おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2018.07.17column

寄贈本(資料)のご紹介

ここしばらくの間に、幾人かの人々から資料、本、フィルムなどをいただきましたので、ご紹介します。

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 美男子で世の女性の心を掴んだ六剣聖の一人、林長二郎(長谷川一夫)のポスター集です。コレクターの岩本さんより「関心ある方にご覧いただきたい」と受け取りました。表紙にある『稚児の剣法』は1927(昭和2)年に公開された松竹映画で、彼のデビュー作。「ミーハー」という言葉は、林長二郎のファンの為に作られた言葉です。

2016年4月16日に活動写真弁士坂本頼光さんをお招きして開催した「無声映画の昼べ」で、『黒手組助六』を上映したのに合わせて、岩本さんから、貴重なポスター、雑誌などの資料をお借りして花を添えました。その様子はこちらをご覧ください。上掲「長谷川一夫ポスター集」(A4版)には、今数えたら281作品載っていました。長谷川一夫が生まれたのは1908年2月27日ですから、今年生誕110年の節目です。

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羽島市歴史民俗資料館  映画資料館の近藤良一館長さんから受け取った『駅前 日本劇場の生涯』。初代新岐阜駅が現在地に移転(1948年)した後、その跡地(旧東陸橋の南側、現在の河合塾岐阜校の辺り)に「日本劇場」ができました。1952年12月のことで、松竹の封切館としてスタートし、最初の上映作品は「情火」と「娘の晴着」でした。洋画輸入が自由化されると「洋画の日劇」と館名を変えて、旧作洋画を組み合わせて多くの観客で賑わったそうです。しかしながら、映画館が年々減少する世の趨勢に抗がえず、1981年3月に閉館しました。

近藤さんらは、この28年4カ月間に上映された作品名を岐阜県図書館、羽島市立図書館で保存されている新聞広告を参照して、この冊子に調査結果をまとめられました。私的なことですが、学芸員実習のため毎月のように降り立った岐阜駅。大学への途中に繁華街の柳ヶ瀬があり、勉強が終わった後、地域探訪するのが毎回の楽しみでした。柳ケ瀬にも映画館があったことを思い出し、近藤さんに伝えたところ、「柳ケ瀬の映画館を経営している岐阜土地興業は発足当初横田永之助がかかわっていました。 横田氏が地方で何をしていたか御存知でしたらお教え下さい。」と返って来ました。日本劇場は開館当初、小森某の所有でしたが、経営は1キロほど北に位置する柳ヶ瀬に多くの映画館を有する岐阜土地興業㈱が行い、後に傘下の映画館となったそうです。

岐阜土地興業の詳細を知りませんが、横田永之助は稲畑勝太郎が日本に輸入したシネマトグラフの興業を引き受け、1897年関東興業を行います。横田商会を作ってからは全国で活動写真の巡回興行をし、やがて牧野省三、尾上松之助と一緒に劇映画を作りました。横田商会は後に、他社と合併して日活になります。全国巡回興行の折に、岐阜の人と出会ったのかもしれませんね。ご存知の方があれば、お教えください。

今年2月に、八木明夫さんの市川右太衛門コレクション展をした折りに、近藤さんが来館され、その縁で、元映画看板絵師の高木紀彦さんと知り会うことができました。その後開催した映画キャメラマン宮川一夫展で、高木さんの映画ポスターをお借りして展示できたのも、こうした縁によります。今、同館では「権田コレクション 疾風!嵐寛寿郎展」を9月17日迄開催中です。お近くの方は、ぜひお運びください。

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これは、昨年11月19日に開催した「ロシア革命100年『戦艦ポチョムキン』」上映会で、作品解説をしてくださった扇千恵先生(ロシア語講師、ソ連映画史研究)からご恵贈いただきました。ご友人の塩見正道さんが、今年6月25日に風来舎から出版されたばかりの本です。表紙に掲載された『レフレクター』第7号(1957年10月1日付け)の「映画の観方について」が木崎敬一郎(本名木崎正司)のデビューとなった文章で、レタリングや挿画など全て彼が手掛けています。1959年11月、第5回映画観客団体全国会議が兵庫県宝塚市で開かれ、その時木崎は、鑑賞運動における画期的提案をしたそうです。関心がある方はお声がけくだされば、ご自由にご覧いただけます。

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1979年サン・セヴァスチャン国際映画祭で大賞を受賞した『秋のマラソン』を書いたアレクサンドル・モイセーエヴィチ・ヴォローヂン(1919-2001)のシナリオを訳した冊子で、巻頭に扇先生の「映画『秋のマラソン』について」が掲載されています。今年5月25日、ロシア・ソヴェート文学研究会発行です。

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 そして、こちらには 昨年10月21日と22日に開催した「外(よそ)モノの支えた京都花街の芸」の演題で発表した中原逸郎さんの研究ノート「北野上七軒花街の芸の実態」が載っています。昨年の中原さんのレポートは、こちらをご覧ください。

特別寄稿として「傘鉾とその流れー山・鉾・屋台の祭り研究拾遺Ⅰ」が載っています。今日は日本三大祭のひとつ、祇園祭の前祭山鉾巡行でした。このところの異常とも思える猛暑の中、四条通をゆっくり進む山鉾の様子を、テレビで観ました。京都産業大学の先生やゲストの方々の説明を聞きながら、何度も観ているのに「へぇ~、そうやったんや!」と聞きながら勉強させてもらいました。それぞれの山鉾の持つ物語を、年長者から教わりながら、小さな子どもたちが生きていくうえでの大切なことを学ぶ機会でもあったのだなぁと思いました。懸装品の豪華さから「動く美術館」と言われていますが、それらを眺めるだけではない奥深さを味わいました。7月24日の後祭は録画予約しました。

今年2月24日に記録映像「祭りに生きる京都の鉾差し」を説明を聞きながら上映する催しをしました。今も京都市内で繰り広げられる剣鉾のお祭り神事。傘鉾、山鉾、剣鉾、と「鉾」の文字が付された伝統行事にもいろいろあって豊かです。年々少子化が進み、伝統を維持することは大変でしょうが、これからも人々の平穏無事を祈って継承されることを願います。

それから、「全国小津安二郎ネットワーク」事務局の田中忍さんから、「OZUNET NEWSLETTER」№104が届きました。№101からお送りいただいています。編集後記を読んで、2000年3月号から発行を続けておられることを知りました。ご来館が契機になり、窓口になってくださった雨宮真由美さんによれば「100号発行を記念して、全バックナンバーを国立映画アーカイブに寄贈した」そうです。

これらの印刷物は、館内で自由にご覧いただけますので、お気軽にお声がけください。関心ある方のお役に立てれば幸いに存じます。

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