おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2022.03.06column

再会の嬉しさ

今日来館してくださった新美ぬゑさん。おそらく2019年2月10日に開催した「『北山清太郎』トークイベントと関連作品上映」で登壇者として研究発表をしていただいて以来の再会です。漫画研究者なのですが、初期の日本アニメーションを研究している人が少ないことから、2017年が国産アニメ誕生100年になるのを記念して、自ら手を挙げてイベントを企画したり、当館でも発表してくださいました。

昨年4~5月に「ペン画で甦る尾上松之助最晩年『忠臣蔵』展」と12月に同Part2の展覧会をした折り、漫画研究者の人たちに実際にペン画を見てもらいたかったのですが、コロナ禍もあってなかなか来てもらえないままに終わったことをとても残念に思っていました。でも、今日は「ようやくその日が来た‼」とばかり、さっそくスキャンした芹川文彰さんのペン画集を見てもらいました。熊本県山鹿市在住で当時15歳だった芹川さんが、映画『忠臣蔵』(1926年公開)を映画館で観て描き始めた作品集で、最初から終わりまで約500コマが描かれています。

新美さんによれば、戦前の漫画の研究者は少ないのだそうです。それもあって、なかなか来てもらえなかったのかもしれません。

芹川さんの絵に今も共通する漫画チックな表現がみられるので「誰が最初に考えた描き方かしら?」と尋ねましたら「当時もいろんな表現が出てきていた。誰がとは一概に言えないのではないか。これが描かれた時代は、小説や絵画、漫画など様々な文化的なものが出てきて、それらの影響を受けているのだろう」と新美さん。新妻四郎さん演ずる不破数右衛門が好きだったのか何枚も描かれていて、「不破数右衛門の絵は初期の頃よりだんだん書き慣れてうまくなっている。最初の頃は書き方が決まっていないが、だんだんと決まりつつある。とてもうまい絵とそうでない絵があって、人に読ませようとしていない。男らしい新妻四郎に惹かれる一方、遊里の人が出てこないのは、恥ずかしいのもあったのだろう。思春期真っ最中の作品。漫画を描こうとしたのではなく、映画を克明に描こうとしたのだろう。だから、漫画的な画面割ではなく、あくまで映画のショットを描くように描かれている」と。

「是非に彼のペン画を何らかの形で研究に活かしてほしい」と要望しましたら、頷いてくださいました。実現できれば、無名のままに終わった天国の芹川さんもきっと喜んでくださることでしょう。

そこにやってこられたのは、神奈川県川崎市からお越しのお母様と京都市内在住のご子息。新美さんも川崎市でお仕事をされていて、お母様は川崎市市民ミュージアムの学芸員だった方の指導で古文書を習っておられたのだとか。新美さんもその指導者をご存じだったので、何という奇遇でしょう。聞けば、ご子息が初めて当館に来られたのが、2016年10月22日活動写真弁士の坂本頼光さんに登壇頂いて、前日が誕生日だった嵐寛寿郎主演の『百万弗秘聞』と『鞍馬天狗』を上映した時のことでした。「丁度横溝正史の『悪魔の手毬唄』を読み終えたばかりで、活弁士がどのようなものか関心があったから」参加してくださったのだそうです。お母様を案内して、6年ぶりに来館してくださったことも嬉しかったですし、私どもが健在にしていることを自分のことのように喜んでくださったことも嬉しかったです。帰宅後に受け取ったメールに、「なかなか訪れる機会がなく、時間が経過してしまいました。愉しいひと時を過ごせてよかったです。また何かの折に立ち寄らせていただきます」と綴られていました💗

元気で再会を喜び合えることは、普通のことのようではありますが、ロシアのウクライナ軍事侵攻の暴挙、愚挙を見ていますと、「普通のこと」が何とありがたいことかと思えます。ウクライナの人々の安全と、これ以上の被害が拡大しないよう心から祈ります‼

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