おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2019.05.21column

おかげ様で満4年、講談師旭堂南陵さんをお招きして特別イベント!

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2015年5月18日、古民家改装中でしたが、どうしても「国際博物館の日」にオープンしたくて見切り発車状態でスタートしました。それから4年の歳月が過ぎました。「少しでも無声映画を発掘して次世代に残したい」という連れ合いの志は高いのですが、「実際の運営は?」となれば、なかなか厳しくて。それでも「応援してやろう」という温かい人々の思いに支えられて5年目が始まりました。不束な私共ですが、これからも応援をよろしくお願いいたします。

さて、18日(土)朝一番には、郷里の幼馴染が「急に京都に行きたくなった」と朝4時に出発してやってきてくれました。彼はこの日が記念日だと知らずに来てくれたのですが、元気な顔を見せてくれたのが、私への何よりのプレゼントでした。小さな体でミュージアムを切り盛りして、頑張っている様子を見てもらえて良かったです。

続いて、花屋さんが大きな箱を抱えてやってきました。中には大きな白い胡蝶蘭が!!!贈り主さんは、サンポートシティ取締役社長の山川雅行様。連れ合いが無声映画の保存活動をライフワークとする大きな契機になった映画『何が彼女をさうさせたか』(1930年、鈴木重吉監督)を製作した帝国キネマ演芸初代社長、山川吉太郎さんの曾孫さんです。開館1周年の時は『何が彼女をさうさせたか』を活弁と生演奏付きで上映し、山川様にもご覧いただきました。いつも気にかけて下さり、心から感謝しています。

交流会の時にも花屋さんがやってきました。贈り主は、この日素敵な演奏をしてくださった天宮  遥さん。彼女らしく明るいオレンジ系の花々がアレンジされて、パッと華やぎます。それから、今回の展示用に紙からくり「ピープショー」の作品5点をお貸し下さったイラストレーターの吉田稔美さんからも、彼女の郷里、兵庫県西脇市内の菓子折りをいただきました。熨斗に描かれているのは、吉田さんが高校1年の時応募して採用された日本の臍のシンボルマーク。同市には東経135度、北緯35度の交差するポイントがあり、国土の真ん中、臍だということでこのマークが1978年に制定され、平成元年から29年迄西脇市のマークとしても使用されました。マンホールや菓子店にも使用されて町興しに貢献。当館にとっても吉田さんは幅広い交友関係で、様々な人をお繋ぎいただき貢献して下さっています。19日に講演していただいた細馬宏通先生もお繋ぎいただいたお一人です。

そんなこんなで、アタフタはしゃいでいる間に主役の旭堂南陵さんがお弟子さんを伴って到着、天宮さんも到着。お客さまも次々にお見えになり、13時半、いよいよ開館満4年の記念イベント始まり、始まり。

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連れ合いの挨拶に続き、最初に天宮遥さんの演奏で以下の無声映画3作品を上映。いつも思うのですが、彼女の演奏は映画を引き立てて、観る者を自然にスクリーンの中に誘います。

①『キゲキ・キャメラマン』(原題『WHY MEN WORK』、1924年、チャーリー・チェイス主演。当館から発掘され世界発信された幻の映画)

②『突貫小僧』(1929年、小津安二郎監督。家庭用に再編集されたパテ・ベビー版ですが、欠損していた冒頭部分もあることから世界発信。国内外映画祭で上映)

③『関東大震災翌日の記録』(1923年9月2日の記録映像。震災で被災し取り壊される前の浅草十二階「凌雲閣」が映っていることから選びました)

欧米では、今も昔もサイレント映画は音楽伴奏で楽しみますが、人形浄瑠璃、覗きからくり、錦影絵(写し絵)など語りの文化が発達していた日本では、弁士の語り付きで上映していました。

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これは浅草の浅草寺境内に建つ「映画弁士塚」。映画の内容に合わせて、弁士は台本を書き、進行に合わせてそれを口演します。スクリーン手前端っこに弁士の演台があり、同じく手前のオーケストラボックスに和洋折衷楽団が居並び、雰囲気を盛り立てる演奏をして人々を映画の世界に誘いました。日本映画の最初期、日活の尾上松之助が絶大な人気を誇った時代は、全国の日活直営館に松之助の声色そっくりな弁士を配したそうです。登場人物に合わせて弁士も居並び、かつての映画館で映画を観ることは、なかなか充実した娯楽だったようです。

DSC09831 (2)というわけで、欧米風の無声映画の楽しみ方を最初に味わって貰った後で、日本流の語りと音楽伴奏による楽しみ方を味わって貰いました。演目は『荒木伊賀越三十六番斬り』。この作品は原題『荒木又右衛門』で悪 麗之助監督が1930年に松竹下加茂撮影所で製作したもの。三大仇討の一つ、荒木又右衛門鍵屋の辻の決闘を描きます。1950年松竹下加茂撮影所のフィルム倉庫から出火した大火災で、他の数多くの作品原版と同様に、月形龍之介主演のこの作品も焼失しました。

幸いにも家庭用16㎜に再編集し、『荒木伊賀越三十六番斬り』のタイトルで売られていて、そのフィルムを、2009年大阪の堺市にある旧家から発見されたのが、他ならぬ堺市生まれの旭堂南陵さんでした。フィルムは相当に劣化が進んでいたことから、それを連れ合いに託されました。見苦しい個所もありますが、その当時の最善の方法で修復し、復元、そして保存したものです。悪麗之助監督は若くして亡くなられたこともあり、この作品が現存唯一。復元が完成して初披露した折りには、大分にお住いの悪 麗之助監督ご遺族が駆けつけて、大変喜ばれたそうです。写真はそのことをお話くださっている様子。

