おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2017.01.10column

宮野起氏発表会「映画音声の保存と修復」終える

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1月8日、予定通りハリウッドで活躍されている宮野起さん(静岡県出身)による発表「映画音声の保存と修復~オーディオ・メカニクスの仕事を中心に」を開催しました。

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朝日新聞の記事を読んで来られた方、映画館に置かれていたチラシを見て来てくださった方もおられて、映画音声の修復に関心がある方が貴重な時間を割いて聴講して下さいました。年明け早々で生憎の雨模様もあって、参加者は少ない目でしたが、その顔ぶれは、実際に音源や、フィルムの修復に関わっておられる方、音響の専門家、大学教授、映画製作会社の方、大映時代の録音技師が所蔵されていた音源を管理されている方など聴いてもらいたい立場の人々が集まってくださいました。

これまで携われた仕事の例を挙げ、実際に音源を聞き比べながら、わかりやすく解説していただきました。作品完成から保存までに生じる問題には、①素材の劣化、②素材の散逸、③技術の変化の3つをあげて具体的にお話くださいました。素材の劣化については、第3世代であるポリエスター(PET)ベースで見られるバインダー(糊)の劣化の話から始まり、アセテート・フィルムのビネガーシンドローム、1960年代から可燃性のナイトレート(セルロイド)フィルㇺの廃棄で、歴史的に貴重な映画のネガが大量に廃棄され、それを見かねたUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の人々がボランティアで集め始めたのが、今日米国で2番目に大きいアーカイブ団体となっているという話など、素人の私には初めて知った事柄もあり、とても興味深かったです。

改めて手元の年表を見ると、日本に文化庁が設置されたのは1968年、その2年後に東京国立近代美術館フィルムセンターが開館しています。戦後GHQが接収していったフィルムの返還があり、それらのフィルムを収容する施設ということで、フィルムセンターが設置されました。1939年に創設された国際フィルム・アーカイブ連盟(FIAF)に正式会員になったのが1993年。世界的には、半世紀の遅れがあります。もっと早くにアーカイブに注目していたら、戦前の名作がもう少し救出できたのにと惜しく思います。

散逸についての原因は①災害によるもの、②保管場所の変更や素材の所有権移転に伴う紛失、③廃棄や作品完成後ラボに置き去りの素材を挙げておられました。特に最後に挙げたものには「素材の重要性が所有者に認識されていない場合が多い」と述べられ、どれもなるほどと思いながら聞いていました。

印象に残った言葉から、いくつか▼音がいくらクリアーで良くても、元の作品の音源と異なる修復ではいけない▼欠損箇所の復元は可能でも、モノクロ作品をカラーにするような行き過ぎとなる復元には問題があり、復元者のモラルの問題がある▼当時の機械には限界があり、機械自体を復元する場合もあり、録音技術に対する理解が欠かせない▼当時の人の記憶に頼りすぎると、違うものになるケースもある。実際にある音源をできる限り集め、その中から記録に基づき、最良の音源から、客観的に復元する▼音をいじりすぎない。何がオリジナルかは議論し尽くせるまで行い、復元に着手する。など。

最も強く印象に残ったのは、市川崑監督の『東京オリンピック』の例を挙げ、2004年に監督自ら行ったバージョンと、2012年に国際オリンピック協会(IOC)が行った復元版とを比べ、「完璧な復元は有り得ない。モデルとするものはあるが、復元のゴールはいろんな解釈があり、いろんなやり方がある。映画保存に終わりはない」です。以前「映画の復元と保存に関するワークショップ」でも、『東京オリンピック』復元の話をされましたが、復元のために世界中から可能な限りオリジナルに近いものを探す努力をされている姿勢に、凄いなぁと感じ入ったことを思い出しました。残った映像をただ綺麗にするのではない音声修復の話は、参加した人たちの心にも強く残ったことだろうと思います。

dsc09585-2米国へ帰国される前日という慌ただしい中、快く発表を引き受けてくださった宮野さんはじめ、雨の中をも厭わず、お忙しい中参加して下さった皆様に心から御礼申し上げます。おかげで充実した催しができました。ありがとうございました。

 

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