おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2018.04.30column

タイムリーだった長編ドキュメンタリー映画「花のように あるがままに」上映会

4月27日、世界中がかたずを飲んで注視した北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領の会談。両首脳は「南北は完全な非核化を通して、核のない朝鮮半島を実現するという共通目標を確認した」という「板門店宣言」に署名し、年内に朝鮮戦争の終戦宣言をし、休戦協定を平和協定に転換するための会談を推進することで合意しました。

これまで伝え聞いていた金委員長は、どこか得体の知れない恐怖感をも抱く印象でしたが、二人の首脳が南北を分断する軍事境界線(幅50㎝のコンクリート)を互いに越えたあたりのエピソードは、一篇の映画のシーンを見ているようで相互にユーモアも交え微笑ましくさえ感じるものでした。「歴史的場所で、感動的だ」と境界線に立った金委員長に「こちらに立ちますか?」と促した文大統領。ゆっくり境界線を韓国側へ越えた金委員長に、今度は文大統領が「私はいつ(北朝鮮側に)越えられますか?」と問いかけると、金委員長は「今越えますか」と返して、二人で北朝鮮側へ。そして親子ほど年が違う二人は手を携えて韓国側に戻りました。筋書きがあったのか否かわかりませんが、朝鮮半島緊張緩和、雪解け、春を思わせる歴史に残る名シーンだったと思います。

「南北対立は日本の植民地支配時代に源の一つがあり」(4月28日付け京都新聞掲載同志社大太田修教授コメント)、1950年に勃発した朝鮮戦争から朝鮮半島は長く分断されたままでした。南北首脳会談が実現した翌日の28日に、在日コリアン舞踊家として生きる京都在住の一人の女性を追ったドキュメンタリー映画を上映する奇遇に、先ずは驚きました。作品上映が決まったのは3月22日のこと。3月4日当館で『卒業~スタートライン~』を上映した後で聾学校校長先生役で出演されていた港健二郎監督から声を掛けられ、9日にサンプル版をご持参いただきました。正直、なかなか重いテーマだなぁと思っていましたが、人ごとではなく、自分のこととして隣人の抱える悩みを理解することは、お互いに住みよい社会を築くために大切なことだと思いました。

日本が朝鮮半島を統治していた時代、「募集」という名の強制連行で日本に渡り苛酷な労働を強いられた人々がたくさんおられました。このドキュメンタリー映画の主人公、梨花(ぺイファ)さんのお父さん、学奉(ぺハッポン)さんもその一人でした。

花のように(表)A - コピー

港監督は、あるとき梨花さんの踊りを見て号泣したのだそうです。自身与論島出身のご両親が福岡県大牟田の三池炭鉱に移り住まれた時に「よーろん人」と差別された経験があり、在日コリアンとして生きる人々が味わうものと重なって共感されたのだそうです。それまで在日の問題は、大事なことだと思いつつ、重いテーマだと避けてこられましたが、在日の人々が置かれた背景を知り、学奉さんの貴重な証言テープが残っていたこと、そして何より梨花さん自身が、そろそろお父さんのことをまとめたいと思っておられた時期とも重なって密着取材に応じてくださり、この作品は2015年に完成しました。

DSC04789 (2)「朝鮮半島の問題は日本と関係がある。その成り立ちを知ってもらうことで、もっと交友を深めることになれば良い。今も日本には『外部に敵を作る』帝国思想が根強い。特定秘密保護法、安全保障関連法、改正通信傍受法、共謀罪法成立と短期間で『戦争ができる』体制を整えて、厳しい状況にあることもこの作品を作った理由の一つ。戦前の厳しい弾圧の中でも、朝鮮の人々との連帯を盛んに言っていた若き詩人槇村浩(まきむらこう。代表作『間島パルチザンの歌』)や尹東柱(ユン・ドンジュ。詩集『空と風と星と詩』)らのことも知って欲しい」と監督。

映画は梨花さんが、亡きお父さんの足跡を尋ね、そして梨花さんのお子さん3人にも取材しています。苛酷な経験を強いられた在日一世のご両親、その姿を見ながら、いろんな問題があってもそれを引き受けて、どんなことがあっても負けてはいけない、前向きに生きていこうとする二世の梨花さん、ハングルが喋れず自分が何者かを問い続け乍らも、どういう風に人々と一緒に平和的な生活が築けるか、これから先を考えている三世のお子さんたちの姿。それぞれの世代によって変わる、それぞれのチャレンジ。お子さんたちの未来志向の明るさに救われる思いがしました。

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 梨花さんのお話で初めて知りましたが、映画の最後部分にご主人が映っていますが、この4月17日にお亡くなりになったのだそうです。「長い闘病生活の末、『良いな』の日に」と、目に涙を浮かべてお話くださいました。上映の僅か11日前、まだまだ寂しさが癒えない中でのご登壇でした。心からお悔やみ申し上げます。

