おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2019.10.24column

恩師のお墓参りと「鞍馬の火祭」準備風景見学

10月23日、正式に京都市民になりました‼ 

自治体ごとにゴミの出し方が異なるので、戸惑うことも多く、陶器のエコステーションが京都市左京区にある東部まち美化事務所だと教わり、22日行ってきました。場所的に、鞍馬への道の途中だと分かったので、「鞍馬の火祭」の雰囲気を少しでも味わえたらと思って、急遽足を伸ばすことに。DSC01474

せっかくの機会だからと、私どもの恩師である脚本家・依田義賢先生と奥様のお墓参りに圓通寺へ。今、以前お墓参りしたときの思い出を綴った私のブログを読み返してみると、丁度8年前の今頃のことで、もうそんなに年月が経ったのかとびっくりしています。

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その時見た国の名庭、枯山水の平庭。客殿の東にあり、大きな杉や檜の木の間から築山に見立てた霊峰比叡山が望めます。圓通寺は借景で有名な臨済宗妙心寺派の寺院です。

 もともとは後水尾天皇の別荘として建てられた幡枝離宮を、上皇となられた後に、禅院を創建しようとお寺に改修されました。1678年に霊元天皇の乳母である文英尼に下賜され、文英尼は妙心寺の景川宗隆を勧請開山し、1680年に霊元天皇勅願寺になりました。皇室ゆかりなので、築地塀には白い5本の定規筋が引かれていて、菊のご紋が掛けられています。後水尾天皇は、比叡山の稜線が最も美しく見ることができる地を彼方此方12年間もかけて探し求められたのだそうです。有名な修学院離宮は、この圓通寺の庭園手法を取り入れた借景の庭で、後水尾天皇の優れた美意識がうかがえます。

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先ほどの門をくぐったところに、高浜虚子の句が(写真向かって右側)。

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「柿 落葉 踏ミて たづねぬ 圓通寺」。踏み石は寺の名前に相応しく円の形をしています。

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2011年に来たときにあったのか否か記憶が定かではありませんが、鬼瓦ならぬ赤い兜の前立て が澄み切った秋空に映えています。その建物の前を過ぎて、墓地に。

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依田先生ご夫妻が眠るお墓(写真手前)の向こうに、比叡の山々の稜線が美しく眺められます。

不義理して8年ぶりのお墓参りとなりましたが、境内はどこも手入れが行き届き、景色だけでなく、空気も澄み切っていて心が洗われるようでした。先生に「太田君、よく頑張っているね」と言ってもらえるよう、これからも精進しなければと手を合わせて祈りながら、鞍馬へと向かいました。

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下調べをせずに出かけましたが、最初に目に飛び込んだのが、この設え。地元の方にお話をうかがうと、これは「宿(やど)」と呼ぶそうです。940(天慶3)年、世の平安を祈り、朱雀天皇の詔で御所に祀られていた由岐明神を鞍馬に遷宮することで北の鎮めとすることになりました。その行列の時、神様をここでお迎えされたのだそうです。

昨年2月24日に国立民族学博物館名誉教授大森康宏さんに「京都の魔を祓う剣鉾」をテーマに記録映像と解説をして貰ったのですが、その剣鉾が中央に聳えています。大森先生と市文化財保護課の福持昌之さんの解説の中で鞍馬の剣鉾について語られたのか否か記憶が曖昧なのですが、これがこの日最初に目にした剣鉾。

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お供えがされている中央にも、剣鉾が飾られています。本当は由緒などをもっと詳しくお聞きしたかったのですが、準備の妨げになってもいけないと我慢しました。

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大きな篝火に注連縄を張り、幣を付けておられます。篝火が、どれほど大きいか、よく分かりますね。

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街道に面する家々に大きな松明が飾られています。それぞれの家の手作り、それぞれの家のアートですね。これを見ているだけでワクワクします。

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時間は11時半、ぼちぼち紋付き袴姿の人が現れて、行き交う人と挨拶されています。皆さん、晴れ晴れとした表情です。お天気も味方してくれて、秋晴れの穏やかな良い天気です。

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一見すると、祇園祭の「屏風祭」のよう。それぞれの家の間口が開放されて、鞍馬の火祭に関する鎧やお宝が飾られていて、間近で拝見させていただきました。

DSC01515街道は鞍馬寺の山門前に至り、風情ある門前町ぶらり散策が楽しめます。

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この先を右に街道を進んだのですが、お祭りのためにどこも駐車お断り。しかたなく戻ってきて、ダメ元でこの油屋さんに少しの間だけ駐車をお願いしました。「15時には通行止めになるから」ということでしたが、「今日は他に用事があるので、長居ができないから」といって少しだけ留めさせていただきました。ついでに腹ごしらえも。眼前の鞍馬寺山門前に神様の依代が小さな砂利で作られていました。

