おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2017.09.10column

大盛会!OKINAWA 8ミリ映画発掘公開プロジェクト「市民が写した沖縄戦後史」

9月8日18時半から㈱シネマ沖縄と一緒に開催したOKINAWA 8ミリ映画発掘公開プロジェクト「市民が写した沖縄戦後史」は、京都だけでなく東京や名古屋からも駆けつけてくださり、超満員で蓋を開けました。マスコミ4社が催しのことを事前に紹介して下さったことで、これまで当館のことをご存知ない方も、沖縄への関心からおいでくださったようです。

 解説で大活躍してくださいましたシネマ沖縄の「沖縄アーカイブ研究所』プロデューサー、真喜屋力さんが撮影して下さった動画です。

中に元国会議員・野中廣務さんのお姿が写っています。事務所の方から予約の電話をいただいたときは「えっ」と驚きましたが、ネットでこれまでの野中さんの活動を振り返ってみますと、沖縄への関心の高さがうかがえます。9月7日付け朝日新聞朝刊に掲載された催し案内の記事を読まれてお申込みいただきました。特に公表を望まれなかったので、敢えて特別なことはしませんでした。来月25日で満92歳になられますが、やはりオーラがあります。

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実は私が母親のように慕っている小林(旧姓中野)光子さんから、若いころの野中さんの話を何度も聞いておりましたので、勝手に親しみを感じていた方でもあります。お二人は京都府北部で園部青年会会長と副会長をされて、地域の青年団活動を熱心にされていた仲間でした。後に、野中さんは自由民主党幹事長を務められ、彼女の方はどちらかといえばその対立政党の思想に近いのですが、共に悲惨な戦争経験があることから、二度と戦争を繰り返してはならないというのは一致しています。

1997年、沖縄県の米軍基地用地確保を続けるため橋本内閣が米軍用地特別措置法改正案を出したとき、改正案の特別委員長を務めた野中さんは、衆議院本会議で行った委員会報告の最後に、緊張で腕を震わせながら「この法案がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないようことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります」と原稿にはなかった文言を付け加えられました(ネットに動画あり)。この発言は物議をかもし、国会会議録からは削除されているそうですが、「沖縄の痛みや日本外交の今後を考えると、法案はもっと緊張感を持って通すべきだったと思い、警鐘を鳴らす意味を込めて削除覚悟であえて発言した」と後に語っておられます。

今年7月4日付け産経新聞によれば、安倍首相が目指す憲法改正について「私みたいに戦争に行き、死なずに帰ってきた人間としては、再び戦争になるような歴史を歩むべきではない、これが信念だ」と反対を唱えておられます。戦争を経験していない世襲議員が政の権力を手にしている今、この忠告にもっと耳を傾けて欲しいものです。

後日参加のお礼の電話を入れて秘書の方経由でお尋ねしたところ、イベントをご覧になっての感想は「沖縄への関心をずっと持ち続けていて、沖縄戦前後の映像がもっと観られると思って参加した。沖縄の映像を集めておられる真喜屋さんたちの活動を知って、感心している」とのことでした。

1960~70年代に8㍉フィルムで撮影するホームムービーが流行します。そのため前半にご覧いただいた「市民が写した映像」は、戦後直後の映像というわけではなく、米国統治から日本復帰を経て復興して行く沖縄の人々の暮らしと風景を写しています。後半でご覧いただいた1932年の沖縄の映像は、戦争で大きく傷付く前の穏やかで美しい沖縄が記録されていて、戦前の沖縄を知る貴重な映像です。いずれも沖縄在住の真喜屋さんのわかりやすい解説付きで見せていただきました。下掲写真のスクリーン右に立っておられるのが真喜屋力さん、スクリーン左に座っておられるのがアシスタントの仲間公彦さん。

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真喜屋さんは「デジタルアーカイブの仕事を3年前から始めた。沖縄に公文書館があるが、映像はそんなに数がない。昨年から沖縄の記録映画だけでなく、8㍉映画も集め出した。8㍉は作家の作品としてなかなか認めてもらえないが、歴史的に貴重なので、とりあえず集めた映像は皆さんが見られるようにして、その上で『これは良いぞ』となったら、博物館などしかるべきところで保存して貰えるようにしたい」と話されました。

3年前に活動を始めた理由の一つは、偶然8日上映会の準備中にわかりました。翻訳ボランティアをして下さっている吉川恵子さんが来訪され、私とおしゃべりをしている背後で、連れ合いが『映画探偵』著者・高槻真樹さんの夫人だと教えたようです。それを聞いた真喜屋さんは、「『映画探偵』を読んで、貴重な映像を発掘して保存することが大切だと思うようになった」のだと話されたそうです。2015年11月に真喜屋さんが当館を訪問されたのも、同本に連れ合いの活動が紹介されて興味を持たれたからなのかもしれませんね。1冊の本が、いろんな出会いを生み、貴重な映像を発掘し、修復し、保存する活動に繋がっていることがわかった嬉しい瞬間でした。

