おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2020.06.25column

京都新聞朝刊に「映画監督成瀬巳喜男資料展」の紹介記事掲載!

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こうして、新聞紙面で掲載していただけたこと、とても嬉しいです。早速問い合わせの電話が朝から何本もかかりました。少しずつ人が動き始めていると感じていますが、もう少しこの動きが早かったなら、より多くの人にご覧いただけたかと思うと、新型コロナが恨めしい。

記事にも登場する資料所蔵先のお二人が、きちんと丁寧に保存してくださったおかげで、見栄え良く展示することができました。にわか勉強で、私も何冊か成瀬監督について書かれた本を読み、その作品に興味を持ちました。28日村川先生が、どのようなお話をしてくださるのか、とても楽しみにしています。

さて、先日成瀬監督の自筆が無いなぁと思って、本地先生に「どんな文字を書かれたのでしょうね?」と問いかけましたら、『映画読本』(1995年、フィルムアート社)に『浮雲』(1955年)の書入れ台本が載っていることを教えて貰いました。私が読んだ『成瀬巳喜男の設計』(1990年、筑摩書房)にも、『コタンの口笛』(1959年)の直しとカット削りの入った台本が載っていたので、2つを照合して、その書き込みの文字が成瀬さんの筆跡だろうと判断し、掲示しています。

そして、先日山中貞雄監督について振り返りをしていて、1937年秋、中国の戦地に赴こうとして京都で待機している山中に対して東宝の監督たちが集まって寄せ書きを送るのですが、その中に成瀬監督が書かれたものがあることを思い出しました。

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 成瀬監督より5歳下の映画青年だった後の黒澤明監督は「時代劇は山中貞雄、現代劇は成瀬巳喜男といわれた」と回想しています。山本薩夫『私の映画人生』によれば、「PCL(写真化学研究所。後の東宝)の監督のなかでは、成瀬さんは山中さんと一番仲がよかった」と書いておられるそうで、お互いに切磋琢磨しながら良い映画作りに邁進していたのでしょう。

成瀬監督がその山中貞雄監督に対し、「生水を絶対飲まないよう、どうしても我慢できないときは酸っぱい梅のことを思い出してね」と書いています。この最後の「ネ」の使い方に二人の仲の良さと人柄が表れているような気がします。

結果は、成瀬が懸念したことが現実になって、山中貞雄は戦地で汚い水に浸かったことから伝染病に罹患し、28歳の若さで戦病死します。もし、山中が戦地から引き揚げてくることができていたなら、どのような優れた作品が生み出されたかと思うと本当に残念です。

こうした一面も見て貰いながら、第四の巨匠と讃えられた成瀬巳喜男監督の世界を頑張って展示していますので、ぜひこの機会にご覧頂ければ嬉しいです。

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