おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2017.07.18column

7月1日、『なまくら刀』公開100周年記念祭

 4月2日から始まった「にっぽんアニメーションことはじめ~『動く漫画』のパイオニアたち」展は、7月2日に無事終了しました。昨年末頃、会場となった京都国際マンガミュージアムの應矢泰紀さんにAnimation As Communicationの森下豊美さん、新美ぬゑさんを紹介いただき、企画に賛同し、当館もできる範囲の協力をさせていただきました。

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気付いた範囲の新聞スクラップです。他にもあったことでしょうが、このように報道していただけて良かったなぁと思います。最終日前日の7月1日は、『なまくら刀』公開100周年記念祭開催。ということで、ミュージアムを早く閉めて駆け付けました。DSC01304 (2)久々の展示会場。当館のコーナーもあり、ここで見学して興味を持ち、来館いただいた方が何人もおられます。

DSC01306この日は、日ごろ温かい応援をいただいているアニメーション史研究の渡辺泰先生の講演があり、私は日ごろから電話や手紙で交流させていただいていますが、実際にお会いするのは初めて。この写真手前の帽子を被っておられる紳士が渡辺先生。森下さんに案内されて席につかれたとき、ご挨拶したら電話でいつも聞くお声。思わず「あぁ、確かにこの声です。いつもありがとうございます。直接お会いできて嬉しいです」と私。

そうしたら先生は「あなたに上げようと思って持ってきました」と言って、色紙を手渡してくださいました。

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渡辺先生が、尊敬する日本アニメ―ション協会会長の古川タク先生から受け取られた色紙をわざわざコピーして、厚紙に貼って用意してくださったもの。6月25日に古川先生をお招きして上映会を開催したことを本当に自分のことのように喜んでくださっているのだとわかり、熱い思いが込み上げてきました。是非にとお願いして、終演後、渡辺先生にもサインしていただきました。「えぇっ」と最初は辞退されましたが、右上に遠慮気味に小さくサインと共に大好きなミッキーちゃんのイラストも添えていただきました。この色紙は、もちろん私の宝物。そして、古川先生にもプリントアウトしてお送りしました。

みんながカメラを向けているのが、コレクターで映像文化史研究の松本夏樹さん(写真手前に腰かけている白いスーツに黄緑色のストール姿の紳士)所有のおもちゃ映写機。2007年夏に松本さんは、大阪の骨董市で貴重なフィルムを見つけました。それが今回の催しのテーマ『なまくら刀』でした。100年前の1917年6月に、漫画家の幸内純一が同じく漫画家の前川千帆と合作して公開したのが『塙凹内名刀之巻』で、通称『なまくら刀』。目下、フィルムが現存する日本最古のアニメーションとされています。フィルムを見つけた松本さんから興味深い話も聞けました。フィルムの蓋に「尾上松之助のなまくら刀」と書いてあったそうです。当時「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助がいた日活と、幸内がいた小林商会はライバル社。そういわれてみれば『なまくら刀』のお侍は、目がギョロギョロして「目玉の松ちゃん」に似ているかも。

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4月に展覧会が始まって間もなく見学に訪れた松本さんは、7月1日のイベントで、この『なまくら刀』を自ら所有するおもちゃ映写機で上映することを提案されました。私共は、早くから初期の国産アニメーションをただ上映するだけでなく、往時のように活弁と生演奏でご覧いただくことを提案していましたので、この日は、まさに往時を追体験する貴重な上映会となりました。みんなスクリーンの近くに寄り集まって、松本さんが手回しする映写機の音も聞きながら、大森くみこさんの活弁と鳥飼りょうさんの演奏付きで、100年前のアニメーションに目を凝らしました。

DSC01317引き続いて、森下さんとお仲間の高田苑美さんらが制作した「平成版下川凹天トリビュート作品」、北山清太郎の『太郎の兵隊 潜航艇の巻』と言われる短い映像をもとにしたアニメーション、当館所蔵戦前のアニメーション集を二人の見事なパフォーマンスで魅せてくれました。後頭部が写っているのは渡辺先生。この後の講演で「サイレントに活弁を大阪流にユーモラスにやっていただけて良かった」と褒めておられました。

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 第2部は渡辺先生と、森下豊美さん、そして、新美ぬゑさんが登壇。アニメーション愛に満ちている渡辺先生の頭の中には、コンピューターも及ばないであろう知識がギッシリ。時間がなくて思ったことの何分の一しか話せなかったことを惜しんでおられました。世界で最初に公開された作品は1906年4月16日にアメリカで公開されたスチュアート・ブラックトン監督『愉快な百面相(邦題)』なんだそうです。今、YouTubeでこれを見られたのにビックリ。日本で外国アニメーションが上映されたのは、1907(明治40)年8月2日、東京の八千代館で「奇妙なるボールド(黒板)」、吉沢商店が輸入した作品だそうです。アメリカで公開されて僅か1年後に吉沢商店経由で日本に輸入されて公開されていたのです。日本で国産アニメーションが初公開されたのはその10年後のことなんですね。各映画会社が、「凸坊新画帖(アニメーション)」人気に目をつけて、国産アニメを作ってお金儲けをしようとし、小林商会を作った小林喜三郎が漫画家の下川凹天に目をつけます。渡辺先生曰く「お金につられて下川さんが引き受けたのではないか」。試行錯誤しながら1917(大正6)年1月、天活(天然色活動写真株式会社)系の浅草キネマ倶楽部で公開しましたが、公開日は今もわからないそうです。これが国産アニメの第1号。

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下川凹天の漫画「芋川椋三とブル」。彼の作品だけが一本も見つかっていません。でも、どこかに眠っているかもしれません。見つかったら大発見、まちがいなし。パイオニアの一人で企業家的才能があった北山清太郎は、劇場で前座として上映されるアニメーションに興味を持ち、ツテを頼りに日活に入社。若い画家の卵にアニメーションを教えて、1917年5月20日浅草オペラ館で『猿蟹合戦』を公開。その時のスチールが残っているそうです。私の隣には北山清太郎のお孫さんが座っておられ、上映した当館所蔵アニメーションの内、最後から2番目の『お伽のおじいさん』はタイトル文字が北山が教えた形だったと教えてくださいました。北山はアートタイトルに貢献。メインタイトル、字幕を美術的に書くことを上層部に提言したのだそうです。いろんな人の知恵・知識で、所蔵アニメーションの素性が解明されれば良いなぁと思います。

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向かって左から、新美ぬゑさん、森下豊美さん、渡辺泰先生、松本夏樹さん、大森くみこさん、鳥飼りょうさん。皆さま、お疲れさまでした。楽しい催しでした。IMG_2896.JPG 渡辺泰先生と2017年7月1日 (2) - コピー

最後に、渡辺先生と大森くみこさんと一緒に記念写真。13日に渡辺先生から暑中見舞いのハガキが届きました。そこに「小生の話は面白いエピソードもあったのですが、時間切れで残念でした。また機会がありましたら、おもちゃ映画ミュージアムで展覧会やらせてください。東映動画の歴史展とか、ディズニー・ポスター展とか、セル画展などできると思います」と綴られていて、とても嬉しく思いました。もちろん大歓迎です。

ほとんど外出されない先生ですが、7月1日の催しに参加されて、これからは外にも出てみようと思われたのでしたら素晴らしいことです‼

 

 

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