当日見せていただいた8㍉映像は以下に。いずれも沖縄以外での上映は初めてのことで、お声がけいただいたことを大変光栄に思っています。

☆沖縄にあった沖縄三越と山形屋のデパート屋上にあった遊園地(1974年)、60年代後半の嘉手納カーニバル(祭りは今も継続)、戦争の被害に遭っていない中城城址公園中城自然公園(今は世界遺産)に作られた遊園地の映像。

☆名護で写真館「オリオンスタジオ」を経営していたアマチュアカメラマン・屋冨祖正弘さん撮影の映像。

 ・名護町の「海神祭」(1960年代)…今は埋め立てで海岸は変わってしまったそうです。現在も沖縄各地でやっている「ハーリー船競技」の映像。

 ・エイサーコンクール(1970年前後)…今は「全島エイサーまつり」と名称を替え、今年も9月15~17日までコザ運動公園陸上競技場他で開催されました。1956年「コザ市誕生」を機にエイサーコンクールとして始まりましたが、それぞれの地域の特色を披露するので「コンクール」から「まつり」に変更。夏の風物詩として約30万人が訪れるそうです。以前職場に沖縄出身の若者がいて、彼に教えて貰って大阪市大正区のエイサーまつりを見に行ったことを懐かしく思い出しました。昔は襟付きの白ワイシャツに白パンツ姿でしたが、今は着物風でだんだん沖縄らしく変化しています。復帰前の映像なので、日の丸がたくさん写っていました。

・与那原の綱曳…大綱の上に毎年異なる芝居の恰好をした出し物があり、その調査から1970年の映像だと特定されました。豊年祝いの行事で、小さな集落から戦後始まった祭りで、今も盛んに行われ、大勢の人で賑わうそうです。

・塩屋の海神(うんじゃみ、1970年ぐらい)…神女(ノロ)が神聖な所に籠って神様に祈りを捧げます。ノロが全身に白い衣装をつけると神様への連絡役になります。今は年配の人が少なくなりましたが、神聖な祭祀は継続されているそうです。私は民俗にとても興味があるので、無音の映像だけでは物足りず、「音が聞いてみたい」とつい口に出してしまいました。「録音したのがあるとは思うが、屋冨祖さんが亡くなっているので、探せない。この時期、民俗学者が何人も来て録音しているので、この映像をオープンにして情報提供を呼びかければ、ひょっとしたら音が見つかって映像に重ねていくこともできるかもしれない」と真喜屋さん。この頃テレビはまだ白黒でしたが、屋冨祖さんの映像はカラーなので、万一音が見つかって重ねることができれば、益々貴重な資料となります。

・イルカの大陸 赤い海(1960~1962年)…ちょっと衝撃的な映像で、見た後も引きずりました。惜しいのは映像の真ん中に、ずっと縦に傷が入っていたこと。映写機にフィルムを装填した時に、ゲートかどこかに埃やフィルムの滓とかがあって、それによって付いた傷かもしれません。惜しいかな、音声も乱れていて。でもこれだけまとまってイルカ漁が撮影されている映像は他になく、大変貴重な記録映像です。海水や潮風に曝されることはカメラにとって負担がかかり痛む原因になるのですが、3つの港から集まって追い込み漁をする人々や海辺に集まった夥しい人々の表情もレンズに収めて、屋冨祖さんの撮影への強い思いが伝わってきます。解体を手伝うと肉が貰えるので農家の人々も駆けつけます。イルカ漁をすると3日間市が立つくらい名護の街は潤いました。イルカ漁がなくなったのは1980年代後半ぐらい。今はそんなにイルカも来ないそうですが、漁をするには知事の許可がいるとのこと。イルカの血で真っ赤に染まった海の映像を見ながら思ったのは、誰かが作為的にこの映像の一部だけを取り上げて、ネットにUPしたらどうなるだろうかという心配でした。そうしたことが起こらないためにも、真喜屋さんがおっしゃるように「きちんと元の映像はしかるべきところに保存しておく必要がある」と思いました。

☆今93歳の遠藤保雄さんが撮影した映像…1951年から街の記録を残す意識を持って8㍉撮影をしていた遠藤さんは、今年4月24日第9回沖縄国際映画祭でレッドカーペットを歩き、遅まきながら監督デビュー。「デジタルで甦る8㍉の沖縄」は、整理券が無くなり入場できない人もおられたほど超満員に。

