おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2018.06.11column

第5回桂花團治の咄して観よかぃ「映画で発掘?!まちの底ヂカラ」

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遅れ遅れの振り返りレポートです。5月18日「第5回桂花團治の咄して観よかぃ」を開催しました。花團治師匠が今回ご紹介下さったのは、観光映像作家で、和歌山大学観光学部准教授の木川剛志さん。国立大学で唯一の観光学部だそうです。木川先生は、ミュージアムにほど近い西陣・上七軒の出身、生まれ育った場所の近くで、ご自身の作品『福井の旅』(25分)上映とお話をできることを喜んでくださいました。「今は機織りの音がしなくなったが、小学校からの帰りに、先ず機織りの音と三味線の音が聞こえていた。聞こえて来なくなって寂しくなってきている」と先生。

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和歌山大学の前は、福井工業大学工学部に所属され、その時に学生の実習と福井県の観光のためにこの映画を作られました。最初に先ずこの作品上映から。「街の物語を落語で考えよう」というコンセプトで、主演は桂花團治さんですが、それ以外のキャストは、ほぼ皆さん芝居経験ゼロの人ばかり。木川先生が街中で欲しい人を探して、その人に合わせて撮るという手法。その時必ず「演じないでください」と伝えるそうです。自然なまま、台本でもライブ感が売り。この日も、そのようにして声かけをして出演された「えび吉」役の藤井さんが、福井から遠路遥々参加してくださいました。

この日は、木川先生のお父様もご友人を誘って来てくださいました。そのお父様のお父さま、つまり木川先生のおじいさまは、京都で映画の美術をされていたそうです。新潟出身のおばあさまとは「大映」で知り会ったのだとか。

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手にしておられるのは、木川家の古いアルバム。この中に昔の「大映」時代の写真もありました。市川雷蔵、長谷川一夫らが写っていました。なんと、木川先生のお父さまは、子どもの頃長谷川一夫と一緒にお風呂に入ったことがあるのだとか。気さくなスターだった一面が窺い知れますね。

溝口健二監督『浪華悲恋(なにわえれじー)』におじいさまのお名前が出ているということでしたが、映像がないので、同じ1936年に溝口健二監督、依田義賢脚本で作られた『祇園の姉妹』に出ているかも、ということでその冒頭部分をご覧いただきましたが、残念ながら確認できませんでした。おそらく、大道具や小道具などの装置を作っておられたのかもしれません。

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テーマが「街と観光の底ヂカラ」ということでしたので、35㎜フィルム原版(音ネガと画ネガ)保存を訴えている「京都ニュース」のいくつかも観ていただきました。60年前の「市民映画祭」の映像には、市川右太衛門、市川雷蔵、東千代之助、伴淳三郎、中村雁治郎らそうそうたるスターが写っています。

「京都ニュース」は1956(昭和31)年、第19代京都市長、高山義三時代(在任1950~66年)に始まります。この年、全国の映画館観客動員数は多く、映画館で市制ニュースを上映することは、市民に広く知ってもらえる絶好の場でした。1958年に国内の映画館年間観客動員数は11億人を数え、ピークに至りますが、1959年に今上天皇のご成婚でテレビが登場し、映画館人口は下降線をたどります。1964年に開催された東京オリンピックの年にカラーテレビが登場し、人々の関心はテレビに移ります。1994年に最低の観客動員数にまで落ち込み、その後シネコンができます。もはや1億人さえも映画館に来なくなり、潮時とばかり「京都ニュース」は作られなくなりました。このように「京都ニュース」は、映画館観客動員数推移を反映しています。

昨年、私共が「京都ニュース」の存在に気付き、「これこそ京都市のお宝映像ではないか」と京都市のお宝バンクに登録しました。けれども、京都市の財政難からその調査費用すら捻出できずにいます。この日ご覧いただいたのは、10年ぐらい前に一部テレシネされた中から選んだもの。機会あるごとに、これらテレシネした映像を広くご覧いただきながら「かけがえのない映像だから、次世代に残しましょう」と訴えています。

辛うじてテレシネされたものはともかくとして、その他のものは鉄の缶に密封されたままになっていることから、酸化濃度が上がっているため、中のフィルムが段々溶けていると思われます。初期のテレシネしたフィルムもダメになっている可能性が大いにありますが、とにかくテレシネされていない1974~94年までの映像を救いたいのです。市民の間に「残さなあかん」という声が出てくれば、予算化も可能になるのではないかと思うのです。

木川先生は映像作家になる前に、福井にあった昔の映像を、その映像に出てくる場所で上映する会をしたことがあり、ラジオから解説音声を流す取り組みもされたそうです。その経験から「おじいちゃんが孫と一緒に見に来てくれたら、記憶の継承になる。それ以上前になると、歴史の話になって、ピンとこなくなる」と話されました。せっかく残った映像は、マメに上映することで市民の記憶として継承されます。そして、その映像は単に京都市民だけでなく、もっと広く、多くの人々の歴史的資料として活かされるでしょう。缶に入れられたまま劣化に任せて、やがて見られなくなることは何としても避けたいです。

この日の催しの前にFacebookで木川先生と繋がって、その時「当日は京都ニュースの一部をご覧いただこうと思っています」と書きましたら、先生から「福井のもDVDにしたから大丈夫、というありえない回答で・・・自分の力不足でした。」と返って来ました。和歌山の様子もうかがえるかなと内心期待していたのですが、残念ながら。連れ合いが大阪市に確認したところ、大阪市にはこうした市政ニュースがなかったそうです。他の自治体では、どうだったのか、そして、同じように市政ニュースが作られていた場合、それはどうなったのか大いに気になります。

さて、花團治さんの落語実演は、二代目桂春蝶さんの得意ネタ『昭和任侠伝』。1968年頃の創作落語で、先に述べたように映画館人口は下降線をたどり、東映は任侠路線まっしぐら。鶴田浩二さんや高倉健さんが主演をはり、映画に感化された人が、見終わったあと、イキがって歩いていました。落語の主人公は、ヤクザ映画が好きな八百屋の息子。銭湯で客の綺麗な彫りものを見て憧れ、彫り師の家を訪問したものの痛くて逃げだしたり、「よし、わしも刑務所入ったろ」とバナナのたたき売りのところへ行って、1本盗り「あっしを突き出しておくんなさい」と頼んだりしたものの、呆れかえられ、結局「任侠の道は遠いなぁ」と…。

二代目桂春蝶さんがお亡くなりになって、もう25年も経つのだそうです。月日のたつのは、本当に早いものです。痩せた春蝶さんのお顔を思い出しながら耳を傾けました。最後に恒例の集合写真。皆勤賞の人も何人かおられます。

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この日は、ミュージアム満3歳の誕生日ということで、ミュージアムからは、発掘して復元したおもちゃ映画「底抜けドン助仇討道中双六」の主人公ドンちゃんの絵をあしらった利き酒用の盃を、そして、花團治さんからも初代桂花團治さんの絵をデザインしたクリアファイルをプレゼントしていただきました。

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長崎抜天の漫画「底抜けドンちゃん」は、のらくろ登場以前の戦前期漫画作品としては「正チャン」「ノンキナトウサン」と同じくらい人気があった作品ですが、きっと漫画の上手な描き手が求めに応じて描いたものではないかと想像しています。

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ご来場いただいた皆さま、誠にありがとうございました。次回は9月頃の予定だそうです。詳細が決まり次第、ご案内いたしますので、今しばらくお待ちくださいませ。

 

 

 

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