2025.10.16column
ポルデノーネ無声映画祭見て歩き1
2025年10月4日~11日、第44回ポルデノーネ無声映画祭がイタリアで開催。その2日目5日14時半(現地)から、スペシャル企画として紙フィルムプロジェクトの作品がDuo 夢乃の木村伶香能さん(箏)と玉木光さん(チェロ)の生演奏で上映されました。
プロジェクトチームリーダーのバックネル大学エリック・ファデン教授から「冒頭におもちゃ映画ミュージアムを称えて、宣伝しますよ」と言っていただけたのも嬉しかったのですが、実際に海外の人々、とりわけこの世界最大規模の無声映画祭は世界中の映画研究者、無声映画ファン、映画フィルムのアーキビストが集うことで知られていますので、そういう方たちがどういう反応、関心を見せてくださるのか自分の目で見たいと思い、二人で出かけてきました。
訪問に際し、ディレクターのジェイ・ワイスバーグ氏と何度もメールのやり取りをし、私たちの渡航費用捻出に精いっぱい尽力していただきました。本来なら演奏家の費用は負担されるようですが、私たちのような立場のものは自費が当然なところを、空港への往復の車の手配、滞在ホテル代4日分を映画祭で負担できるよう配慮して頂き、年金生活者ゆえ、大いに助けて頂きました。後に触れるギュンター・A・ブーフヴァルトさん、エリック先生、ロチェスター大学のジョアン・ベルナルディ教授らが働きかけてくださったおかげかもしれません。格別の配慮をしていただきましたことを、ワイスバーグ氏はじめ映画祭関係者の皆様に厚く御礼を申し上げます。
旅の航空手配は慣れないことでもあり、アルファトラベルの森野様にお願いしました。
行程1・10月3日(金)関西国際空港 23時45分発 エミレーツ航空EK317 便でドバイへ出発。

モノを知らなくて、イタリアの飛行機でなくても良いのかしら?などと思っていましたら、「世界でもっとも信頼されている航空会社」だと森野様だけでなく、多くの方に教えてもらいました。実際全くその通りで、往復とも安心して空の旅を楽しむことができました。
行程2・10月4日(土)ドバイ空港に4時40分到着。ここでの乗り継ぎが結構長くて。
お金持ちの国らしく、空港全体がゴージャス。

歩いても、歩いても。これが列車の旅なら、ちょっとドバイの街を見て歩きたいところなんですが。ヴェニス行きの便が出るまで、この巨大な籠の中の鳥。
9時5分、エミレーツ航空EK135 便でヴェニス(マルコポーロ国際空港)に向けて出発。窓際の席じゃなかったのが残念。
13時25分、予定通りマルコポーロ国際空港に到着。荷物を受け取り、出迎えの人が待っていてくださるであろう所を何往復もするのですが、私どもの名前を書いたプラカードを掲げた人を見つけられず…。
対照的に元気に手を振ってくれたのが、テコンドー日本選手団の皆さん。第23回世界テコンドー選手権大会がイタリアのイエーゾロで開催され、それに参加する日本の精鋭たちです。「頑張って~」と声援を送りつつも、出迎えの人と会えなければ、この先どうなるのかと一抹の不安が。そんなときに「何かお困りでしょうか?」と日本語で話しかけてくださった人が現れて、まさに地獄で仏。大勢のひとが待ち人を探すこの場所とは異なる場所があることを教えて貰いました。
そこへ急いで行ってみると、背の高い運転手さんが私どもの名前を書いた紙を手に所在なげ。映画祭サポート窓口の人に出会えたことを報告して、この最初の難は去りました。聞くとあと3人イギリスからのゲストを待っているのだという。一旦は車で待っていましたが、待てど暮らせどなので、業を煮やして、紙にその3人の名前を書いて、このテコンドー選手たちと出会った場所に行って紙を掲げました。果たしてまもなくイギリスからの3人さんが声をかけてくれ、ようやく無事に定員5人がそろった車はポルデノーネに向けて高速道路を約50分かけて疾走。
窓の外を景色が次から次へと飛ぶように消えては現れ、異国気分を満喫。どのような家にも煙突があって、それは1個とは限らず、2個だったり、3個だったり。サンタクロースさんが必ずプレゼントをもってきてくれる設計に。やがて落ち着いた静かな街の佇まいを見せるポルデノーネに到着。
車から降りてすぐに、映画祭会場のヴェルディ劇場正面、XXセッティンブレ広場にある公立図書館内の映画祭事務局に行って登録手続きをしました。マルコポーロ国際空港から掛けたうろたえた電話を受けてくださった女性スタッフのSuomiさんが、無事な到着を全身で喜んで迎えてくださいました。分厚いカタログ、手帳、会員証などが入った特製トートバッグを受け取りました。この会員証を提示すれば期間中出入り自由なのだそうです。本当は、初日4日14時、オープニングプログラムのギュンターさんが演奏される小作品集(1896-1934)を観たかったし、続く、グリフィスが1908年につくった3作品上映も、間に合わず…。とりあえず、ホテルにチェックイン。