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5月展示のテーマが「覗いて、写して、楽しむモノたち展」ですので、お殿様が遠眼鏡で果たし合いをするのを覗いてみている場面があるこの作品を選びました。当然活弁はフィルム発見者でもあり、ベテラン講談師の南陵さんにお願いしなければ、と電話を掛けましたところ「応援するよ」と快く引き受けてくださいました。流石、今年芸歴50年のキャリア!声の張りが違います!!月形龍之介演じる荒木又右衛門の見事な剣戟シーンと共に存分にお楽しみいただけたことと思います。

無声映画からトーキー(音声付き)に替わると、弁士の出番がなくなり、多くが漫談、講談師、紙芝居、司会者などに転身します。4代目旭堂南陵さんの活弁が見事なのも道理。磨かれた話術や構成力が脈々と受け継がれているからなのですね。

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少しの休憩を挟んで、本業の講談を一席披露して下さいました。手にしておられるのは出版された『事典にない大阪弁』。6月22日大阪の天王寺にあるシェラトン都大阪で、南陵さんの「出版兼古希兼芸人50年記念パーティー」が計画されていて、その案内文に著名な呼びかけ人らのユーモラスな会話書き起こし文が添えられています。「落語家の参考になる。『貧乏花見』のモデル地区の地図と職業解説が付き」「大阪の風俗の参考になり」「大阪の小説を書くのにも参考になる言葉がいっぱい」等々。

南陵さんは青息吐息の私共を気遣って、サインと千社札を貼った真新しい本5冊を寄贈して下さいました。早速税抜きで販売したところ、あっという間に完売!雑収入に計上させていただきました!!皆さま、ご協力ありがとうございました。

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演目は、西行法師歌行脚の物語『鼓ケ滝』。歌の名所である摂津の鼓ケ滝に来た西行は、「伝え聞く鼓ケ滝に来てみれば 沢辺に咲きしたんぽぽの花」と詠み悦にいっています。辺りは次第に暗くなり、どこかに宿がないかと探しているうちに1軒の民家を見付けます。穴から「覗く」と、お爺さんとお婆さんとまだ小さい孫娘が見えました。西行は一夜の宿を頼み雑炊を馳走して貰います。一宿一飯の恩義に西行は鼻高々に先の歌を披露します。

すると、先ずお爺さんが「さりながら、『伝え聞く』より、鼓は音が出る楽器なので『音に聞く』の方が調べが高い」と助言します。次いでお婆さんも進み出て「さりながら、鼓は打つものですし、高いものを下から見ることを打ち見ると言いますから、『来て見れば』より、『打ち見れば』の方が調べが高い」と助言します。自分は都で名声があるのに、こんな鄙びたところに住む教養もないだろう老夫婦に直されるとは!と怒りを覚えた西行の前に更に孫娘も前に進み出て、「さりながら、鼓は獣の皮を剥いで用いますから、『沢辺に咲し』より『川辺に咲し』の方が調べが高い」と下の句まで直される始末。

内心腹を立てましたが、3人が手直しした歌のほうが断然良いことは西行も認めないわけにはいかず、自分の修行が足りなさを思い知ります。そこに一陣の風が吹き、西行は鼓ケ滝のほとりで夢を見ていたことに気付きます。住吉明神、人丸明神、玉津島明神の和歌三神が、西行の慢心を戒めるために夢に現れたのだと悟った彼は、以降発奮して亡くなる迄、さらに歌の修行をしたというお話。落語なら、神様に対し無礼を働いたのではないかと罰を恐れる西行に、ことの顛末を聞いた樵が「この滝は鼓で罰(撥)は当たらないという「なぁんちゃって」という落ちで終わるのでしょう。

どうして、南陵さんがこのお話を選ばれたのか聞いておりませんが、「満4年過ぎたからといって慢心してはいけないよ。いつも謙虚に修行のつもりで活動しなさいよ」というメッセージなのだろうと受け止めました。

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恒例の記念写真。撮ってくれたのは、丁度いいタイミングで東京から見学に来てくれた安西あやのさん。

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満4年を皆さんと一緒に乾杯して祝いました。以前お越しになった愛知県の天神林さんからもお菓子の差し入れを頂戴しました。名字が珍しいとおしゃべりして以来の繋がりですが、翌19日細馬宏通先生の講演も楽しみだと、京都に1泊して参加して下さいました。嬉しかったです。

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交流会の一方で、展示品を楽しむ若者たち。左から二人目が、集合写真を撮ってくれた安西あやのさん。そして、一番左が今回の素敵なチラシをデザインしてくれたイラストレーターの佳さん。

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この日佳さんが持参した手描きの栞を幻灯機で投影。以前は紙だったのですが、今度は透過するよう工夫されたので、観ることができました。1階には展覧会の為に彼女が描いた水彩画も展示しています。19日に佳さんのファンが2人来て下さったので、芳名帳に「Y1」[Y2」と書き込んで貰いました。これより先に佳さん作品コレクター氏が来館されていますので「Y0」と加筆しておきましょう。もっと多くのファンにも実際に見に来て貰えたら嬉しいです。

この後、皆さんに江戸川乱歩原作、塚原重義監督『押絵ト旅スル男』と錦影繪池田組の公演記録映像をご覧いただきました。和やかな交流会がこの後も繰り広げられ、満4年の記念日を楽しく過ごすことができ、感謝でいっぱいです。皆さまありがとうございました!!!

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