「人にはいろんな過去があり、人生がある。父たち在日一世は壮絶な人生を生き、両親は8人の子どもを育ててくれました。生きることは、目的を持てばやる気が出てくるし、自分のためだけではなくて、みんなの為に何かしなきゃという精神があれば、生きようとする命も長く生きれる。昨日の嬉しいニュースを見て、両親、祖父母、そして主人の遺影の前にビールをお供えして、息子と乾杯しました。主人が生きている間に、このニュースを見せてあげたかった!二度と戦争のない社会にするために、身にしみて戦わない平和の為に、この作品をもっと多くの方にご覧いただきたい」と梨花さん。

この映画の上映は、京都のシルクホールで2回、東京で2週間上映、大阪、梨花さんの母校、そして5か所目が当館なのだそうです。そして、「27日の歴史的会談を受けて、この作品をぜひ5月11日に上映したい」と、この日東京から梨花さんに連絡があったとのことです。

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京都市内だけでなく、アメリカ在住のご夫妻や兵庫県、滋賀県、大阪府からもお越しくださいました。それぞれの方が感想を求められてお話くださいました。写真の女性は四国から参加グループのお一人。小林芙蓉先生の指導で書画を通して日韓親善活動を2002年から続け、毎年韓国で書画展を開催しておられるそうです。「知らないことを、映画を通して学んだ。知らずにいたことを恥ずかしく思った」と感想を述べられました。継続して草の根交流を続けておられることは素晴らしいと思いながら聞きました。

もう一人、印象に残った滋賀県の行政機関で手話通訳者として活躍されている在日コリアンの方の話も紹介します。

………言葉を奪われた聾の人たちと、実際に名前(創氏創名。罰金50円は当時として大金)と言葉を奪われた朝鮮人とリンクするものがある。恥ずかしがって、両親や祖父母がハングルで話をしていると声を潜めて「止めて、止めて」と言って、自分自身を認めることができないでいた子どもの頃の姿と重なった。この映画で自分のルーツを復習し、新たな勉強もさせてもらった。

以前は時と場合によって名前を使い分けていたが、今は本名を名乗っている。朝鮮民族の韓国国籍の日本生まれの滋賀県に住み、と自分のことを説明するのにこれだけのことを説明しなければならない。聾の人たちは、すぐ「お願いします」と言うが、いつも「自分の持っている力をもっともっと出しましょう。あなた達がそこにいることを見ることによって、他の人が気付き、知ることができるから」と伝えている。

昔は「日本人に負けるな」と言われてきた。一生懸命働いても日本人の二分の一、三分の一しか貰えない。貰える権利も少なく、与えられる土地も限られていた。昔話ではなく、この状況は今も続いている。しかし、学校やいろんなところに行って自分たちが話すことによって、社会が変わっていくんだなぁとも思っている。なかなか梨花さんのお父さんのように「時代が悪かったんや」と思えなくて。いやいや時代の所為ではなく、そこに生きていた人間達だ、と思っている。しかし、常に虐げられているばかりではなく、韓国の歌に「膝を折って生きるよりは、立ったままで死のう」というのがある。光州事件の映画や今上映中の『タクシー運転手~約束は海を越えて』(2017年、韓国)の映画で伝えていくことは素晴らしいと思う。

朝鮮人だとはっきり言えなくて、「在日コリアンです」「朝鮮人ではありません、私は韓国人です」といろんな言葉で自分を表しますが、でもシンプルに「朝鮮人です。昔、国は一つだったんですよ」と言いたい。83歳のアボジ(父)が珍しく昨日電話してきて、電話口の向こうで泣いていた。末期がんで余命いくばくもないのですが、歴史的な瞬間をテレビで見ることができた。そして「諦めたらあかん」と言った。この父の姿を忘れないでいたい。

若い時は隙を見せたらやられると思って、常に戦う姿勢でいたが、だんだん年を取って仲間が増え、自分の気持ちを伝えていくことがあったことで、身構えるのではなく、両手を広げ手を繋ぐことを覚えたように思う。人と出会うことが素晴らしい。本当の友好の為に、これから一歩一歩だと思う。……

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写真左から音楽担当の岡本美沙さん。岡本さんの作詞作曲された「花のようにあるがままに」の曲を聴いて、港監督はこの映画のタイトルにされました。その隣が梨花さん、港健二郎監督。そして2回目上映の参加者の皆さまです。一番後ろの男性は『卒業~スタートライン~』の谷進一監督です。記録撮影を手伝っていただきました。皆さま、本当にありがとうございました。

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