・「糸満祭」(1957年)…旧暦8月15日恒例の豊年祭で、仮装行列と大綱引きを撮影したもの。

・日本海軍最後の特務艦として活躍した経歴を持つ「宗谷」が沖縄にきた時の映像(1960年)…乗組員の一人が沖縄出身者であった縁から寄港したそうです。

・アイゼンハワー大統領が沖縄にきた時の映像…ケネディ暗殺の2年前の映像で、今から思えば無防備にオープンカーで立って手を振る様子が写っています。

他にも、子どもたちを撮ったホーム・ムービーを4本を見た後、8㍉映写機で「ジュリ馬の行列」(1970年)を見ました。辻の町に活気があった頃、料亭がたくさんあり、遊郭でジュリと呼ばれる遊女たちが顔見世的に馬に乗っているイメージで、鈴を振りながらパレードする、とてもカラフルで綺麗なお祭りです。1972年の本土復帰後に一時中止されましたが、文化として残そうと最近復活。音源は昨年のパレードの時に録音したものを映像に合わせて見せていただきました。この年ハワイへ嫁いでいく人が、沖縄を離れる前にハワイの人にも見せようということで、何本か祭りの映像を撮影したうちの一本だそうです。

そして、休憩をはさんでもう一つの貴重な記録映像を見せていただきました。朝日新聞記事で紹介いただいた『沖縄縣の名所古蹟の實況』(1932年)です。詳しくは、上掲リンクをクリックしてご覧ください。幸運にもサイレントピアニストの鳥飼りょうさんが参加して下さいましたので、いつもの無茶ぶりを発揮して「ピアノで演奏して欲しい」と依頼して快諾を得ました。

サイレント映画を無音で見るのは少々しんどいので、この提案はお客様にも拍手で迎えられ、好評でした。後に真喜屋さんは、「ピアノ演奏で説明していると、自分が活弁士になったような気分で」と書いてくださいましたが、それで良いのです。真喜屋さんには、ぜひ沖縄でもサイレント映画ピアニストを育ててくださいとお願いしました。音があると無声映画はウンと違いますから。

拝見するまでは存じませんでしたが、映画には、「川津旅館」前で車を降りてくる吉野二郎監督、移民の父と呼ばれている當山久三の銅像に正装してお参りに来たプロデューサー・渡口政善が写っていました。終盤は綺麗な湊町の渡久地全景が写り、撮影が終わった吉野監督が挨拶をして手を振りながら大きな客船に乗り込んで帰るところで記録映画は終わっています。船から那覇港を撮った写真は余りなく、資料的にも貴重だそうです。

1932年にハワイに移民して成功した渡口政善が、京都の撮影所でも活躍した吉野二郎を雇って沖縄ロケで制作したのは『執念の毒蛇』(2002年の段階で著作権保護期間が満了)で、復帰後にも何度か上映されていますが、併映作品として作られたのが、今回真喜屋さんたちがビデオから復元した『沖縄縣の名所古蹟の實況』でした。ただ、残念ながらこの作品にはクレジットがないため、限りなくパブリック・ドメインに近いとはいえ、グレーだということで、今は誰が権利者なのか探し始めたばかり。監督が京都縁ということもあって、その手掛かりを求めるということで、今回の上映になりました。9月2、3日ハワイのホノルル市内で開催された「オキナワフェスティバル」での上映に続き、二回目の情報を求めての公開となりました。何かご存知のことがあれば、ぜひお知らせください。せっかく復元した貴重な映像ですから、広く活用できるようになればと願います。

真喜屋さんの調査によれば、渡口政善は13歳の時に、渡久地港近くからハワイに移民したそうです。作品終盤に写った渡久地港の眺めは、彼にとって、自らが辿った道をもう一度辿りながら記録した映像だったということになります。単なる観光名所を記録した映像ではなかったのですね。

上映を終えた真喜屋さんは、これまでの経験から「昔の映像を眠ったままにして置くのはもったいない。いろんな人の意見も聞きながら、盛り上げていけるよう、これからも活動して行きます」と力強く結んで、マイクを置かれました。

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最後にいつもの集合写真を撮ろうと2階に上がったまでは良かったのですが、満員の様子に感激して、カメラの点検を手ぬかり。メモリーカード装填を忘れているのに気付かずに、シャッターを押していました。つまりは撮れていなかったのです。この後の素麺パーティーまでは上機嫌だったのですが、お開きになり、片付けを終えて「さぁて、写真を」とカメラを覗いて、真っ青になりました。ここに掲載したのは、全て参加者の方から提供していただいたものです。大いに助かりました。感謝しています。

【後日追記】

2018年1月26日帰宅後テレビをつけたら、元国会議員の野中廣務さんがお亡くなりになったと報道していました。9月8日にお会いした時(動画にも写っていますが、すぐ下の写真右端にも写っておられます)はお元気でしたので、大変驚きました。1月20日、文中でも書いた小林光子さんと「戦争経験者の野中さんは、戦争で大きく傷付いた沖縄への関心をとても強く深くお持ちだった」と話したばかり。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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