おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2018.03.06column

聾宝手話映画『卒業~スタートライン~』盛会裏に終了

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耳の日の3月3日(土)と翌4日(日)に5回にわたって開催した聾宝手話映画『卒業~スタートライン~』(2017年)のアンコール上映会は、春到来を思わせる暖かい日差しにも恵まれ、119人もの人にお越しいただき、盛会裏に終えることができました。

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3日付け朝日新聞にも掲載していただきました。紙面をお読みになった方からも問い合わせが相次ぎ、実際にお越しいただいた方が何人もおられました。

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3日13時から第1回目上映に際し、プロデューサーの勝山靖子さんが手話でご挨拶。昨年7月に映画が完成した後、披露上映会を当館で開催しました。評判を呼んで、当初4回の予定が6回上映に増やして多くの方にご覧いただきました。なぜ、30席ほどしかない小さな当館を選んでいただけたかといいますと、勝山さんのお父様が持っておられたおもちゃ映画やパテ・ベビーフィルムをたくさん寄贈していただいた縁によるものです。貴重な映像も多く含まれていて、それらは当館だけでなく、様々な機会をとらえて上映してご覧いただいています。

そして、傍に立って手話通訳をされているのが谷進一監督。自主制作映画なので、他にもいくつもの役をこなしフル活躍。今回の上映会でも何から何までお世話になりっぱなしで、心から感謝しています。谷さんは、20年前に劇で「3・3声明」を上演されましたが、劇は残らないので、改めて映像で作り直しをされたのが本作品です。

DSC04202 (2) - コピー - コピー劇では聾の先生は登場していなかったそうですが、映画では西田はじめ先生が登場します。演じた志水陽一さん(写真右)は劇中では東田先生役。実際に聾学校で西田先生に教わり、箱型の補聴器を相手に向けて一生懸命聞きとろうとする先生の様子を思い出しながら演じたそうです。

谷さんは、今、全国で手話を言語として認める「手話言語条例」が広がっていることから、これから手話を勉強する人が増えたら良いなぁと思って本作品を製作されました。京都市も2016(平成28)年4月1日に施行。それを受けて、同年10月~翌年2月の秋から冬の間に、撮影。プ―ル掃除の場面で教師から「聾唖者は常識がないなぁ」と言われる夏のシーンは、実際は寒い中の撮影だったのだそうです。

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出演者のお一人、田中先生役の分寺裕美さん(写真中央。右は手話通訳の西川さん)は、撮影中の大変だった思い出に「撮影場所が遠い山の奥で、早朝の出発になることから起きられるか心配だったことと、寒い中での撮影だった」ことを上げておられました。50年前を表現するために木造校舎を探して、京都府綾部市の旧口上林小学校と相楽郡南山城村の旧田山小学校で撮影されました。大変だったでしょう、本当にお疲れさまでした。

不勉強で、映画を見るまでは、「手話」でコミュニケーションする人々を街中でもよく見かけますので、普通のことだと思っていました。確かに、かつては日常のコミュニケーション手段だったのですが、アメリカでの成果が高かったことから、1933(昭和8)年、当時の鳩山文部大臣が全国の聾学校の校長先生を集めて、「手話」を禁止して、これからは「口話」教育をするとの訓示を出したのだそうです。MBSの番組「VOICE」で背景が良くわかります。京都市の例でいえば、83年もかかって、漸く手話が言語として正式に認められたというのは驚きです。

先に書いた「3・3声明」は、新聞記事に書かれている通り、1965(昭和40)年11月18日京都府立聾学校高等部の生徒全員が、学校行事として予定されていた船岡山写生会をボイコットして、学校に集まり、その立場を明らかにするビラを全校に配布して、生徒総会を開いた「事件」を受け、翌1966年3月3日京都府ろうあ協会、京都府立聾学校同窓会が発表した「ろう教育の民主化をすすめるために」という声明を指します。今回の上映は声明が発せられてから52年後の「耳の日」に合わせて企画しました。

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3日の上映会の目玉は、何といっても4Disabilitiesのライブ。実はミュージアムで本格的ライブは、今回が初めて。どんなふうになるのかとても楽しみにしていました。演奏後、メンバーの方にお聞きしましたら「天井が高くて開放感があり、音の響きが良かった」と好評でした。木造の建物自体が楽器のようなものなのでしょう。

写真は13時からの映画が終わった後の第1回目ライブの様子。彼らのサイトはこちらをどうぞ。写真右からヴォーカルのトモさん、ギター、ハモリ、ブルースハープ担当のワンダーさん、サインダンス担当のターカさん、そして黄緑色の上着を着てリードギターを弾いておられるのがミキティさんです。3人は脊髄損傷で車椅子を使っておられます。

