしまうので、影絵にとってはバックライトだけだと都合が良いです。

再現を手伝って下さったのは河野さんの大学院後輩渡辺栞さん。影絵ではありませんがマルチプレーンを使ったアニメーション作品を作っておられます。彼女の作品『ワタヤ』は世界的に有名なザグレブの国際アニメーションフェスティバルにノミネートされ、実力がある作家さんです。動画が公開されているので、ぜひクリックしてご覧下さい。

上から覗くと奥行きが感じられます。一番下にバックライトを置き、3層目にカラーフィルムを置いて色付け。2層目に主人公などのメインキャラを置き、1層目に手前の背景を置きます。アニメートをするとき、王子とシンデレラを良く動かしますので、作業しやすいように間隔を広げるとやりやすい。主人公たちにカメラのピントを合わせるようにすると、上と下が上手くぼやけて奥行きのある映像が撮れます。

ディズニーは1933年、ライニガーのマルチプレーンの方法を更に発展させ、レバー操作で遠近感が調整できるようにして使っています。動画が公開されています。マルチプレーンは影絵だけでなく、セル画を使ったり、人形アニメーションにも使うことができます。

昨年1月15日~3月22日まで展示していたアニメーション作家岡本忠成さんの上掲写真半立体人形を用いた『メトロポリタン美術館』(1984年)、『水のたね』(1975年)もマルチプレーンカメラで撮影されていました。白い人形は多層になると何層にも映り込んでしまうので、裏に黒い物を貼って防ぐやりかたがあるそうです。NHKみんなのうた『メトロポリタン美術館』は人気がある作品ですので、再放送される時に、そうした視点でご覧頂くと新たな気付きもあるでしょう。

「何故マルチプレーンを使うのか?」について河野さんは、重力が無く自在に操れる強みを挙げておられました。立体の人形だと自立させないといけないので、下から足元にネジを打ったり、横から棒で支えたり、上から吊ったりしないといけませんが、マルチプレーンだと軽々と踊ったり飛び跳ねたりと思うように動かすことができます。

『約束』は全部アナログでやりたいと考えて、ライニガーの手法とほぼ同じように撮影されましたが、ライニガー作品と『約束』の大きな違いは①影絵だけでなく、半立体を使用していること②背景にセロファンやトレーシングペーパーだけでなく、プロジェクターの映像を投影していることだそうです。それによって、色がじんわり変わったり、背景が動いたりすることが可能になりました。ただ、半立体を使用したことで、それぞれにスポットライトを当てるため、照明の数が多くなり、セッティングが大変だったそうです。現在はライニガーの手法を踏襲しつつ、グリーンバッグでの合成など21世紀にある素材を使って撮影しておられます。これから発表される作品も楽しみですね。

講演テーマ③ライニガー作品と歴史的背景について。この日ご覧頂いた『シンデレラ』は1922年、ライニガーが影絵を作って3作品目。その翌年ユダヤ人の富豪が出資して世界初長編『アクメッド王子の冒険』のモノクロアニメが1926年にできます。初めてのカラーアニメがディズニーの『白雪姫』(1937年)と言われていますが、その10年も前に発表されています。白と黒の世界で様々な表現を試しています。メタモルフォーゼが「おっ」と言わせるものがあったり、実験アニメーションに近いものがあります。今のアニメーションに比べると画面の情報量は圧倒的に少ないですが、それ以上の迫力があって面白いです。

1935年までドイツにいて、その後ロンドン、パリ、ローマと転々とし、1948年ライニガーはイギリスに移住して、イギリスやアメリカのテレビシリーズを多く撮ります。前半にご覧頂いた1954年『シンデレラ』(ペロー版)、『白雪と紅ばら』、『眠れる森の美女』、1955年『ジャックと豆の木』など、どれも画面の密度が濃く、とても美しい作品に仕上がっています。最後にご覧頂いた『ジャックと豆の木』はライニガーが最初に作ったカラー短編影絵アニメーションです。

ライニガー作品を語る上で第二次世界大戦があったことは切り離せません。大きく揺れるドイツを離れ、戦後イギリスに渡ったライニガーは、何とか作品を残そうと取り組みます。一方アメリカのディズニーは1928年にトーキーアニメ『蒸気船ウィリー』を発表し、1937年トーキー、カラー長編アニメ『白雪姫』を発表します。その後も立て続けに『ピノキオ』『ファンタジア』『ダンボ』『バンビ』と長編アニメを発表しているのは凄いです。「ディズニーの成功の影に隠れてしまったライニガーという印象を持っている」と河野さん。

続けて、ライニガーがあるインタビューの中で「ディズニーは巨大なアメリカのマーケットが映画の為に巨額の資金を可能にしています。ヨーロッパの私たちは、それに比べるとかなり控えめにやっていかなければなりません」と述べていることを紹介しながら「市場としてのアメリカと祖国ドイツを含み戦争に翻弄されたヨーロッパは、長編アニメーションを作る資金力の面で大きな違いがあったのかもしれません」と述べました。

