おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2023.02.17column

話題の映画『BABYLON』と展示中の「チャップリンと喜劇の黄金時代」

昨夜7時半開始の映画『BABIYLON』を観てきました。TOHOシネマズ二条の一番大きなホールでしたが、3時間9分の長さゆえか、お客さがまばらだったのが惜しまれます。全編35ミリフィルムで撮影し、現像の仕方にもこだわりがあったと知り、その映像を見たさに出かけましたが、目まぐるしく展開するシーンと音楽に呑み込まれて、あっという間の3時間9分でした。

実は昨日の朝、「KODAKメールマガジン」VOL.203 が届き、その特集が『BABIYLON』で撮影を担当されたリヌス・サンドグレンさんへのインタビューでした。監督で脚本も手掛けたデイミアン・チャゼルさんとは『ラ・ラ・ランド』(2016年)、『ファースト・マン』(2018年)と本作で3度目だそうで、どの作品もコダックのフィルムで撮影されています。アトラス・オリオン・アナモフリック・レンズを装着したアリカムLT35ミリカメラで撮影し、モノクロの場面はアリフレックス435とスフェリカルのレンズで撮影されたようです。日中の屋内と屋外でもフィルムを使い分け、ネガを通常よりも長い時間現像液に触れさせる(増感現像)など様々に工夫されているそうです。

「フィルムの調子を出すために、昔はみんな工夫していた。サンドグレンさんたちはそれを体験されたということ。今はそれを経験する場がどんどん減っている」と連れ合いが言っています。脇に逸れますが、大阪芸大映像学科は、これまで16ミリの実習を続けていましたが、学科長が新しくなった春からも、そうした経験が出来る環境が継承されたら良いなぁと思います。

映画は、1920年代のハリウッドが舞台。広大な砂漠をスタジオにして、様々な映画が作られて熱気にあふれています。因みに、バビロンとは、「映画の都」ハリウッド自体を表します。映画史上に残る大作映画『イントレランス』(1916年、D.W.グリフィス監督)の古代都市バビロンの場面で、この城壁を4キロに亘っての大セットが組まれ、それが「映画の都」の代名詞になりました。サイレント映画の研究者なら、次から次へと無声映画作品の名場面や迷場面の再現カットが出てきて、熱狂されるかも知れません。『雨に唄えば』は、サイレントからトーキー映画に変る時代を描いたミュージカル・コメディ映画ですが、そのオマージュとして、何度も出てきます。

ブラッド・ピッドが演じるサイレント映画の頂点に立つ映画スター、ジャック・コンラッドでしたが、やがてトーキー時代を迎え世代交代を感じて苦悩する場面があります。俳優のキャリアを左右するほどの影響力があるゴシップ・コラムニストが「あなたたちから見たら私たちはゴキブリかも知れないけれど、スターは一時で、ゴキブリの方が長生きできるのよ」とか「もうあなたの時代は終わったわ。そのかわり、一旦忘れられても、50年ほど経てば、またスターとして見て貰えるわ」というようなセリフをジャックに吐くのを聞いて、「それが今だ。当館で開催している『チャップリンと喜劇の黄金時代』と重なる!」と、思わず膝を打ちました。実際、映画では、チャップリンやキートンの名前も出てきましたし、映画製作を夢見るメキシコから来た青年、マニー・トレスが初めてハリウッドの撮影所を訪れたシーンで、次から次へと撮影中の場面が出てきますが、その中に“ファッティ”の愛称で知られたロスコ―・アーバックルの『コック』(1918年)の撮影風景も一瞬映りこんでいました(写真は当館所蔵映像の一部)。

『ハリウッド・バビロン』(1959年、ケネス・アンガー著)で、スキャンダルの第1号と挙げられたのが、ロスコ・アーバックルでした。冒頭のど派手で狂騒的、乱痴気騒ぎのようなハリウッドのバーティ―シーンで、ファッティのハリウッドスキャンダルを連想しました。この事件では駆け出しの女優ヴァージニア・ラッペさんが膀胱破裂で死亡しています。当時の事件を報道した新聞を読んだこともあり、ファッティのパーティーもこのような状態だったのかもと想像しながら観ました。

この映画のヒロイン、マーゴット・ロビー演ずるネリー・ラロイも自由奔放でハリウッドに飛び込んでいく新人女優の役。彼女の場合は特別な輝きをもって映画界で成功しますが、トーキー時代になるとやはり、スタジオが進化した中での撮影で、音響や照明の制約を受けて、立つ位置やセリフの言い回しで何度も撮り直しを重ねて苦悩します。このモデルは「イット・ガール」と呼ばれたクララ・ボウなのだそうです。彼女も下町訛のセリフや奔放な私生活が批判されて、人気が衰えて引退しました。なお、京都国際映画祭2020の時に、当館所蔵『クララ・ボウの気ままなレディ』(1925年)を大森くみこさんの活弁でご覧頂きました。

ジャックのモデルはサイレント時代の二枚目俳優ジョン・キルバートだそうですが、トーキー出演第1作で甲高い声で失笑を浴びて人気が落ちて、アルコール中毒になり、それが原因の心臓発作で急死したそうです。洋の東西を問わず、サイレントからトーキーへの移行期には様々な苦悩を伴いました。チャンバラ映画で人気があり「剣戟王」とまで呼ばれた阪東妻三郎も甲高い声で悩み、活弁風の語り口を取り入れ、声をつぶし、家じゅうにセリフを書いた紙を貼って覚えて努力したと聞きます。

ネリーを見出した女性監督オリビア・ハミルトンを演じたルース・アドラーがチャゼル監督夫人で、本作プロデューサー。モデルとなったのが1927年にハリウッド最初の専業女性監督となったドロシー・アーズナー。日本で最初の女性監督が現れたのは1936年坂根田鶴子で『初姿』だそうですから、9年も先駆けているのですね。

衣裳も、とても素晴らしかったです。数百人のキャストと数千人のエキストラの為に衣装デザイナーのメアリー・ゾフレスさんは最終的に7000着もの衣裳を作ったのだそうです。そして、ジャズトランペット奏者シドニー・パーマー役のジョヴァン・アデボとその演奏も印象に残りました。サイレントからトーキーに移行して、音楽映画が注目されるようになって一躍スターの座に躍り出たのですが、黒人なのにも関わらず、モノクロフィルムでの撮影は照明の関係から「顔が黒く映らない。白人のように見える」と、黒人であることを強調するために、さらに黒い墨を塗るように指示される場面がありました。実際、モデルの一人とされるルイ・アームストロングは短編映画撮影の時に顔を黒く塗らされていたそうです。役の上での指示とは言え、複雑な心境だったことでしょう。

今開催中の「チャップリンと喜劇の黄金時代」で掲示している和田誠さんがイラストを描いたポスター「シネ・ブラボー!」の一番下中央に「パール・ホワイト」のイラストと名前が載っています。

残念ながら彼女が出演した映画はほとんど残っていないそうです。ひょっとしたら、おもちゃ映画として販売されていたかもしれません。日本だけでなく海外も含めて断片でも残っていると良いですね。古いフィルムをお持ちの世界中の皆様、可能なら今一度お手元のフィルムをご確認ください。彼女の映像が見つかり、再評価される時代が来ることを願います。

ともあれ、この展覧会は26日までですので、残りわずかです。映画『BABIYLON』を観て、その時代へ思いを馳せながら展示をご覧頂いたり、或いは逆に展示をご覧になってから、『BABIYLON』をご覧頂ければ幸いです。皆様のお越しをお待ちしております‼

 

 

 

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