おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2021.01.29column

1月28日産経新聞夕刊2面に「帝国キネマ」についての大きな記事が掲載‼

1月28日付け産経新聞夕刊に、東大阪市とかつてそこで多くの映画を製作していた帝国キネマ演芸株式会社(略して、帝キネ)についての記事が、とても大きな扱いで載りました‼

帝キネが創業して昨年5月に100年を迎えたことを記念して、11月29日に東大阪市文化創造館で催しがありました。

新型コロナウイルス感染拡大が治まる気配がないことから、真新しい大きなホールも三密を避けようと空席を設けて定員100名に限定されました。募集開始早々に予約が一杯になり、人々の関心の高さが窺えました。その日取材してくださった産経新聞大阪本社編集部社会部東大阪駐在記者の西川博明さんが、とてもこの内容に関心をもたれて、先ずは12月5日午前9時から同社のインターネットサイト関西版「産経west」で紹介してくださり、昨日は紙面でも夕刊2面「地方にこそニュースがある プレミアム プラス1」のコーナーで掲載してくださいました。ネットも良いですが、やはり新聞紙面に載るのは別格ですね‼ 弁士の大森くみこさんと楽士の天宮 遙さんの様子も写っていて何より。そして、『何が彼女をそうさせたか』のフィルムを命がけでロシア(旧ソ連)から持ち帰られた山川暉雄さんのご子息雅行さんの話はもちろんですが、映画復元に携わった連れ合いのことにも触れていただき、嬉しいです。復元から四半世紀が経ち、再びこの作品が注目されることは喜ばしい限りです。

昨夜、記事にしてくださった嬉しさを西川記者さんに伝えましたら、「帝国キネマのお話は、不勉強ですが、全く知らない話で、非常に興味深く取材させていただきました。帝国キネマの歴史を知るきっかけになる一助になれば、と思います」と言ってくださいました。SNSでも記事のことを発信しましたら、(公財)大田区文化振興協会の方が、シェアして下さいました。かつて東京の大田区にも松竹蒲田撮影所があって、昨年創立100年の記念イベントをされました。彼女がシェアして下さったところに寄せられたコメントに「蒲田と東大阪 100年前キネマ 今もものづくりのライバル。面白くなりそうですね」がありました。本当に、そうだ‼ と思いました。今はコロナ禍でどこも大変でしょうが、それを創意工夫で乗り越えて、共に発展していってくださったら良いなぁと思います。

そもそも帝キネ創業者の山川吉太郎が映画に乗り出したきっかけは、1912(明治45)年の大阪「ミナミの大火」で焼け野原になった千日前の復興について南海鉄道(今の南海電鉄)社長から相談を受けて建設した一大娯楽センター「楽天地」に遡ります。吉太郎は、「楽天地」の活動写真館で上映する作品を製作しようと考えました。その「楽天地」の絵葉書が、今展示中の第1期「活動写真弁士の世界」に含まれています。

「大阪千日前楽天地 大きな建物が楽天地だんね。中へ入るといろんな見る物が仰山おまして、一日遊べまっせ。千日の通りは活動写真が何軒もおますさかい、年中こないにゾロゾロ見物人で賑やかなこったっせ」と河内弁丸出しの説明が書かれていて、NHK朝ドラ主人公千代ちゃんの台詞となって聞こえてきそう。

このあと、吉太郎は1920年5月に帝キネを発足し、小阪撮影所を稼働させますが、手狭になったことから1928年5月に新聞記事にあるとおり、敷地面積1万坪もある巨大な長瀬撮影所に移ります。不幸にも1930年9月30日未明の火災で全焼し、11月に京都の太秦に移転したあとの業績不振もあって1931年8月に「新興キネマ」に改組されて「帝キネ」の名前は消滅します。開所から11年の間に製作した映画は1000本近くに及び、「東洋のハリウッド」と呼ばれるに相応しい映画産業の一大拠点だったことは確か。今小阪撮影所も長瀬撮影所の跡も宅地化が進み、そのような時代があったことを知る人も少なくなっています。

「帝キネ」の記憶を継承するためにも、これからも折あるごとに発信していこうと思っています。

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