おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2020.07.07column

3人の方からの寄贈品‼

雨降りの合間をぬって自転車で京都府庁へ行った帰り道、二条城の傍まで来たので、足を伸ばして「二条城撮影所跡」碑を撮ってきました。

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世界文化遺産二条城の西南角地に、1997年京都映画100年を記念して建碑されました。

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今から110年前に、京都で最初の撮影所がこの地で誕生しました。稲畑勝太郎から映画の興行権を受け継いだ横田商会の横田永之助、千本座座主だった牧野省三、牧野によってヘッドハンティングされた旅回り一座の歌舞伎役者尾上松之助の3人がタッグを組んで時代劇映画を作ります。外連味に優れた松之助はたちまち人気者になり、「目玉の松ちゃん」と呼ばれて、日本で最初の映画スターになります。

その横田永之助の三男雅夫さんから、4日8㎜フィルム1缶を寄贈頂きました。昨年6月の企画展「京都映画産業の礎を築いた二人の偉人、稲畑勝太郎と横田永之助」展の時に資料をお借りするなど横田家には随分とお世話になりました。その折り、2回にわたり研究発表をしてくださった長谷憲一郎さんご尽力の賜物です。そして、今回のフィルム寄贈にも長谷さんのお力添えがありました。

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 これが、そのフィルム。東京銀座にあった会社が販売していた『ベティとお化け』。残念ながら、タイトル部分はなかったですが、フィルムの状態は良好です。

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活弁士の山崎バニラさんや大森くみこさんの語りで早く聴いてみたいものです。いずれ場を設けますので、お楽しみに‼

若いアニメーション史研究家の谷廣和哉さんに尋ねたところ、劇場公開時の邦題が『ベティとお化け』は見当たらないそうですが、何より驚いたことは、ベティの作品はほとんど全作品が現存しているということ。凄いです‼ そして、改めて、先ほど上掲画像を見て貰ったところ、『Dizzy Red Riding Hood』(1931)だと思われるとの返事が早速届きました。やはり彼は、心強い知恵袋です!!!!!

さて、6月27日に京都市内在住の福住富雄さんから、手描きポスターを寄贈頂きました。

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2018年4月終わりから5月1日までウイングス京都で、「福住富雄映画ポスター展」が開催され、それを見に行った時以来の2年ぶり再会です。大映京都撮影所があったときは、美術部社員としてセットの背景画などを描いておられました。映画鑑賞会などのために描いてこられたポスターの枚数は相当な数にのぼります。その中から額に入っていないポスター16作品、大判写真8作品、キャビネ判写真6作品を寄贈して頂きました。こちらも、いずれ企画展でご紹介したいと思っています。

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 そして。こちらは昨日6日、吹田市の利國様から寄贈頂いた幻燈機用フィルムです。9作品が入っていました。劣化が進んでいたり、少し劣化していたりしたものが多かったです。『浦島太郎』『ピノキオの冒険』『おさる太閤記』『文福茶釜』『証誠寺の狸ばやし』『三太の狸狩』『おやゆび姫』『汽車の話』『白雪姫』。よく知られているお話なので、子ども達が飽きずに手回しの幻燈機で見て楽しんだものでしょう。

綺麗な文字のお便りが入っていて、6月13日午前4時から放送されたラジオ深夜便の「明日への言葉 アンコール」をお聴きになって、起きてメモも取ってくださったのだとか。終活のために家の整理をしていて見つかったフィルムなのだそうです。戦後、お父様が近所の子ども達を集めて幻燈機で見せてくださっていたのが記憶にあるとか。「ラジオの他はなんの娯楽もなかった時代です」と綴っておられます。うちにあるおもちゃ映画も、幻燈機も、ビューワーも、そのような時代に楽しまれた、こころを豊かにさせてくれた玩具だったのです。連れ合いは、自分より2歳上の利國さんが、「終活」と書かれていたことにショックを受けたよう。

今年5月4日の「大宮グッドフェスティバル」はコロナ禍で中止になりましたが、その時上映しようと思っていた幻燈機用フィルム6作品を大阪堺市の昭和我楽多研究会南様から映像協力頂いていますので、まとめて「幻燈機用フィルム大会」のような形で来年上映できたら良いなぁと思います。

寄贈を頂いたことで、楽しみな企画が、ポップコーンのように次々生まれて頭の中で跳ねています。本当に感謝で一杯です。

 

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