DSC04168 - コピー (2)感音性難聴のターカさんは、自分たちで作った詩の内容を身体表現で伝えておられます。ファンの方もたくさん来ておられました。映画ではモデルの大矢暹さん役の主人公を演じています。大矢さんもターカさんも途中から失聴で、大矢さんは高校から聾学校。映画でも描かれていましたが、声が上手な人は、先生もやりやすいのか可愛がられたそうです。その大矢さんが仲間に呼びかけて「口話」教育の押し付けに対する「手話」教育への要求として掲げたのは、

「授業がよくわかる者中心であり、こうした差別には納得がいかない」

「一生懸命に質問に答えても、先生は聞こえないふりをする」

「手話で教えて欲しい」

「授業がわかるように研究をもっとやって欲しい」

「私たちと先生は仲良く勉強したい」

「何のために勉強するのか、その目的について話して欲しい」など。

上映後に4月から府立聾学校に復帰される先生が話しかけてくださいました。「話では3・3声明のことは聞いたことがあるが、実際のことを知っている人がおられないので、映画はわかりやすくて良かった。過去のことを知る。そして、今がある。そのことを知ってもらうことは大切なので、上映会ができないかと思った。今は、手話がわからない先生が異動で聾学校に赴任する場合もあり、それが問題になっている」とお話しくださいました。この問題は何とか対策を練って欲しいと思います。

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4日16時の回にお越しいただいた校長先生役の港健二郎さん(右)。映画では訓示を守って「口話」教育を推し進める側で、生徒への理解がない役ですが、実際は『あした天使になあれ』『荒木栄の歌が聞こえる』『花のように あるがままに』などドキュメンタリー映画の監督さんです。映画では描かれていませんが、民主的な教育環境を整えるために「校長先生を替えてください」という生徒たちの要望を受けての結果なのか定かではありませんが、当時の校長先生は異動になったそうです。

昨年滋賀県でこの作品を上映した折り、お客様から「京都の事件を知って滋賀でも立ちあがったが、京都ほど団結はできなかった」とお話があったそうです。また、「事件」2年前の1963年9月に京都で最初に「京都市手話学習会みみずく」が設立され、これが日本で最初の手話サークルでした。港さんが挨拶の中で話しておられましたが、蜷川府政(1950~78年)が長く続いた京都だからこそ、とも言えるのでしょう。

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4Disabilitiesのライブでは、オリジナル曲「デフロック」「明日のために」そして映画の主題歌「なぜ?」を演奏していただき、最後にターカさんの手話を真似ながら「翼をください」を一緒に歌いました。この光景はとても感動的でした。写真は3日13時の回。

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そして、これは16時の回の様子。山口県周南市の「NPO法人聴覚障害者生活支援センターこすもすの家」から子どもも含めて13人もの人々が駆けつけてくださいました。実は2月18日に4Disabilitiesのライブが「こすもすの家」であり、その時、今回のチラシを配布して下さったのだそうです。4Disabilitiesの面々は「こんなに早く再会できるとは‼」と感激し、終了後に交流の場も。私は、子どもたちにアニメの原理がわかるおもちゃの体験をして貰えたのが嬉しくて。ともあれ、遠路はるばるようこそおいでくださいました。皆さんにとって記憶に残る場になれたら、何よりの喜びです。

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そして、お決まりの集合写真(3日16時の回)

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そして、4日16時の回の集合写真。皆さま、お忙しい中お集まりくださって、誠にありがとうございました。そして上映に際し、関わってくださった皆様に心から御礼を申し上げます。

【追記】

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 4日上映会にお越しの『エイジアン・ブルー 浮島丸サコン』(1995年)のプロデューサー、西野隆次さん。現在は京都市内で映画についてのお話をされるなどの活躍。かつて大映労組で活躍され、連れ合いが親しくさせていただいた幾人もの人々のお名前をお聞きし、話の花が咲いている様子。映画をご覧になって、谷さんに「シナリオも柔らかいし、温かさが逆に厳しさを感じさせ、感性がすーっと伝わってきた。おめでとう。君がこんな作品を撮れるようになって嬉しかった。頑張って欲しい」と自ら握手を求められる感動的な場面もありました。

他にも、近くのアトリエで絵を描いておられる聾の女性や手話歌をされている女性もおられて、「いつか連携して催しをしましょう」と話しています。港監督や西野さんとの話からもいくつかの催しができそうで、これも実現に向けて動きます。そして、3日記録映像を撮っておられた女性は、今撮影の勉強中だそうで、9日に開催する「EXHIBITION&LIVE 音と妖怪」のウードに関心があり取材したいとのご希望でしたので、早速9日の記録映像撮影をお願いしました。いろんな人と人が出会い、交流する交差点になりたいと思って、この町家を運営しています。映画『卒業~スタートライン~』の最後は「新しい始まりだ」ですが、その言葉通りの出会いになったことに、乾杯です。

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