2025.02.08column
当館に関連した新聞記事4つ~その3
今日も厳しい寒さで、日本中が震え上がっています。京都市内も雪が積もり、車で新拠点へ棚板などを運ぶ作業は断念せざるを得ません。暦の上では2月3日から春なのですが、「春は名のみの 風の寒さや」(『早春賦』)ですね。本物の春の到来が待ち遠しい。
さて、当館に関連する新聞記事の3番目は、2月5日読売新聞夕刊掲載の下掲記事です。この日も時折粉雪が舞う寒い日でしたが、西陣での片付けを終えて壬生の町家に戻ったところ、執筆した岩崎祐也記者さんから刷りたての夕刊が届いていました。わざわざ届けて下さった思いやりが嬉しいです。
思い返せば2022年8月3日~10月2日、12月1日~12月25日の2回にわたり、展示「『シベリア抑留』って、知っていますか?」を行い、12月18日に同志社大学今出川キャンパスで最初の共催事業「シベリア抑留って知っていますか?Part2 女性抑留経験者の証言映像と講演」をしました。終了後にJSP(降伏日本兵)研究をされている岡山大学の中尾知代先生から声をかけられ、「南方抑留を記録したスケッチ画が残っている」と教えて貰いました。不勉強で「南方抑留」についてあまり知らなかった私は早速、このスケッチ画群に最初に注目された長崎新聞犬塚泉記者さんを通じて、スケッチ画所有者の野田明廣さんに繋いでもらいました。
そして、野田さんの全面協力を得てスケッチ画をお借りして2023年11月1日~12月24日「敗戦後、強制労働させられた降伏日本兵のひとり、野田明が残したマレー抑留のスケッチ画展」を開催しました。その折のことは、ホームページでも書いていますが、こちらの京都新聞の記事が分かり易いです。そして12月2日に同志社大学との共催でシンポジウム「証言とスケッチ画で蘇る“南方抑留”の苦難、敗戦後東南アジアで抑留された日本兵」を開催しました。その様子はブログでも書きましたが、当館YouTubeチャンネルでPart1とPart2 に分けてご覧になれます。
その催しの最後に、展覧会だけでなくシンポジウム会場でも展示していた文集『噴焔』について、私から「スケッチ画もですが、この文集が大変貴重な資料だと思います。どなたか翻刻に協力して頂けませんか?」と呼びかけました。会場で聴講されていたお一人に、京都大学東南アジア地域研究研究所准教授山本博之先生の奥様、後藤多恵先生がおられました。お二人は共に高校時代にマレーに交換留学生として行かれた経験がおありで、彼の地の事情に詳しく、内容に大変興味を持って下さいました。2日夜出張から戻られたばかりの山本先生にシンポジウムのことをお話をされ、翌3日にご夫妻で来館。実際に展示をご覧になりながら、直ぐに「『噴焔』復刻をやってみましょう」ということになりました。
それから僅か10か月で、見事に復刻され、本になりました。写真は寄贈頂いた2024年10月29日の記念写真です。癖字も多く、判読はさぞかし大変だっただろうと思います。翻刻には書道の先生をされている奥様のお母さまも尽力されたのだとか。ご家族の応援あっての立派なお仕事です。
山本先生から6日に「ご紹介いただいた岩崎祐也さんに取材していただいた『噴焔』と野田明さんのスケッチの記事が読売新聞に掲載されました。 https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20250205-OYO1T50040/ おかげさまでより多くの人が『噴焔』とスケッチについて知ることができるようになり、南方抑留について考える機会が増えたと思います。どうもありがとうございました。」とメールが届きました。
記事では、京都大学のサイトで全文カラーで公開されていることにまでは触れていませんが、昨年12月から、『噴焔』の翻刻と野田明さんのスケッチを紹介する報告書が京都大学学術情報レ ポジトリで全文公開されています。 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/290672
若い岩崎記者さんは、東京にある「帰還者たちの記憶ミュージアム」を訪ね、増田弘館長さんからいろいろ教わって、その時得たコメントを記事の最後に紹介されています。頂いたメールに、「資料館にも多くの資料や遺品があり、戦争について我々世代が報じねばならぬと思いを新たにした次第です。」とありました。ペンは大きな力を持っています。二度と戦争をすることがないよう、過去に学んで平和を継続できるよう彼の今後に期待すると同時に、私たち一人一人も考え続けなければならないと改めて思います。
長崎県佐世保市の野田さん宅では読売新聞を読んでおられますが、夕刊が届かない地域なのだそうです。タイムリーに読んでいただくことはできませんでしたが、きっと明さんの遺影に新聞掲載のことを報告されたことでしょう。これまであまり知られていなかった南方抑留ですが、これを契機に広く知られ、研究が進展することを願っています。
長くなって恐縮ですが、下掲はシンポジウム後に長崎新聞の犬塚記者さんが書いて下さった記事です。
小見出しに「課題は保存活用」とあります。野田さんは、お父さまが命懸けで持ち帰られたスケッチ画と文集の「ふさわしい寄贈先を探している」と記事にあります。改めて読み直しながら、頭の中をよぎったのは、京都新聞1月7日付け戦後80年連載「巡り糸」第1部「結ぶ」⑤「遺品の行方」でした。全国の博物館や資料館は今、戦争遺品を含めた収蔵品の保管スペースの限界に直面していて、資料整理に踏み切る施設も出てきているそうです。野田さんが持ち帰られたスケッチ画と文集は山本先生の尽力によって本に収録し、ネットでアクセスすれば見ることができるから良いではないかとは言えず、唯一無二の「モノ」が放つ意義は大きいです。どうか、良い保存先が見つかりますようにと祈るばかりです。