おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2023.06.10column

エリック・ファーデン教授の研究発表会「デジタル時代における紙フィルムの復活」

6月1日から当館で紙フィルムのデジタル化作業に取り組んでおられた米国バックネル大学エリック・フェーデン教授とエリザベス・アームストロング教授。7日は朝9時から作業を開始し、新たにデジタル化された作品39作品を夕方までに終えられました。揺れがなく安定した画像を撮るために、随分と神経を使ったそうです。これから後はそれらの作品の編集作業が待ち受けていて、2か月後ぐらいにはデータを送って貰える見込み。

5日は大阪へ、8日から東京に移動して、東京でもコレクター氏がお持ちの紙フィルムのデジタル化作業を続けられます。

今回開発された「きょうりんりん」を収める専用トランク。エリック先生とお仲間のダニエル・ニエンフイスさんが手作りされた専用ケースに収まって旅立ちの時を迎えました。何と19キロもあるのだそうです。

今回の来日に当たって受け取ったメールに「きょうりんりん」と呼ぶことが書いてはありましたが、その名称の由来は4日の研究発表で初めてわかりました。「経凛々」は、鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』にある日本の妖怪の一つで、経文の妖怪(下掲写真左)。忘れられてしまった紙に書いてあるものを、守る妖怪のことだそうです。他にもネットで検索していたら、お馴染み「ゲゲゲの鬼太郎」第5期に「経凛々」という妖怪が出てくるみたいですね。

エリック先生たちは妖怪「経凛々」をupdateして、上掲写真右のようにデザインされました。お経の代わりにフィルムがあしらわれていますね。

さて、この日の発表は3つのことでお話しされました。1つ目はメディアの考古学Media Archeolgy、2つ目は紙と映画の歴史について、3番目は日本の紙フィルムの構造についての難点。

メディアの歴史のタイムラインは、スタイル、ジャンルとかいろいろあり、商業関係のとらえ方もあります。歴史の本に書かれているものが多いですが、自分はEccentric=風変わりなものに興味を持っています。メディアの考古学において繋がりはあっても、あるいはいろんな繋がりがあるのかもしれませんが、メディアの歴史を研究する者としては、普通のものではなく、エキセントリックなものに興味を持ちます。どうしてこのようなものを研究すべきなのか?メディアは歴史にかけて繋がりがあるからです。例えば前の時代に短命に終わったものが、また戻って来て成功するかもしれません。それからメディアは歴史を通してですね、一旦下火になってまた蘇るものもあります。

例えば学生に、初期の映画で女性がダンスをしているだけの映像(エジソンの研究所で作ったもの)を見せると、「どんな人がこれを面白がるの?」とバカにされます。でも、今度はTikTokを見せると全く同じ踊りなんです。ですから初期の頃の映画というのは、今のメディアが良くわかる一つのヒントになります(皆さん、納得の声)。多くの学生がこういう初期の動画は関係ないのではないかと思うかもしれませんが、そしてまた、TikTokやネットフリックスがこれからどうなっていくのかと問いますが、私は、やはり前の歴史の繰り返しということで、それをみれば、これからのことがよくわかると思います。

紙と映画について、普通この話をするときには私は日本にはいません。絵巻物の話とか、漫画、紙芝居について説明しないといけないのですが、これらは全て紙でできた見世物だと考えて下さい。紙でできているのですが、動いているイメージです。紙では動いていないのですが、観客の立場から考えた時には、やはり「イメージは動いて見えます」。紙でできていてもルネサンス時代の美術品は固定された美術品となり、全然異なります。紙でできていても絵巻物の場合は、一つのストーリーを語っているものであって、繋がっている何かの動きがあるものだと理解しています。日本の文化には巻物のような見世物、紙でできた文化がたくさんあります。外国にも19世紀には、動いているイメージのものがあります。「飛び出し絵本」です。例えばメガンドルファーの『Always Jour』やキャロル・ブラウンの『Bookano Stories』(1931年)も動いて見える作品です。これは映画の技術と紙でできた技術「ペーパー・ゴースト」が折り合わされたものとなっていて、妖精が現れたり、消えたりします。作家のシアトル・ブラウンは映画家であり、紙も取り扱った作家でもありました。

