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2020.08.27column

8月1日に開催した講演会「靖国を問う~遺児集団参拝と強制合祀~」

靖国を問う

昨年9月30日に出版された『靖国を問う~遺児集団参拝と強制合祀~』(航思社)の著者、松岡 勲さんにお越し頂いて、8月1日に同じタイトルで講演会をしました。

松岡氏毎日新聞記事

松岡氏朝日新聞記事

毎日新聞夕刊と朝日新聞朝刊で紹介されたので、どのようなお話を聞かせてくださったのかは、おおよそおわかり頂けるかと思います。

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出版された本に書かれている著者紹介部分をコピペしますと、

……1944年生まれ。大阪府高槻市で小学校教員、中学校教員(社会科担当)。定年退職後、立命館大学、関西大学で非常勤講師(教職課程担当)を務め、退職。靖国合祀取消訴訟、安倍首相靖国参拝違憲訴訟の原告団に加わる。……

 当日配布してくださった資料は、「戦没者遺児の靖国神社強制参拝 戦前と戦後の連続性」(『わだつみのこえ 第151号』、2019年11月27日、日本戦没学生記念会)と「京都市、宇治市・舞鶴市の靖国神社遺児参拝~1950年代における靖国神社遺児参拝の実像を探る~」(『季刊 戦争責任研究 第88号』、2017年夏季号)。いずれも松岡さんがお書きになられたものです。

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最初に私どもが保存と活用を訴えている『京都ニュース』No.3の中から、1956年夏に映画館で上映された「靖国の遺児 東京へ」を上映しました。保存されていた京都市歴史資料館で、松岡さんが聞かれたところ、他にもあるような返事だったそうですが、現段階で遺児集団参拝に関する「京都ニュース」は、残念ながら他にみつかっていません。

そして、かつて調査された中で見つけられた「福井県政ニュース」の№28「遺児靖国神社に参拝」も見せていただきました。こういうふうに県・市区町村民の営みが映像で記録されていることは、今だけでなく、後々の人にとっても貴重な資料として役立つことを、京都市役所トップの方に、もう少し理解して欲しいと願わずにはおれません。

松岡さんに教えて貰ったところ、福井県政ニュースは№1~116まであるそうです。遺児靖国神社参拝に関する県政ニュースは3本あることになっていますが、1953年7月13日の№6と1954年8月24日の№13のフィルムは現段階で見つかっていないようです。とはいえ、1本でも保存されていることは貴重です。「京都ニュース」の場合は1956~94年に244作品が作られています。他府県でも遺児靖国神社参拝の記録映像に限らず、都道府県・市区町村民の活動を記録したフィルムがあれば、ぜひ保存して次世代に継承していただきたいと願います。そして、もし、遺児靖国神社参拝の記録映像が見つかりましたら、ご連絡いただければ直ぐに松岡さんにお繋ぎいたします。

松岡さんが上掲論考の中で紹介された斉藤俊彦著『「誉れの子』と戦争 愛国プロパガンダと子どもたち』の箇所を引用すると「戦没者遺児は国家の戦争遂行のためのプロパガンダだったことがよく分かる。たとえば当時の集団参拝参加者、八巻少年の頬に伝う「涙」は情報局の担当者が指示し、目薬によって演出されていたことが本人から明かされる」とあって驚きました。

松岡さんが中学3年(1958年)の時に参加した靖国神社遺児参拝では、宮司が「この靖国神社は、お国のためになくなられたあなた方のお父さんや、お兄さんの英霊がお祀りしてあります。此国がある限り、あなたがたのお父さんの名は後々まで残るでありましょう」と言われ、「なんとなく父は立派な死に方をしたんだなぁ、と思った」と遺児参拝文集に。2010年この文集を見つけた松岡さんは、当時の自分の認識に愕然としたそうです。「戦死した父の『死の意味づけ』を求める子どもを、戦後も国や行政、靖国神社は利用し続けてた。戦死した父や兄が『英霊』として祀られ、その死の意味づけを遺児たちは教えられる。もし戦争となれば、遺児たちもまた次の戦争に動員される」と思った松岡さんは、遺児集団参拝についての調査を始められました。

遺児集団参拝は、サンフランシスコ講和条約発効を期に行政主導で行われ、1952年から1960年頃まで全国で行われました。「1950年代は日本の再軍備が進められ、ひとつ間違えば日本が他国との戦争へ向かうかも知れない戦争の危機の時代だった。そうなっていれば、戦争遺児たちは再び銃を持たされ、戦争へ動員されていただろう。(略)幸いにも戦争の危機は避けられ、その危惧は回避された。しかし、現在の戦争をめぐる安倍政権の政策(集団的自衛権の容認、安保法制の成立)は、1950年代同様、いやそれ以上に戦争の危機を予感させる」と松岡さんは言います。

講演会開催から、随分日にちが経ち、いろんな雑用をこなしているうちに正直に言えば記憶が薄れつつありますが、今、当日の走り書きを見ると「1970年代から『侵略戦争』だったという認識が出た」という参加いただいた阪大の先生のコメントをメモしています。ジャーナリストで、元朝日新聞記者の本多勝一さんからだそうです。それまで「侵略」という認識がなかったことに、モノを知らない私は驚きました。

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 三密を防ぐことを意識しての集いでしたが、無事に終わってよかったです。参加いただいた皆様、どうもありがとうございました。松岡さんの調査研究が、今後ますます進みますように。

【2021年2月3日追記】

昨年12月に発行された韓国の翰林大學校日本學研究所の『翰林日本學』に、松岡さんの文章が107頁から136頁まで掲載され、その抜き刷りが今日届きました。そこに掲載されていた靖国文集表を見ると、北海道、福島県、茨城県、富山県、大阪府、広島県、鳥取県、島根県、長崎県と広範囲に及ぶ調査を粛々と進めておられる様子がうかがえます。添えられていたメモには「今後、戦前の遺児参拝、植民地下朝鮮の遺児参拝を調べます」とのこと。韓国との出会いで、戦前の韓国人戦没者遺児の靖国参拝の事実に気付いたそうです。熱い探求姿勢に大いに刺激を受けます。

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