2025.03.23column
壬生ミュージアムの最後と西陣ミュージアムの看板上げ(2)
さて、3月16日壬生町家で原状回復作業の続きです。
私が大好きな宇山さん手作りの裏木戸。16㎜フィルムのリールが挟んであります。映画に関する場所だというのが一目で分かります。美術のセット用に持ち帰る案もありましたが、願うことならこのドアを使ってもらいたいところです。
「良い仕事してんなぁ」と自画自賛の宇山さん。「ハイ、その通り」。
裏木戸の前で記念写真。向かって左に写っているのは町内でお祀りしているお地蔵様。写ってはいませんが、向かって右には長野弁財天が祀られています。神様仏様に守られて無事に10年過ごすことができました。
3月18日(水)朝の壬生町家内。津田さんにも来てもらって廃材を処分する段取りです。
向かって右から宇山さん、津田さん、伊能さん。今回も大変お世話になりました。感謝で一杯です。
津田さんが2往復して廃材処理に行って下さっている間に、宇山さんと伊能さんは西陣の町家へ。
無駄のない動きをする宇山さんらしく、私が気が付いた時には、既に看板を据え付ける2か所の土台を屋根の上に設置済み。
伊能さんが看板を担ぎ上げて小屋根に据え付けているところ。京都南座の吉例顔見世興行のまねき書き4代目井上玉清さんに独特の書体「勘亭流」で2016年12月に書 いて貰った「玩具映画博物館」の大きな看板です。一年毎の「まねき」と違って「玉清」の落款があります。
これは完成した時の記念写真。縁起を担ぎ、隅から隅まで客席が埋まって盛況となるよう、空白部分が少ない独特の書体です。無事に新拠点でも飾ることができて何よりです。
そして、看板の上に小屋根も取り付けました。下ではためいているのは姉が手作りしてくれた暖簾です。姉も年を重ねてきましたから「次回作ることができないかも知れない」と2枚作ってくれたうちの1枚。麻が入っているのでしっかりした素材です。手先が器用な姉をもって私は幸せ者です💗ありがとう、お姉ちゃん💕
2025年3月18日午後、宇山さん、伊能さんによって無事看板を取り付けることができました。10年前も、そして今も大いに助けて貰いました。ありがとうございました‼
この頃、まだ大工の津田さんは廃材の処分で大変だった様子。津田さんが原状回復工事を引き受けて下さったおかげで、この瞬間を得ることができました。大いに感謝しています‼
そして、翌3月19日(水)の壬生の町家の眺め。
気に入っていた裏庭に面した北側の壁面は、きっと庭が中からも十分眺められるようにガラス張りに変わるのでしょう。宇山さんの仕事の思い出で、大好きな眺めなので、しっかり目に焼き付けました。
右端にはシャワーの設備もあったのですが、きっとこの眺めも変わるのでしょう。「こんなに手を加えるくらいなら、賃貸ではなく買えばよかったのに」と助言してくれた建築家の知り合いがおられましたが、10年前には買うだけの資金が、今もですが無かったです。あったのは「一刻も早く無声映画を救いたい」という思いだけでした。この建築家の助言を次の入居者の「鳥さき」さんにも思いますが、それぞれのお考えがあるのでしょう。宇山さんたちと「焼き鳥屋さんが開店したら、みんなで予約して食べにこよう‼」と話しています。どんな風なお店になるのか、大いに楽しみです。良い方が次に決まって、私どもとしても本当に嬉しいです。オーナーさんの畑さんとは「これからも相互に宣伝で協力しましょう‼」と話しています。
照明器具を外しているので暗いですが、立ち合って下さった不動産屋さんに撮って貰いました。10年間の思い出が詰まった場所です。ここでやれることは精一杯やってきたという思いです。
この後、壬生の町家の鍵を不動産屋さんにお返しして、この場所での最後の写真を撮りました。ここで出会った皆様に、ご支援して下さった皆様に心より御礼を申し上げます。ありがとうございました!!!!!そして、良ければ、西陣の拠点にもぜひ遊びにいらして下さい。
最後に西陣での拠点のチラシを掲載します。