おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2019.01.07column

「国産アニメ誕生102年 パイオニアの一人、北山清太郎関連資料ミニ展示」始まる

1月4日ギリギリまでかかって「北山清太郎展」の準備に精出し。余所のミュージアムのように先を見通した展覧会がまだまだできずにいるのでお恥ずかしい限り。でも、今回の最大の協力者である安田彪さんのご親切でどうにか形にすることができました。ありがたいことです。

北山清太郎ミニ展示A - コピー

そして、一夜明けた5日、今年最初のお客さまが遥々アメリカのハリウッドからお越しいただきました。ご主人さまは映画研究者で劇映画や小型映画がどのようにアジアやアフリカに影響を与えたかを調べておられるのだとか。奥さまは日本の方で『何が彼女をそうさせたか』を監督した鈴木重吉監督の研究をされているそうです。ネットで連れ合いがこの作品を復元した経緯を書いているのをお読みになり、当館ホームページもご覧になって「ぜひ訪れてみたいと思ってやってきました」と言ってくださいました。

ハリウッドには映画アーカイブの仕事をしている人々やコレクターの知り合いがたくさんおられるそうなので、「いつでも紹介します」とも。ご主人は、このミュージアム自体が「おもちゃ映画」のアーカイブの拠点になっていることに大変興味をお持ちでした。最近では海外からのお客さまに決まってお尋ねしている「お国におもちゃ映画はありますか?」。アメリカのコレクターはケタ違いのお金持ちやたいへんマニアックなコレクターが多いですから、1920年代までの無声映画も沢山持っているでしょうが、おもちゃ映画についてはあまり聞かないということでした。個人的な映画博物館や資料館を経営している人もあり、当館の映写機や光学玩具などもそれほど珍しいとは思っておられないようでしたが、直接手に触れられることや日本独自の紙フィルム「レフシー」映写機にはすぐ目が留まり、とても興味をお持ちでした。

ぜひハリウッドの映画コレクターを紹介いただいて、アメリカでのおもちゃ映画事情を調べてみたいものです。ドイツのおもちゃ映写機も所蔵していますが、初期のものは短いループになった印刷されたフィルムで、それが本来の「おもちゃフィルム」で、ガラス・ケースの中に展示をしています。日本のように、実際に上映されていた劇映画フィルムを切り売りしていたのは、やはり特殊なのでしょう。イギリス、イタリア、フランスなど、どこの国の人も「おもちゃ映画を知らない」とおっしゃいます。今日、台湾の若い友人から「来日して、おもちゃ映画を調べたい」とメールが届きました。海外の人がおもちゃ映画に注目して下さることが嬉しいです。昨年9月9日「木村白山って、何者?」をした折りには、台湾の嘉義で発見された日本の映画フィルムの中から1本の木村白山作アニメーションをご覧いただきました。占領下のアジア各国には、日本文化の影響を受けたおもちゃ映画があったことでしょう。

続いてお越しになったのは、年末KBS京都テレビで放送された「年越しライブ 続2018年明治の旅~まだまだ知らない京都~」の「通すぎるミュージアム」をご覧になって「興味を持ったから」という人。他にも同じように番組をご覧になって来て下さった方が続き、KBS京都さんに本当に感謝感謝‼ この番組の中で、1分間のVTRでユニークなミュージアムを紹介して、今年9月1~7日に開催されるICOM京都大会を盛り上げ、一人でも多くの人がミュージアムに足を運んでくださればという趣旨のコーナー。何と、番組始まって早々に、ミュージアム紹介のトップバッターとして紹介していただきました‼ 綺麗に撮っていただき、当館の特徴もコンパクトにまとめて紹介して下さって、とっても嬉しい出来栄え。その甲斐あって幻燈機が登場する小説を昨年発売したばかりだという男性は、展示している多くの幻燈機に興味津々で熱心にご覧になっていました。次の作品に活かして貰えたら良いですね。京都市内に270館以上あるミュージアムの中から栄えある5館に選んでくださったから言うわけではありませんが、この番組を録画しておいて大正解でした。知っているつもりで知らなかった京都のことをたくさん学べて、大変勉強になりました!

そして、立命館大学映像学部の学生さんたちがレポートを書くために次々来館。丁度来館いただいた安田彪さんから16㎜フィルム2本をお預かりしたので、それを学生さんたちも一緒に観ました。

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諏訪1

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シーケンス 02.Still072

シーケンス 02.Still07316㎜映写機での上映ってなかなか出会えない学びのチャンス。この貴重なフィルムは北山清太郎と一緒に活動し、字幕スーパーを担当していた嶺田四郎宅にあったもので、そのうちの1作品(11分50秒、シネマスコープ)は長野県の諏訪大社御柱祭を記録したものではないかと思います。音はないのですが、大変色鮮やかで、つい先日撮影したかのよう。連れ合いは「この時代のフィルムも既に劣化が始まっているのに、これは凄い!」。寅と申の年に行われる式年祭。年代特定まではできていませんが、おそらく今では省略された行事があるかもしれず、貴重な地域資料になるはずです。何かご存知の人がおられたら、ぜひご連絡ください。

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そして、韓国からの留学生君も。彼は大変熱心に安田彪さんに質問していました。

DSC08397 (2)映像を作るだけでなく、アーカイブにも興味があるというので、保存している映像を観てもらっただけでなく、韓国映像資料院の鄭さんを訪ねるよう助言しました。先ほどの台湾の友人に対してと同様に「韓国に於けるおもちゃ映画事情も良ければ頭の隅っこにおいて調べてみてね」とお願いもしました。とても気持ちの良い青年でした。

4日までの準備中に北山清太郎の主な年表も作成しました。我が家もちょっと似ていますが、とにかく引越しが多い人です。一つところにじっとしておれない性分なのでしょうか。小さな子どもを抱えて家族はさぞかし大変だったろうと先ず思いました。これまで、北山について書かれた人は男性ばかりですが、女性の視点で書くのもありかも。スクラップ&ビルトという言葉も連想しました。新しいことに果敢に挑戦する。その為に良かれとなれば、先のものも潔く廃す。西洋画の教室を各地で催し、主に地方の会員向けに道具の通信販売を始める。洋画のカタログを作り頒布もして若い画家たちを支援する。ひょっとしたら、展覧会の絵画を写真撮影してそれを絵はがきにして販売するのも北山が最初ではないかしら?とにかくアイデアに富み、実行し、仕事への集中力は並外れていたと思います。「動く漫画」と出会って吃驚仰天したら、早速その仕組み研究に没頭して、日活に製作を提案。やがて製作所システムを構築して量産する等々。

世の中の多くの人は、日本のアニメーションは有名な手塚治虫から始まったと思っている風ですが、決してそうではないことを、この小さな展覧会を通じて知って欲しいと思います。「日本アニメーションのパイオニアとしての北山清太郎」は、もっと知られても良い存在だと思いますが、アニメ世代の大学生さんたちは、誰一人として「北山清太郎」の名前をご存知じゃありません。小さな一石でも、大きな波を起こしたいと正月から夢を見始めています。

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