2022.01.15column
パテ・ベビー発掘プロジェクト報告①
年賀状と1月2日発信メルマガで、「『パテ・ベビー発掘プロジェクト』を始めるので、ご協力をお願いします」と呼びかけました。ありがたいことに、早速幾人かの人から提供するとの申し出がありました‼
12日にその第1段として、大阪府茨木市在住の古川博様から、写真の通り約100巻のパテ・ベビーフィルムが届きました。2016年11月9日にも、海外の21作品を寄贈して頂き、その中の何本かは特典用に用意した『おもちゃ映画ミュージアム所蔵 戦前のフランスとアメリカのアニメーション映画アラカルト』に収録しました。
日本では「九ミリ半」と呼ばれていた9.5㎜幅のフィルムがフランスのパテ社で産声を上げてから100年。それは1922年12月のことでした。不燃性のフィルムが用いられ、“ボビン”と呼ばれる金属製の缶にフィルムが巻かれています。
昨日、アニメーション作家の福島治先生からメルマガへの返信メールが届き、
「パテ・ベビーといっても馴染みもなく、後年になって、9.5mmでパーフォレーションが真ん中にある奇妙なフィルムは本の上でしか知らなかった。少年時代はカメラ屋のショーウインドウに飾ってあった8mmムービーカメラが欲しくて欲しくてたまらなかったのですが、その天文学的な数字がならぶ値段では、ただ溜息して眺めているだけだったのを思い出します」と書いて下さいました。
きっとこうしたモノに関心を寄せる殆どの人が抱いた感想ではなかったかと思います。庶民が簡単に入手できるものではなかったでしょう。裕福な家庭で安全に映画を楽しむための映写機や撮影機、そしてフィルムだったのです。
パテ・ベビーは、劇場用映画を製作していたフランスのパテ社が一般家庭向けに販売した小型映画で、ホームムービーの先駆けになりました。同じころ(1921年)に、アメリカのイーストマン・コダック社も、「シネ・コダック」という小型カメラと16mmフィルムを販売していました。とても高価で、裕福な家庭に限られていました。16mm(両横に送り孔があるため、実行画面は10mmの画面幅)に対し、パテ・ベビーは、横幅9.5mmという画面幅で、福島先生が仰るように画面と画面の間に送り孔があるという特殊なものでした。ストップした画を撮影、映写できる機能を持っていたことで、字幕などは1コマで済み、フィルムは少なくて済むという、お得感があったこともあり急速に普及しました。
トーキー時代に入り、16mmフィルムは、送り孔のあった片方を音声帯(サウンド・トラック帯)にし、また戦後のテレビ時代には、業務規格として生き続けたのですが、一方のパテ・ベビーはサウンド帯の場所の確保が難しく、コマ止めできる利点が、逆に明るい光源ではフィルムが焼けてしまうことが致命的欠陥となり、戦後にもマニアックな愛好者がいたものの、ホーム・ムービーの座を8mm規格に明け渡すことになりました。なお、8mmは16mm幅のフィルムを使い。ダブル8という規格で1930年代以降に普及しました。
パテ・ベビーが日本で販売されたのは、関東大震災の頃なので、それ以降の映像が、一般家庭の風俗や風物として記録されるようになりました。今では再生する映写機もなく、大正から昭和の初頭に限定され、短命に終わってはしまいましたが、一般家庭の風物や劇場用映画の短縮版が映写傷の付かないまま残っている可能性が高いです。
古川さんにフィルムの来歴を教えて貰いました。写真に撮ったフィルムは古川さんのお母様のお父様、つまり母方のお祖父様(1889年生まれ)が撮影され、所有されていたものだそうです。おそらく40歳ちょっと前の頃と思われますが、それ以降撮影された映像は残っていないことから「割と飽きっぽかったのかも」と古川さんは仰いますが、働き盛りでお仕事が忙しかったのかもしれませんね。
お母様やそのご兄弟が子どもだった頃の姿や、赤屋根のハーフティンバー様式のお祖父様の家が映っているそうです。その家は、お祖父様が離れてからも、梨木神社の裏に立命館大学、同志社の所有となって暫く残っていたそうです。家の前の道路を伯父様が走っている寺町通りの映像もあるそうです。向かいにある清浄華院の養護老人施設では、お母様が亡くなるまでお世話になっておられたとか。ここまで書き写していて、2019年以降映画『祇園祭』のことを調べていて、その関係者の方の元に幾度も自転車で走った時の光景を思い浮かべています。その方から「寺町通りはさほど変わっていない」とお聞きしましたが、古川さんも同じように仰っています。
きっと、この文章をお読みになった方の中に、赤い屋根のハーフティンバー様式の家を「あぁ、覚えている!」という方もおられるでしょう。他人が撮った映像でも、記憶を呼び戻すことができます。「あぁ、懐かしい」という思いが繋がって記憶が甦る“回想法”にも役立ちますね。以前、クリアーな映像より、8㎜のような粒子の粗い画質の方が“回想法”に効果的だと聞いた記憶があります。
父方のお祖父様は母方より10歳ほど若くて、カメラが好きでライカクラブなどにも入っておられたそうです。パテの撮影もされていたはずですが、フィルムは残っていなくて、16㎜と8㎜が残っていたそうです。16㎜はやがてテレビの規格になり、パテは8㎜にとってかわります。古川さんが仰るように時代が少し違うのでしょう。
長い間“ボビン”と呼ぶ小さなフィルム・マガジン(缶)に入ったままだったので、フィルムの巻クセがキツいです。先ずはそのクセを取るために巻直し。これがなかなかに大変な作業です。
専用リールがないので、手作り。いろいろ工夫しながらコツコツとパテ・ベビーフィルムをスキャンする前の準備作業。教えて貰った映像を拝見するには、まだまだ時間がかかりようです。お楽しみは、この先に。