今度は映画の方に移ります。紙でできたものがたくさんあります。ソーマトロープ(1824年)、kineographキネグラフ(1868年)など。ジョン・バーズ・リネットは最初のフリップブック(パラパラマンガ)をキネグラフとして特許を取得しました。フェナキスティコープ(1832年)もあります。これはシャッターを利用します。紙で作って動いているイメージを作りました。そうするとアニメーションに見えます。

次に紙と映画を具体的に考えていきます。1番最初に作られた紙フィルムは、アメリカで作られたものです。でもそれば上映目的で作られたものではありません。これらは著作権を握るために作ったものです。アメリカでは、1912年までの法律において、著作権を主張できるものは、紙でできたもののみでした。

これは一つの手紙です。ウィリアム・ケネディ・ディクソンが1893年にアメリカのトーマス・エジソンを相手に議会図書館に出したものです。彼は「ムービィングピクチャーズの唯一の所有権を持っている。生きている人の中では、僕だけがこれが出来る」と主張していますが、大きな嘘です。彼は、どうすれば映画の著作権があることを証明できるのか助言を求めていました。短期間の処置として、フィルムを紙に写して、それで著作権が生きてくる。この25分35秒の断片は、初めて著作権がとれたものです。ですから、これらの紙フィルムは上映目的のものではありません。あとで、この話に戻りますが、これは将来非常に価値があるものになりました。なぜなら日本の紙フィルムを保存する一つの技ともなったからです。

1932年東京のレフシー、1935年大阪の家庭トーキーが紙フィルムを作り出しました。各会社について研究する人もおられますが、私の場合は紙フィルムを見て研究するのが面白いです。ただ、見るのがとても難しい。このプロジェクトを始めて今は、紙フィルムをスキャンする段階です。私はこんなことをやるまで、映画を見たい人間です。やりがいは十分にあります。

紙フィルム自体について話します。一般的なフィルムは35㎜ですが、紙フィルムは26㎜より小さいものもあります。アニメーションが多く、実写のものもあります。自作という紙フィルムもありました。それは実見はしていませんが、塗り絵をして作るもの。1~3分ぐらいまでのものです。レフシーはパーフォレーション(送り孔)が1個、家庭トーキーは2個。4色オフセットプリントで白黒もあり、ティント効果が加えられているものもあります。映写機は少し変わったものです。「Epidascopic Projector」と呼ばれています。多くの映写機はフィルムが透明なので、フィルムの後ろに照明がありますが、紙フィルムの場合は透過しないので、紙フィルムの前に照明があります。紙を反射させてレンズを通して投影します。全て紙フィルムは反対になっていて、レンズを通して元の形で見ることが出来ます。広告や紙箱の記載で、どのようにマーケティングされたのかが分かります。子どもや新しいテクノロジーを少しいじりたい家族も買ったと思います。映写機も紙フィルムも多少値段が張ったと思いますので、購入したのは裕福な家庭じゃないかと思います。

次に紙フィルムを復元することについて話します。メディア考古学研究をしている知識からいろいろ引っ張り出して、米国議会図書館でこういうことがあったのだということで、このドキュメンタリー『Paper Film Story』(1953年)から一つのヒントを得ることができました。

1950年代になったころ、ペーパープリントのコレクションのことはほとんど忘れられていました。しかし、セルロイドのフィルム=ナイトレートフィルムは、だいぶん劣化していたので、ペーパープリントになっていたものの価値が皆さんに意識されるようになりました。今見ることが出来る昔の映画コレクションは、セルロイドでできたものではなく、ペーパーコレクションから取り出されたものだと思います。この機械は1950年代のものです。1コマ1コマ映像を写して次に元のセルロイドに写しています。それで最初に思いついたのは議会図書館に行って、この機械を探し出そうということでした。でも全てのペーパーフィルムを復元した後に、その機械をなくしていました。そのため、日本の紙フィルムの特質を考慮した新しい方法を考える必要がありました。

紙フィルムは手作りでした。40~50コマごとに接着剤で繋いでありました。そのためスキャンしてもバラつきがありました。でも米国議会図書館のフィルムは完ぺきでした。日本のパーフォレーションにも(上掲写真の様に)バラつきがありました。少し下がったものや、全くないものもありました。そこで日本の紙フィルムの特徴を考えた設計にしなければなりませんでした。