河野さんは、ライニガーについて、「ライニガーはシルエットで喜怒哀楽を表現する天才、サイレントアニメの天才だと思います。モノクロの時代、キャラクターに目がないのに笑っていたり、悲しんでいたりが分かるのは本当に素晴らしいと思います。更に言うと、サイレント時代の作品には、キャラクターが魂を持ったように生き生きと画面の中を精一杯生きています。もともと彼女が切り絵(シルエット)が得意だったからアニメーションを作ってみないかと誘われました。影絵の人形を動かすことが大好きな少女がアニメーション作家になったんだなぁと感じました。

私が大好きなのは、1922年の『シンデレラ』と1926年の『アクメッド王子の冒険』。技術はだんだん向上して作品としては纏まっていて素晴らしいとは思いますが、第一次世界大戦が終わって、第二次世界大戦が始まる前の影絵の人形作りで、影絵アニメーションという表現に向き合いながら、皆で格闘しながらその好きな影絵をアニメートしているライニガーが想像できたからです。話を聞いて、今一度ライニガー作品をご覧になって、お気に入り作品を見つけて下さい。ライニガーが残した影絵アニメーションが、これからもずっと残っていきますようにという思いでお話させていただきました」と結んで講演を終えられました。

換気を兼ねた休憩時間、講演終了後の様子です。熱心にご覧頂き嬉しかったです。

恒例の集合写真。ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。講師の河野さんもご多忙の中、展示だけでなく講演の準備もしていただき心より御礼を申し上げます。

質疑応答の時間からいくつかを紹介。

ライニガーが影響を受けた東アジアの影絵文化についての問いに、「ライニガー自身がアジアの文化から影響を受けたという資料は残っている。長編アニメ『アクメッド王子の冒険』を見ると、ジャワの文化も踏襲されているのではないかと思う。ドイツは冬が長く、夜に切り絵をするのが盛んだった。切り絵の文化の中で育った少女時代のライニガーは切り絵やシルエットが凄く得意で、そこからいろいろ勉強した」と河野さん。展示には、ライニガーと同時代のドイツの作家による切り絵作品も展示しています。

「見せて頂いたライニガーが棒を使って人形を動かしている映像はジャワの影絵そのもの。ジャワだけじゃなくて、台湾も中国もインドもミャンマーにも同じように影絵があって、水牛の皮で作ったスクリーンに映す。影絵は神霊に捧げるもので、神様がみるもの。それを私たちは反対側の影で見るのだといいます。日本でも指で影絵をして遊んだり、影絵は盛んだった。おそらく東南アジア全体にあったということから、ライニガーさんにも伝わったのではないか?」というご意見に対し、

会場から「指で遊ぶ影絵はヨーロッパでもあった。切り抜いたものを写して遊ぶおもちゃもあった。薄っぺらいパペット(操り人形)を影絵として写して遊ぶのもヨーロッパにはあった。映画が始まる前の“動きとしての芸術”の中にそうした遊びがずっと続いているから、一概にアジアの影響とばかりも言えず、ライニガーはヨーロッパにあった伝統文化も見て育ってきたと思う。ロッテ・ライニガー以外にも、影絵アニメーションをやっていた人がいたのかどうかを研究して欲しい」という意見がありました。4~5月に開催した素晴らしい劇画風のペン画を遺した無名の芹沢文彰さんの例のように、名も無いけれど同じように影絵アニメーションを創作されていた人が他にも居られたかも知れないと興味深く拝聴しました。

「ライニガーの『アクメッド王子の冒険』は凄い影絵アニメーションの誕生だと思うが、その影響を受けて『煙突屋ペロー』(原作・脚色・製作:田中喜次)が戦前に作られた。ライニガーの影絵アニメ-ションが世界中に広まっていったと思うが、その世界的影響についてどう思うか?」との問いに、「大藤信郎やミッシェル・オスロ監督がライニガーの影絵アニメーションの影響を受けたといわれている。マルチプレーンを一番最初に作ったのがライニガーだと言われていて、それを更にリミック化したのがディズニーだと思う。サイレントでモノクロだった時代にディズニーの『白雪姫』のトーキーでカラーでぬるぬる動く感じにみんな影響を受けた。それが日本にも噂で入ってきて『何か外国で凄いアニメーションがあるらしいよ』と評判になったが、もとを辿ればライニガーではないかと思う」と河野さん。

影絵アニメーションの面白さ、素晴らしさをお話し下さった河野さんですが、影絵アニメーションを最近誰かしているかというと、誰もしていないのだそうです。何故かというと「デジタル技術が進んできて、コンピューターで黒というのを簡単に作れるので『手でわざわざ切って』というのはしていない。デジタルが進んでいったばっかりに、影絵アニメーションという文化がなかなか広まっていかないのかなぁと思っています」と残念そうにお話になりました。

会場からの声で、そういえば2018年9月9日に開催した「木村白山って、何者?」をしたときにご覧頂いた『蟹満寺縁起』(1924年)も木村白山唯一の影絵アニメーションだったことを思い出しました。

今回の展示が少しでも影絵アニメーションやマルチプレーンへの関心を高めることに寄与できれば企画した甲斐があります。変異ウイルスが広がっていてそれを警戒してお出かけにくい状況が続いていますが、27日までの残り僅かな日数です。可能でしたら、お運び頂いてご覧頂ければ幸いです。

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