おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2019.06.14column

新聞に幻燈機の写真を載せてもらいました!

ujIMG_20190612_0001 (3) - コピー拡大してご覧になれるPCなら良いのですが、そうでなければせっかくの鷲谷花先生の文章が読めないかも知れず、その場合はご容赦くださいませ。右下に載っているのが当館が提供した幻燈機の写真です。1本の電話が東京からかかって来て「締め切りまで時間がないので恐縮ですが、古い幻燈機の写真を急ぎ送ってください」ということでした。幻燈機はたくさんあるのですが、「なるべく初期のものを」という希望でしたので、アルコールランプを用いて、煙突がある方がいいと思い、しかも日本製なので、この写真をお送りしました。

一昨日届いた「しんぶん赤旗」を広げてびっくり。お送りした写真が、当館でも講演をして下さった鷲谷花先生の連載に添えられていたからです。趣旨に叶っているのか心配になって「これで良かったのかしら?」と先生にも新聞社にもお尋ねしましたが、双方「これで良い」ということで、このような体裁で掲載の運びになったとわかり、一安心しました。

鷲谷先生の文章では、幻燈機(マジック・ランタン)の日本での受容と発展、使用目的の変遷が分かりやすく書かれています。初期はこの幻燈機のようにガラス種板を用いて拡大して見ていました。来週18日に訪問する施設では、立派な池田都楽の幻燈機で、子どもたちへの教育として映写して見せる人体内部の臓器を説明したものや天体を説明するガラス種板がありました。

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これは当館にもある池田都楽製の幻燈機です。先の施設のものとは形状が異なります。3月にお越しいただいたお客様の中に池田都楽製の幻燈機と、どうやらブラジル移民を促すためのガラス種板を多数お持ちの方がおられ、5月のイベント「覗いて、写して、楽しむモノたち展」の折りに少し見せていただきました。「ブラジルは良いところだ」と移民を勧めるために作られた種板、ということで大変興味を持ちました。

5月に再会するまでの間の4月11日に長野県の人から、1通の問い合わせメールを受け取りました。この方も池田都楽の幻燈機と、約100枚のガラス種板を入手され、岸本與(あたえ)という幻燈師・社会教育家について調べておられました。早稲田大学名誉教授の草原真知子先生によれば、幻燈師の個人名までわかるというのは大変珍しいことのようです。問い合わせ者は、4月18日付けFacebookで「伊那谷雑話127 岸本與と幻燈機をめぐって(上)」を公開されました。地元の新聞を丹念に調査され、先行文献にもあたりながら、大変丁寧に調査されていて、長野県周辺での幻燈を用いた様子がうかがわれて、続編を読むのを楽しみにしていました。

その声が届いたかのように、4月25日付けFacebookで「伊那谷雑話128 岸本與と幻燈機をめぐって(中)」を公開されました。その記事に、その方のお知り合いが「岸本與は信濃教育会の嘱託として移植民(ブラジル移民)の宣伝にもかかわっていたようですね」と書き込みをされたことにびっくりしました。この瞬間に、3月の来館者が入手されたガラス種板と長野の方が調査されている「岸本與」が何だか繋がったような気がしたのです。

3月の方のお話によれば、ブラジル移民の後に満蒙開拓団が押し勧められていったのだそうです。3月初めの骨董市で買った16㎜フィルムが、満蒙開拓団として渡った人々の暮らしを撮ったものでした。長野県の人々が満州の千振へ移民として渡り、そこでは軍隊に見守られながら農業や酪農をして、豊かな暮らしができると満蒙開拓団を勧める内容とみました。最初期の開拓団を撮影した映像と思われます。

そこで、12月8日に3台の池田都楽繋がりで、幻燈でみるブラジル移民、16㎜フィルムでみる満蒙開拓団をテーマに専門家をお招きしてイベントをしようと思っています。それまでに、満蒙開拓団を勧める幻燈種板が見つかれば良いのですが

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このブログを書き始めた13日、たまたま目にした日経新聞のコラムにブラジル移民の話が書かれていました。1908年は明治41年。幻燈師・岸本與がj活躍していた時代です。長野県の方が調べられた内容を参照すれば、「明治33年27歳の時、山梨県内、長野県下伊那において連日連夜、幻灯会を開いた」「岸本氏ヲ聘シテ時局二関スル幻燈会ヲ催シ極メテ盛会ナリシ」などと書かれた記録が残っているようです。幻燈師・岸本與のような人々が、きっと他にも活動していたことでしょう。そうした資料がもっとわかれば良いのに、と思います。

 

今日は鷲谷  花先生の連載「幻灯の映した日本社会②」でした。映画より低コストで使うことが出来、操作も簡単、しかも割と高画質な映像をスクリーンに拡大して大勢で見ることができると幻灯機は人気だったようです。5月の「覗いて、写して、楽しむモノたち展」では戦後の35㎜フィルム式幻燈機で「頓智の一休さん」を毎日操作体験して貰いながらご覧いただきました。鷲谷先生の記事によれば、「1948年には占領当局に届け出た幻灯製作業者が48社あったとされています。写真、漫画、日本画、人形劇など多様なスタイルの幻灯が量産され、全国の学校や公共施設、職場などで盛んに上映されました」。前述「頓智の一休さん」シリーズの幻燈も幼稚園でカセットテープに吹き込まれた音声と同期させて、子どもたちに見せていたものです。

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2月に寄贈頂き、5月の催しでご覧いただこうと思っていたこのフィルム幻燈は、残念ながら時間がなくて約束を果たせませんでした。いずれの機会にお目に掛けたいと思っています。

 

 

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