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分厚い湯葉の刺身。他にシシ肉丼と山菜そばを平らげて満足満足。多くの有名人が訪れているようで、色紙が沢山飾ってありました。

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鞍馬寺の石段を登ると、由岐神社の白い法被を着た人々が準備中。御神輿が既にスタンバイ。その間を通って仁王門まで。

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目に飛び込んできたのは、なかなか良い表情の狛犬ならぬ駒寅の阿像、DSC01527

そして、吽像。背後に「大正2年1月寅日」と刻まれていました。

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そして、山門の左右に配された仁王像。こちらは阿像。

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そしてこちらは、吽像。寿永年間(1182ー1184)に建立された仁王門ですが、明治24(1991)年に炎上。明治44(1911)年に再建され、その後昭和35(1969)年に移築修理が加えられたそうです。仁王像は鎌倉時代の有名な仏師・運慶の嫡男、湛慶作と伝えられていて、明治の再建時に丹波より移されたものだそうです。湛慶も、運慶、快慶と並ぶ大家です。

べんけい対ウシワカ 2 - コピー

この仁王門をくぐり、上っていけば鞍馬寺に至ります。これは10月19日京都国際映画祭2019「京都ゆかりのアニメーション」のプログラムでご覧いただいた「日本アニメーションの父」政岡憲三が1939年に作ったアニメーション「べんけい対ウシワカ」の一コマ。この年に第二次世界大戦が始まりますが、映画からは、そのような時代の気配を微塵も感じることがありません。もともと絵を勉強していて、音楽にも造詣が深いこともあり、とても素晴らしい作品でした。大きなスクリーンで見たので、一層感動しました。

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 同じプログラムで上映した作品の一つに、谷耀介監督が2017年に作られた「くらまの火祭」がありました。この絵は、先ほどの写真で見た御神輿が松明に先導され、石段を降りてくるところなんですね。アートアニメーションでは珍しいドキュメンタリータッチの作品であることが評価され、国内外で受賞されています。

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そうこうしているうちに御神輿の前に月桂冠の酒樽が並び、準備は着々と。このままずっと真夜中まで見ていたい気分でしたが、そうも行かず、石段を降りて、もう少し街道沿いを歩くことにしました。

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ここは御神輿が一休みされるところ。建物の右にある車輪がついた乗り物に御神輿が乗って、鞍馬の集落を回りながら人々の平安を祈るのでしょう。

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さらに上っていくと、剣鉾が立ててあります。中にも剣鉾が飾られていて、その横の吹散らしは、有栖川宮様から寄付されたものだそうです。鎧兜もあります。ここで、小さな厄除け松明を買い求めました。柴を結ぶのは「ツヅラフジ」だそうですが、「鹿が食べて余りとれなくなった」そうです。

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手にしているのが、厄除けミニ松明。早速帰って、おもちゃ映画ミュージアムに飾りました。

この向かいの家で、一生懸命「武者わらじ」を拵えておられるのが見えたので、お話を聞かせて貰いました。

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「武者わらじ」は、それぞれの家で作るそうです。青色をしているのは棕櫚で、わらじの紐が切れないようにする工夫だそうです。3人の息子さんが、鞍馬の火祭のために、それぞれのところから実家に戻って祭りに参加されるのだそうです。それを楽しみにされている様子が表情から伝わってきますね。

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大きな松明。太い白フジの根っこで、柴を結んでいます。これだけの材料を集めるだけでも大変ですね。これに火がついた様子を想像するだけで勇壮さに力が漲ってきます。大人が担ぐ大松明は、大きなものだと100キロもあるとか。担ぎ手は、このツルを持ってバランスを取りながら進みます。時間さえあれば、祭りの進行を自分の目で見たかったです。いつか、この準備風景のその先を見学したい。

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「時間さえあれば…」という惜しい気持ちで街道を京都市内に向けて戻る途中、漸く「由岐神社御旅所」に気付きました。行きにどうして気がつかなかったのかしら?通りがかりのおばあさまにお聞きしたところ、ここでお祭りのクライマックス。それが夜中の0時まで続くのだそうです。

京都三大奇祭の一つだと言われていますが、どうして奇祭といわれているのか、今度は最後まで見届けてそれを実感したいです。

見られなかったけれど、京都新聞に大松明に火がついた様子を撮った写真が載っていたので、最後に貼り付けます。

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こちらのサイトから、地図を借用しました。

 

 鞍馬の火祭 地図 

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