おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2020.09.18column

映画監督山中貞雄のお墓参り

 

山中貞雄碑文の軸

昨日は、28歳の若さで日中戦争で戦病死した映画監督山中貞雄の82回目の命日でした。この日にあわせ、昨年作った小津安二郎監督筆「山中貞雄之碑」を拓本した軸を今月に入ってから掛けています。前々から17日にはお墓参りに行こうと思っていたのですが、寄る年波でうっかり今日が17日と勘違いしていて。。。

1日遅れになりましたが、自転車に乗って菩提寺の大雄寺(京都市上京区)に行ってきました。

大雄寺jpg

ここが、大雄寺。2015年4月に改築されて綺麗なお寺です。副住職さまは「山中貞雄之碑」の拓本をとった日のことを覚えていて下さいました。その節は、本当にありがとうございました。ご報告を兼ねて、8月29日に発行されたばかりの「全国小津安二郎ネットワーク ニュースレター№112号」をお渡ししてきました。拙稿「大雄寺境内にある『山中貞雄之碑』の拓本を巡って」が載っているからです。

山中貞雄之碑jpg

「山中貞雄之碑」です。先の「全国小津安二郎ネットワーク ニュースレター№112号」編集後記で中澤千磨夫会長様は「小津と山中は南京東効・湯水鎮(現在は湯山鎮)で会った後、幽明境を異にしました。戦地から帰った小津は山中忌の開催、碑の建立に尽力したのです。」と書いておられます。

9月9日NHK「歴史秘話ヒストリア」は、「小津安二郎 日常というドラマ」でした。その中で山中貞雄にも触れていました。戦地で小津と山中は僅か40分程度とはいえ再会を果たしましたが、従軍中も山中は、映画に対するいろんなアイデアを温めていました。一方、映画のことを考える余裕もなかった小津は、彼との会話から大きな影響を受けます。詮無いことですが、戦地から山中が戻っていたなら、温めていたアイデアをどのように発酵させていたのか、観たかったなぁと思いながら番組を見ました。戦争は、惜しい人を奪いました。

山中貞雄の墓

 コロナ禍で、今年の「山中貞雄を偲ぶ会」が中止になったと、中澤会長様から聞いていましたので、僭越ながら皆様の気持ちをお伝えしたいとも思って出かけたのですが、副住職様から、昨日シネ・ヌーヴォの景山様ご夫妻がお参りに来られたとお聞きしました。お墓の前に「山中貞雄を偲ぶ会」の真新しい塔婆?がお供えされていました。

今、これを書きながら、昨年9月25日~11月10日「生誕110年記念  山中貞雄資料展」期間中の9月28日「看板俳優藤川矢之輔 前進座と山中貞雄を語る」と11月10日「映画史における山中貞雄」の振り返りを書けていなかったことに気付いて、冷や汗をかいています。後者については、話をした連れ合いがこちらに書いていますが、全体としては書き切れていません。記憶も遠のき、誤って書いてもいけないので、写真だけ掲載ということでご容赦を。

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前進座の藤川矢之輔さん。当館でお話をしていただくのは2回目。お祖父様から3世代にわたる前進座の俳優さんで、「どっこい生きてる」に赤ん坊役として、生後2カ月から子役として活躍されていたそうです。この時の展示では、劇団前進座さんから貴重な資料をお借りして広くご覧いただくことができました。

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もう一人、貴重な資料を快くお貸しくださった日本映画史研究家本地陽彦先生。東京から駆けつけてくださって感激しました。先生の背後に写る巻手紙(長さ約5メートル)は、戦地に赴こうとしている山中に対し、PCLの関係者等が武運長久を願って書いたもの。京都伏見の連隊にいて、神戸からの出港に備えていた山中はこれを読んでいます。先生の右側に、まだサード助監督時代だった黒澤明の署名もあります。

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「大雄寺境内にある『山中貞雄之碑』の拓本を巡って」で書いたことですが、この巻手紙を含む山中宛書簡60通が京都の了蓮寺ご住職から、山中とゆかりがある前進座に寄贈され、それを前進座職員として受け取って整理保管されたのが若き日の本地先生なのでした。そのことを知ったときは、巡り合わせの妙に大変驚きました。

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懇親会後に残ってくださった皆さんと記念写真。気さくな藤川矢之輔さんを囲んで、和やかな時間を共有しました。

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そして、これは最終日11月10日、館長が『映画史における山中貞雄』のタイトルで話をしている様子。9月も11月も東京から参加して下さった方がおられて、大変嬉しかったです。

その後の懇親会で、サポーターとしていつも温かく応援してくださっている名古屋の女性から、思いがけないプレゼントを貰いました。

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 古本を買ったら、間に新聞記事のスクラップが挟んであったのだとか。その中に山中の監督デビュー作『磯の源太 抱寝の長脇差』や、若き日の連れ合いが写る『何が彼女をそうさせたか』復元の記事も。

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亡くなった母が「写真は正直ですね」と以前私に言った言葉を思い出しますが、なるほどと首肯。24年も経つと立派なおじいちゃまです。

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そして、私にも昨日、彼女からプレゼントをいただきました。京都文化博物館で山中監督『丹下左膳余話百萬両の壺』をご覧になっての帰りに、立ち寄ってくださいました。

7月26日活弁士の坂本頼光さんをお招きして「無声映画に見る新国劇の世界」をした折りに、坂本さんが描いたサザザさんの手拭いを使った帯を締めて参加して下さいました。その折り、「お揃いの帯をプレゼントする」と仰ってくださいましたが、約束通り、マスクとお揃いで手作りして下さいました!!!!!感激して、満面の笑みの、わたし。やはり立派なおばあちゃんになっていますが、気持ちは彼女を始めとする仲間たちに支えられて、面白おかしく、若やいで生きていきたい。マスクは坂本頼光さんと会うときまで、大切にしまっておきましょう。

山中貞雄監督の命日が、素敵なプレゼントをいただく嬉しい記念日にもなりました。感謝でいっぱいです‼

 

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