おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2020.04.02column

嵐電嵐山線「車折神社」駅など各駅に設置されているデジタルサイネージで、歴代学生映画上映会を紹介していただきました‼

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雲の間からお日様が顔を覗かせていたので、映画『嵐電』で知名度アップした京福電鉄嵐山本線四条大宮駅から嵐電に乗って嵐山駅まで行ってきました。ミュージアムに一番近い「四条大宮」駅の改札口は、いつも季節感たっぷりに飾り付けてお客様を迎えています。今は桜の花ですが、猛威を振るっているCOVID-19(新型コロナウィルス)の感染拡大を懸念して外出を控えるよういわれているので、花見らしい花見もできないまま4月に。

実は先月中旬に嵐電の沿線深耕担当の方が「沿線の面白い場所を探している」と来館されました。その時、おもちゃ映写機の体験などをしてもらっただけでなく、4月1日からスタートの「大阪芸大映像学科・歴代学生映画THE FIRST PICTURES SHOW1971-2020」のことについてもお話しました。幸いなことに関心を寄せて下さって、「4月1日から少なくとも2週間、デジタルサイネージで催しを紹介する」と仰ってくださいました。

その時は、デジタルサイネージのイメージができていなかったのですが、ネットで検索すると四条大宮駅隣の西院駅と終点の嵐山駅に大型のデジタルサイネージ(縦長の55インチ)が設置されていました。京都府と京福電鉄、シスコシステムズ他の協力で名勝嵐山周遊観光促進事業実証事業が2018年3月6日開始され、今年2月1日から、シスコシステムズ他4団体により京都スマートシティ構想を加速する実証実験が開始されたようです。で、「うわっ、こんなに大きな画面で紹介して貰えるのか」とびっくりして、自分の目で確かめようと花見を兼ねて出かけた次第。

事前の問い合わせで、残念ながらこの大きな画面ではないと教えて貰ったのですが、それでも催しを紹介して頂けるのは嬉しいので、いそいそと電車に乗り込みました。四条大宮駅には見当たらず、

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隣の西院駅にありました。左端に写っているのが、その大型のデジタルサイネージですね。4脚並んだ青い椅子の右端上に、丁度当館の「大阪芸大映像学科・歴代学生映画THE FIRST PICTURES SHOW1971-2020」が映し出されていました。嬉しかったですね‼いくつかある催し、観光名所、新型コロナへの注意などが何秒か単位で次々映し出されます。

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沿線の桜。震災の時も思いましたが、どのような困難な事態でも、春になれば桜が微笑みます。やはり美しい日本の花。

DSC03496山之内駅には駅舎がないので見当たらず、

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嵐電天神川駅には中くらいのデジタルサイネージ

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蚕ノ社(かいこのやしろしゃ)駅で、車内から「大阪芸大映像学科・歴代学生映画THE FIRST PICTURES SHOW1971-2020」を見ることができて、ルンルン♪

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弥勒菩薩で有名なお寺がある太秦広隆寺駅、御室仁和寺がある帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅、有栖川駅を過ぎて、車折(くるまざき)神社駅に着いたら、

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丁度この案内が!!!!!

DSC03511鹿王院を過ぎ、終点の嵐山駅に到着。降り立つのは、いったい何年ぶりのことかしら。

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3月26日の京都新聞によれば、嵐電嵐山本線は1910年3月25日、嵐山電車軌道として四条大宮-嵐山で開業し、今年開業110年の節目を迎えたそうです。それを記念して同じく今年創業110年となる不二家と共同企画して人気キャラクター「ペコちゃん」、そして京福電鉄の「あらん」をラッピングした車両を1年間運行しているとのこと。この日は幾度も嵐電車両を目にしましたが、残念ながら見ること叶わず。たまたま3日に1度の点検日だったのかも知れず。。。

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設置している大型のデジタルサイネージのボタンを押せば日本語、英語、中国語の切り替えが出来ます。イベント情報、見どころMAPなどの項目をタップすれば必要情報が得られるだけでなく、スマホアプリの「おもてなしガイド」を起動させれば、サイネージと同様のコンテンツをスマホでもチェックできるそうです。どんどん進化していますが、ロートルは置いてけぼり。駅前は昔とすっかり変わってしまって「今浦島」の気分。

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少しだけ周りを歩いてプチ花見。せっかくだから湯葉のお吸い物と桑塩をお土産に買って、お店の人にCOVID-19 の影響を尋ねたら「お客さんは、もう、全然少ない‼」と嘆いておられました。うちのミュージアムも閑古鳥。それでも時折来て下さる方がおられるので、3つの「密」(密閉、密集、密接)に充分気を付けながら、予定通り上映会をしています。

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再び嵐電に乗って、四条大宮駅に向かって出発進行!

