おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2021.03.18column

2ヵ月連続で「活動写真弁士の世界展」に来館頂いた児玉竜一・早稲田大学演劇博物館副館長

1月6日からスタートした「活動写真弁士の世界展-日本映画興行の始まり-」も、残り僅かとなりました。加古川市からお越しの公立文化施設の副館長さんは、人伝手に当館のことをお聞きになって足を運んで下さいました。「毎月京都に来ているのに、今まで知らなかった。とても面白かったからまた来ます」と仰って、来月からの展示のチラシを2カ所分持ち帰ってくださいました。アニメのおもちゃ映画を繋いだものを「面白い‼」と、とても気に入って下さいました。まだまだ当館のことをご存じじゃない方がたくさんおられるのだなぁと改めて思うと同時に、そうした人たちにどうしたら情報が伝わるのかと思案。

2月28日の第2期「活動写真弁士の黄金期」に続いて、第3期「トーキー時代以降:生きていた弁士」をご覧になりに、早稲田大学演劇博物館副館長の児玉竜一先生が来館。前回同様、「面白いと思われたことは何ですか?」と尋ねてみました。

そのひとつがこの写真。千住金美館のアルバムに納められていました。前列中央に紋付き袴姿で写っているのが、坂東好太郎。元々は歌舞伎出身でしたが、映画の世界で大スターになり、この写真は彼の全盛期のもの。「歓迎坂東好太郎●」の文字が見えるので、超有名なスターが金美館に来ると言うので、ファンの方達が着飾って記念写真に収まっている様子でしょう。その後、坂東好太郎は1970年代に映画から元の歌舞伎の世界に戻り、児玉先生は最後の舞台をご覧になった思い出があるのだそうです。活躍中の坂東彌十郎さんは、その三男。

金美館は20館あまりの映画館を有していたこともあるそうで、裕福な暮らしぶりがうかがえる家族写真などがアルバムにたくさん貼ってあります。中には、ちょび髭をくっつけた男の子が、帽子を被り、くたびれたスーツを着て、ステッキを持ち、大きな革靴を履いている写真も。隣に貼っている写真が昭和21年1月30日付けですから、それ以前に撮られたものでしょう。ご想像の通り、男の子は世界の喜劇王チャップリンのまねをしているのです。この1枚からも、チャップリンがすごい人気だった様子がうかがえます。当時のお金持ちの流行なのでしょうか、金美館は野球チームを有しておられたようです。児玉先生によると、六代目菊五郎は野球チームを3つももっていたとか。

アルバムに貼ってあった1枚。「高峯秀子」とメモ書きがしてあり、おそらく前列左から二人目が高峰秀子さん。1930年代。

右のポスターは「貴重だ」ということで、マーケットに出ることは考えられますが、左のポスターのような商品にもならないものまで片岡さんが残しておられることに感心されていました。

このポスターも同様で、商品として価値がないと思われるものは失われてしまいがちですが、そうしたものも資料としてコレクションされていることが「偉い!」と仰っていました。

先日購入した『熊本シネマ巷談』(1978年)に載っている「熊本市内活動弁士一覧」明治44年~昭和12年をみると結構女性弁士がおられますが、戦後の昭和20~40年代は女性活弁士は皆無。今も第一線で活躍されている澤登翠さんが松田春翠さんに弟子入りされた1972(昭和47)年頃は、女性弁士は大変珍しい存在でした。それでも昭和の終わりになると立川談志さんが澤登さんを「この人はうまくなる」と言うようになり、やがて「洋モノだけでなく、時代モノもはまってきたよね」と言われるように。さらに、平成20年頃になると「若いのがたくさんいるね」という時代になりました。

澤登さんが海外へ行くはしりとなり、片岡さんや坂本頼光さんも海外公演に出演するようになりました。そして今、海外で「カツベン!」が注目される時代に。1959(昭和34)年に松田春翠さんが立ち上げた無声映画鑑賞会の会報『カツキチ』№3(1965年3月10日号)を見ながら、児玉先生は「今も無声映画鑑賞会が継続され、『カツキチ』が発行され続けている。そういう意味でも澤登翠さんの功績は大きい」と仰って、二人で頷いていました。

その澤登翠さんの弟子にあたる片岡一郎さんの説明と生演奏で、3月21日最古の『忠臣蔵』が世界遺産二条城の二の丸御殿御清所で上映されます。記事では「片岡一郎さんら」となっていますが、「ら」はお馴染みの大森くみこさんのこと。私どもも拝見するのを今から楽しみにしています。

 

 

 

 

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