これは翌朝の写真ですが、向かって右の建物がヴェルディ劇場。用意してくださったのが左の高級ホテルPALACE HOTEL MODERNO。忘れ物をしてもすぐに取りに戻れる正に「目と鼻の先」に位置しています。多くのゲストは、このホテルに宿泊のようです。

早速ポルデノーネの街を散策。これは市庁舎だった建物かも。絵本に出てくるヨーロッパの建物そのままですね。

これは教会。

絵が上手ならスケッチして残したい景色がそこここに。日本の木の文化とは異なる石の文化。

この教会の中に入ってみました。丁度司祭様によるお話がされていて、信者の方が熱心に聞いておられ静謐な時間が流れていました。

街中にでてウインドーショッピング。有名なチョコレート屋さんがあると教えて貰いましたが、それがこのお店かどうか。イタリアの店先はとても色遣いがお洒落だなぁと思います。日本ではまだ夏が居座っている感じですが、着いたイタリアは皆さんダウンジャケットやウールのコートを着込んで冬装束なのにびっくりしました。今からこんなのを着て、真冬はどうするの?と思ったくらいですが、寒がりの連れ合いは、冬の服をもって来なかったことを後悔して寒がっていました。私はちょうど探していた薄手でハイネックの長袖を見つけて早速購入。滞在中はこの1枚に大いに助けられました。
暮れようとするポルデノーネの街を歩きながら、腹ごしらえの場所探し。街にはいたるところにオープンカフェがあり、お酒を飲みながら語り合っている和やかな景色がみられました。円に換算するとどれも凄い値段なのにびっくり。日本に来た海外の人々が日本の食べ物を「安い」と感じるのに納得。結局サンドウィッチと飲み物を依頼してオープンカフェで、他の人々と同じように街の景色に溶け込みました。一旦ホテルに戻ってからヴェルディ劇場へ。
ディレクターがジェイ・ワイスバーグさんに代わってから、夜の上映時間前の休憩を長くとることになったのだそうです。みんなでワイワイガヤガヤ映画談議に花を咲かせられますからね。再会を約束したアムステルダムのBin Liさんが「おいしいレストランに案内する」と仰っていたのを楽しみに待ちましょう。
受け取った証明カードを提示すれば出入り自由なのは登録時にわかりましたが、チケット代はその都度支払うものだとばかり思っていました。それで21時から始まる上映会を観賞しようと受付に行ったら封書が用意されていて、3階に指定席が設けられていました。期間中はどの作品もフリーで鑑賞できるというありがたい扱いをしていただいたとわかり、改めて恐縮しつつ感謝した次第です。