2019年来日の時はコーナン、ヨドバシカメラなどで探し回って1コマ1コマ撮影して保存することに挑みました。時間がかかり、バラツキもありました。1本の紙フィルムを撮影するのに4時間位かかり、手が疲れました。疲れると撮影したものもおかしくなってきました。そんな状況でもいくつかの紙フィルムを保存することが出来ました。でも影が出たり、安定していなかったり、ピントが合っていないこともありました。この経験が次の機械を作る希望になりました。その成果『攻略の精華』(レフシー)をご覧下さい。実写の映画です。2019年、ここのミュージアムで1コマずつ撮影して作ったものです。結果は悪くはないですが、完璧とは言えません。

『猿飛佐助漫遊記』も同様です。チャーミングで愛らしい映像ですので、新しい装置を作る楽しみとなっていました。

新しいプロセスを作り出すには、日本の妖怪の中にある「経凛々」の名称を使いました。私は単なる映画専門家の一人です。機械を作る人、ソフトウェアを作る人がチームには必要でした。機械工学の同僚に声を掛け、コンピューターサイエンスの同僚、日本語の同僚にも声を掛けました。2019年よりもっとうまくスキャンができて保存できるようにしたいと思っていました。この仕事を始めるのにワクワクしていて、アメリカ政府の方から申請した膨大な助成金が出て、それを利用して毎年夏に来て紙フィルムをスキャンさせて貰えることになりました。でも2020年にコロナが始まって日本に来るのを遅らさなければなりませんでした。でもその間、機械を作る時間がたくさんできました。コロナ禍は対面作業ができないので、一番最初のプロットタイプを自分の隔離された寝室でレゴを用いて作りました。おかげで仲間に「こういうことを考えています」という例を見せることができました。レゴに装填したのは草原真知子先生からお借りした紙フィルムでした。これから作りたい機械の設計がだんだん形になってきました。

優先した要素は①紙フィルムを非常に優しく取り扱うこと②紙フィルムになるべく触れないようすること③紙フィルムを破損しないように心がけること④1コマ1コマの撮影をより早く仕上げること⑤フィルムの安定化をはかること。

ハードウエアを設計した機械工学の学生Alina Arkoさん。彼女は本当のエンジニアです。それから、どういう部品が購入でき、どういう部品を作らないといけないかを考えました。3Dプリンターで作ったものもあります。CADの図面も書きました。そうして目の前にある機械ができました。いろいろテスティングはしましたし、おもちゃ映画ミュージアムから届いた紙フィルム2本も使ってテストしました。あとで実践しますが、紙フィルムを一貫してカメラの前で流していきます。真ん中のゲートを通っていく全てを撮影します。でもそれは半分だけ。残りの半分はビデオファイルを分析し、解析をするソフトの開発です。コンピューターサイエンスの学生ユーハン・チェンがそれを手掛けてくれました。先ず紙フィルムを6Kで撮影します。1秒間で60コマという速さです。シャッタースピードは1/480と非常に速いです。そうするとイメージの中のぼやけたところを防ぐことができます。それからソフトウェアが分析をしてコマがちゃんとなっているのかどうか探します。そうした結果を全て保存します。それを組み立てていきます。さらにダビンチ・リゾブル、アドビプレミア、アドビアフターアフェックスなど他のソフトウェアも使って次の段階に進みます。たくさんの段階を踏んでいかなくてはなりませんが、大切なのはきちんとこうした紙フィルムを保存することです。復元するのではなく保存するのが目的です。欠陥があっても、破れがあっても、そのままお見せしたいのです。

次は音についてです。サウンドトラックです。フィルムを音源と一緒に元通りに保存したいです。家庭トーキーはその名の通り、話が入っています。フィルムと共にレコードも販売していました。レフシーの場合は、市販のレコードと一緒に楽しめるフィルムを売っていました。その紙フィルムの裏に「スタート」の赤いスタンプが押してあるので、そこで音と同期させることができました。紙フィルムと音源をもう一回一緒にして保存したいのですが、なかなかそのレコードが見つかりません。おもちゃ映画ミュージアムが所蔵する『軍国祭』のフィルムとレコードの存在は、ここ4年間、紙フィルムがどれぐらいの速さで良いのかわからなかったのですが、レコードのおかげでそれが分かりました。