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ふと、かつて読んだ柏木隆法著『千本組始末記』(1992年、海燕書房)のことを思い出し、車折神社で途中下車。

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随分前に読んだのでうろ覚えでしたが、車折神社には、千本三条に千本組を構えた「荒虎・笹井三左衛門」が寄進したものがあるはず、と勝手に玉垣だろうと思い込んで一つずつ見て歩きました。写真手前に笹井治助」とありますが、縁のある人か否か分からず。

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この朱い鳥居の向かいにあったのが、「林セン 中村扇雀」と刻まれた玉垣。歌舞伎界の名優で人間国宝に認定された二世中村鴈治郎さん で、中村玉緒さんのお父様。大映を中心に映画の世界でも数々の名作に出演されています。本名は林 好雄さん。センさんは奥様なのかしら?

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芸能神社として知られているので、有名人のお名前がズラリと並んでいます。神社の方に「千本三条にあった千本組の笹井さんという人が寄進した玉垣がないですか?」と尋ねてみましたが、「古い時代のことは分からず、石の玉垣なら順番に見ていくしかないが、朱塗りの玉垣なら期限ごとに替わるので」と教えて貰いました。もしこの中に好きなスターの名があれば、出かけてみては如何でしょう?

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この立札を読み、丸みを帯びた白い小石を1個持ち帰りました。COVID-19の影響で今後の町家運営が気になっているので、一日も早く終息して神社に返しに来ることができるよう願いを込めて撫でています。今のところ、水上の平安絵巻「三船祭」は、今年5月17日に開催されるようです。

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 「本で確認してみよう」と一端帰ろうとホームに着いたら、嵐電と当館の催しを紹介するデジタルサイネージが一緒にカメラに収まるグッドタイミング。

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再び車折神社の今度は正面に。右の「車折神社」と刻まれた石柱が、探していた「千本組親分 荒寅」が寄進した鳥居でした。

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「車折神社表参道第二鳥居は、京都・三条千本の荒寅こと笹井三左衛門及びその一門により、日清戦争凱旋帰還を感謝して、明治41年5月に奉納されたもので、その優美な姿が99年に渡り親しまれて来たが、平成19年12月8日に損傷し、止むなく解体された。(略)」と説明書にあります。

「荒寅」というのは、笹井三左衛門の四股名で、松尾大社の神事「八朔相撲」に於て、当時の最高位だった大関を何年も務めた、力強く、喧嘩もめっぽう強い偉丈夫な人物です。今の京都市右京区嵯峨中山町に生まれ、代々、手広く運搬業を営んでいた「車屋」庄兵衛を名乗る家柄で、明治21年1月1日に三左衛門に改名します。

明治になって西高瀬川が川幅広く改修されたことで、梅津と嵯峨の材木業者たちが市街地に最も近付く千本三条へ移動します。三左衛門が千本三条に出てきたのは、明治22、23年頃と思われ、明治27年浜沖仕を束ねる元締めになります。が、折からの日清戦争の煽りをうけて新材木町は不景気のどん底に。その打開策に政府が募集していた軍夫に集団応募して、明治28年樺山総督率いる軍艦に軍夫長となって乗船し、台湾へ向かいます。4ヵ月後京都に戻った三左衛門は、戦功を賞せられ、3000円が下賜されます。それを元に事業拡大を図り、千本三条の西側朱雀野村に3000坪の土地を買い材木置き場を確保し、11業種を手掛け、いずれも成功しました。

この出征の前に、信仰に篤い三左衛門は車折神社に凱旋帰還を祈願し、叶えられれば立派な鳥居を寄進すると誓詞を書いています。そして、約束通り寄進したのがこの鳥居でした。富岡鉄斎とは、笹井家の氏神である車折神社の宮司としての付き合いだったそうです。

『千本組始末記』の書き出しは「明治34年1月末か2月の初めごろ、京都千本三条交差点南側に千本組という金看板が掲げられた。正業は人夫口入れ業である。この年より敗戦にいたる約40年にわたって千本組は京都の運送業、土木業界にひとつの地位を築くことになる。千本組は博徒の一家と異なり、季節労働者や日雇労務者などを束ねる当時としてはめずらしい“かたぎやくざ”であった。かたぎやくざは町内の治安を守ったり消防団などもかね、祭礼も取り仕切った。千本組全盛のころは祇園祭の御輿を3基も任されていた」です。

以前ミュージアムに近い「元祇園 梛神社」の祭礼について歩いたときのことをこちらで書きました。境内にかつての朱雀野村から遷座した式内大社の隼神社が鎮座しています。

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その時、梛神社の鳥居脇に立つ「千本組」と刻まれた大きな玉垣を見つけて「おおっ!」と思ったのが興味を持つきっかけに。笹井三左衛門の三男の末三郎(映画界の黒幕と言われた)や大映の社長になった永田雅一は、隼神社跡地に明治37(1904)年に建てられた朱雀野尋常小学校(現:朱雀第一小学校)に入学しています。また、明治43(1910)年には、笹井三左衛門が明治36年に購入した二条櫓下(二条城の西南)の土地300坪に、京都最初の映画撮影所が作られ、横田永之助、牧野省三、尾上松之助によって時代劇映画が作られました。土地を貸しただけでなく、映画のセットに必要な材木や人の手配など千本組が担った部分は大きいでしょう。京都の映画草創期と千本組は切っても切れない間柄でした。

『千本組始末記』を読んだときから、「一度実見したい」と思っていたことが、デジタルサイネージで紹介して頂けた機会に、叶いました‼

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