おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2021.02.20column

「日本映画博の歌」の音源を頂戴しました‼

昨日、名古屋映画史を研究されている小林貞弘さんから、SPレコードから採録された音源が届きました。1957(昭和32)年3月、愛知県犬山市の犬山自然公園(現在の日本モンキーパーク)で開催された「日本映画博覧会」の時に作られた『日本映画博の歌』です。こうした博覧会があったことをご存じの方はどれぐらいおられるでしょうか?

博覧会があった翌年の1958年は、国内映画館数が7000館を超え、観客動員数も11億2745万人を記録するなど、戦後日本映画の黄金時代でした。当時は、1館1スクリーンで、繁華街なら派手な看板や幟を揚げた映画館が軒を並べ、活気に満ちていた時代です。早速聴いてみましたら、如何にも昭和という時代を感じる歌でした。

小林貞弘さんは、昨年3月18日に、横井湖南氏旧蔵『パテー・シネ』などの雑誌49冊を寄贈して下さいました。研究の繋がりで小林さんに寄贈されましたが、「有効に活用して欲しい」との先方の希望に沿うべく、関係者の助言もあって当館に寄贈いただいたものです。

その時のことは、こちらで書き、昨年9月2日~10月25日に開催した「パテ・ベビーと小型映画資料展」で展示して紹介しました。

他にも、ご自身が執筆された『名古屋の映画館の歴史1907ー2018』(2019年、河合文化教育研究所)をご恵贈頂き、そのことについては、こちらで書きました。この本の中で、「日本映画博覧会」が愛知県で開催されたことを知りました。しかもそのためのテーマソングまで作られて、SPレコードで発売もされていたことから、「どんな歌なのか聞いてみたい」と綴りました。実は頭の隅っこにこの思いはずっとあったのですが、やがて一年経とうという今、叶うとは‼

中部日本新聞社(現在の中日新聞社)と名鉄電車の主催で開催されたこの事業は、入場者数が60万人を超えたそうです。高齢の人なら、見に行った記憶がある人もおられるでしょうね。

この本をめくっていると、この「日本映画博覧会」より35年前の1922(大正11)年4月に、名古屋市中区門前町の「愛知県商品陳列館」で警察部保安課主催「活動写真展覧会」が催されています。映画の善用を企図したもので、地方で唯一の開催だったそうです。当館にパテ・ベビーなどの機材やフィルムを寄贈して下さった故・塩澤昻一さんのお父様も名古屋時代にパテ・ベビーのカメラで撮影されておられました。名古屋は、早くから映画熱が高い土地柄だったのでしょうか。

さて、『日本映画博の歌』についてですが、作詞は岸 美智子さん。石本美由起さん補作とありますから、募集された作品の中から選ばれたのかも知れませんね。作曲が船村徹さん、歌が岡本敦郎さん、演奏はコロンビア オーケストラ。岡本敦郎さんを検索したら『高原列車は行く』がヒットしました。聞き覚えがある曲なので、「これは懐かしい」と耳を傾けました。きちんと丁寧に歌っておられ、如何にも昭和歌謡の世界。『花の名は』(1954年)というのもあって、岸恵子さんと一緒に歌っておられます。クリックして聴いてみてください。

『日本映画博』の歌詞は、

1.日本ラインに 城影映し

  花の犬山 パラダイス

   若い心の 憧れを

   呼ぶよさそうよ パノラマの

   夢も麗はし 映画博

2.絵巻模様の オープンセット 

  並ぶ宿場や チャイナ街

   花のスターの 面影が

   誰の胸にも 浮びくる

   夢も微笑む 映画博

3.お化け屋敷や お伽の国よ

  子供映画の 科学館

   あかぬ不思議さ 面白さ

   廻る風車も くるくると

   夢をさゝやく 映画博

4.広い世界の 隅々までも

  伸びる映画の 躍進を

   示す設備の 素晴らしさ

   今日もあしたも 人々の

   夢をよぶ/\ 映画博 ♪

今は映画を見る方法が多様化していますし、コロナ禍もあって映画館を取り巻く環境は大変ですが、この歌が唱われていた時代は前途洋々で希望に溢れている感じがします。映画を取り巻く環境がもっと/\ 元気になれば良いなぁと願います。

この音源をお聴きになりたい方は、遠慮なくお声がけ下さい。

 

 

 

 

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