車で公立図書館に到着した時、市民マラソンが繰り広げられて横断歩道を行くのも規制されていましたが、夜になってもまだ延々と市民マラソンは続いていました。おそらくこのXXセッテンブレ広場がゴールだったのでしょうけど、いったい何時間継続したマラソン大会なのかしら?
写真は、上映会場のヴェルディ劇場壁面にちょうど私たちの紙フィルムが投影されているところ。チャップリンやキートンなども次々映し出され、映画祭の雰囲気を盛り上げていました。この写真右端から通り沿いに長い行列ができて、その波は受付開始とともにヴェルディ劇場へ吸い込まれていきました。

21時からの上映前に、ディレクターのジェイさんが登壇され、ご挨拶。向かって右の紳士です。立場上、毎日夥しい数の人々とやり取りしてご多忙だった思いますが、そんな中で私とのメールにも丁寧で親切な対応をしてくださいました。ずっと実際にお目にかかってお礼を言いたいと思っていましたので、3階から見えたお姿ですが、私には輝いてみえました。会場はオペラ劇場でもあったらしく、その立派な設えの劇場に自分が座っていることも夢のよう。
この回のプログラムは、マックス・フライシャーの『ボクシング・カンガルー』(1920年)とチャップリン・ファミリー・ホーム・ムービー(1957年)をマウロ・コロンビスさんの演奏で上映されました。

続いて圧巻だったのは『シラノ・ド・ベルジュラック』(1922-1923年)。クルド・キューネさんが作曲し、ポルデノーネ室内管弦楽団により、ベン・パーマーさん指揮のもとで上映されました。私はこれまで大人数での生演奏で無声映画を観たことがなかったので、大変興味深かったし、素晴らしいものでした。今でいえば随分贅沢な映画の楽しみ方ですが、こうした体験を例えば小学生の間からさせてあげると、生涯にわたっての映画との付き合い方、楽しみ方が変わるように思います。本物に触れられる感動は大きいです。舞台に上がられたベン・ハンマーさんだけでなく、オーケストラボックスにおられる演奏の人々にも観客から惜しみない拍手が送られました。

3階の客席を見回すと、映画祭の間に演奏を担当される名だたる演奏家が席を埋めておられました。

その中に、ギュンター・ブーフヴァルトさんの姿を見つけ、二人が駆け寄り再会の喜びを抱き合って表現する感動的な場面が。京都駅が完成した折の大階段で上映した京都映画祭では『メトロポリス』を彼の演奏と指揮で上映し、ポルデノーネ無声映画祭では『何が彼女をそうさせたか』を演奏して頂きました。この時英語とイタリア語翻訳を手伝ってくださったのがジョアンさんでした。今年は上映が叶いませんでしたが、いずれは『おもちゃ映画で見た日中戦争』を彼の演奏で上映できる日も来るでしょう。
今回の上映会でも世界から来られた演奏家に指導するワークショップの講師を務めておられ、本番の上映会だけでなく、大忙しの活躍でした。私はSNSで繋がっていますが、実は直接お目にかかったのは、この時が初めて。でも、いつも連れ合いはギュンターさんのお話をしているので、初対面の感じがしなくて、私も再会を喜ぶ心境でした。

同じ3階の席で、5日紙フィルム上映で演奏を担当されたDuo夢乃さんの姿もありました。一足先の3日にアメリカから参加。今年6月京都での上映会会場ですれ違いでお会いできないままでしたので、遠いイタリアで再会できたことを互いに喜び合いました。

そして、ジョアン・ベルナルディ教授とも再会できました。毎年この映画祭には初日から最終日まで参加されているそうです。翌日再会したBin Liさんやクリストフ・ピエットさんも、そして早稲田大学の小松 弘先生(私は会場で初対面の挨拶をさせて頂きました)も、そのほか数多くのそうした人々が世界中からこのヴェルディ劇場に集っておられるのだとわかり、この映画愛で溢れている人たちの熱気を感じて、ただただ凄いなぁと感心しました。

日付けが10月5日に変わろうとするポルデノーネに、柔らかな雨が降ります。長い最初の一日が眠りにつきます。