しかし、ことは簡単ではなく、フィルムスピードは103%、109%、97%、90%、103%、70%、80%、100%と紙フィルムごとに異なっていて、映像と音を同期化しようと思っても同じフィルムでも109%~70%の幅がありました。フィルムを一緒に見ましょう。『特急忠臣蔵』です。1930年代、たぶんこういう形でご覧になっていたのではないかという映像です。

(注:これは当館に紙フィルム、専用映写機、レコードが一緒に寄贈された嬉しさで、興味が勝り、早速蓄音機にSP盤をかけ、紙フィルムを映写機に掛けて投影し、同期させた様子を撮影した記録です。

映像をご覧になりながら、会場のあちこちから笑い声が起こっていました。皆さん良くご存じの「忠臣蔵」のお話ですから、江戸時代のお話なのにバイクが出てきたりして可笑しかったのでしょう。伝統文化の継承には、道具だけではなく、物語を語り継ぐことも大切だと改めて感じた次第です)。続けて2日前にスキャンしたばかりの映像を見て貰いました。作業中なので完全版ではありませんが、くっきり見えるイメージの正確さに気付いてもらえたと思います。

次は草原真知子先生からお借りした『河童おどり』。サウンドトラックはありませんが、一世を風靡した『東京音頭』と合わせて楽しんだものではないかと草原先生。確かに曲と映像がピッタリ合いました♪この作品は一番最初にスキャンしたものだそうです。

最後に当館所蔵『軍国祭』上下巻を音源と同期させて完成させたバージョンでご覧頂きました。この映像につきましては、後日YouTubeで公開できればと思っています。来館の皆様にはそれまで、随時お声がけ下さればご覧に入れます。なお、この作品上映前に私の方から、家庭トーキーのレコード『特急忠臣蔵』を貸し出した際、半分に破損されてしまった経緯について説明をさせていただきました。詳細につきましては割愛しますが、参加した皆様から「余りに酷い」という言葉をかけて頂きました。今も納得できずにおりますが、ここではこれだけにしておきます。

これで研究発表を終え、質疑応答の時間に。草原先生からは「ベビートーキーと同じ時期のものではないか?」

という発言があったので、慌てて持ってきました。蓄音機の上にレコードをかけ、その中央にこれを載せると音楽と一緒に絵が動いて見える道具。早慶戦や肉弾三勇士、チャップリンの絵もあります。草原先生によれば「時事的なものがゾートロープになるのは、西洋のものには無い」のだそうです。ということで、話の流れから、私は3月のマジック・ランタン展の時にも紹介した「レフシー幻燈」について紹介しました。日本の紙文化を一生懸命調べておられたアン・へリング先生が存命なら、どんなに楽しいお話が聞けたことかしら」と心底残念に思いました。雑誌に載っていた続きマンガを切って繋いで長いフィルム状にして遊ぶのも寄贈品の中には含まれていました。こうした遊び道具の話を、おしゃべりしているうちに、ひょっとしたら「あら、うちに残っていますよ」ということになりはしないかと私などは思うのです。忘れられたかつての子どもたちを夢中にさせた紙製遊具。皆さんのお宅に残っていたら、ぜひご連絡下さい。

最後にエリック先生は「紙フィルムは、僕が知っている範囲では他の国にはありません。紙を使ってイメージする伝統文化が日本には昔からあったから、紙フィルムを作るのも当然のことだと思っています。一番良い方法ではないかもしれず、簡単なものでもないかと思いますが、そうは言いながらも存在している。だからこそ面白いのです。」と締めくくりました。

お決まりの集合写真。皆様ようこそおいで下さいました。遠方からもお越し下さり、心より御礼を申し上げます。

この後は、「きょうりんりん」の傍に寄って、エリック先生に実際の動作を実演して貰いました。男性陣は機械に興味をお持ちの方が多かったですね。実際凄い高価な機械です。

皆さん興味津々でご覧になっていました。来年はもう一台持って来日するだろうとのこと。「1台作ってしまえば、あとは簡単だから」「国からの助成金がたくさん入ったから」と羨ましい答え。日本で誰かが、紙フィルムのデジタル保存をしたいと申請しても、おそらく通りませんね。「エリック先生のプレゼンがよほど上手だったのでしょう」と申しましたら「私は運が良かったです」と微笑んでおられました。そのおかげで、こうして貴重な「日本独自のメディア」紙フィルムがデジタル保存されることになるのですから、アメリカに足を向けて寝られませんね。

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