おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2017.04.18column

千本三条と西高瀬川、材木商、そして、昔の映画

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桜が咲いて喜んでいたのもつかの間、降り続いた雨に濡れて可愛そうでした。その間に庭のチューリップが慈雨に恵まれてグングン成長し、こんなに元気に咲いて喜ばせてくれています。富山県砺波市の散居村でチュ―リップ栽培もしていた農家に生まれた私は、数ある花の中でも、ダントツにチュ―リップが好き。15、16日の催しに参加して下さった人にも、きっと喜んで貰えたことでしょう。

さて、催しの後の交流会に備えて、千本三条を少し西に行ったところにあるお店に買い出しに行った時に、これまで見逃していた駒札が目に飛び込んできました。

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透明ビニールシートが貼ってあるので反射して読みにくいのですが、西高瀬川について書いてあります。

文久3(1863)年、丹波地方の木材や穀物を大堰川から洛中へ運ぶために河村与三右衛門が開削。明治3(1870)年に京都府が改修して、やがて筏の舟入場ができたのを機に、千本三条界隈は木材の集散地として栄えました。駒札の終わり部分に「へぇ~」と思ったのは、明治以降に木材運搬のメインルートが西高瀬川に移ると、木屋町にあった材木商が次々千本三条界隈へ引越ししてきて、その中に、坂本龍馬ゆかりとして有名な材木商「酢屋」も含まれていたことです。

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写真手前の橋に「栂尾一号橋」と振ってありました。三条通を挟んで北側に京都木材会館があります。確かに自転車でミュージアム周辺を散策すると、今も銘木店が多くあるのに気付きます。後院通(こういんどおり)がなぜ千本三条から四条大宮にかけて斜めの電車道として敷設されたかの都市伝説に、材木商たちの「敷地が分断されるのが困る」という反対があったことも理由の一つになっているくらいです。ネットで調べましたら、千本三条に引越しした「酢屋」は、京都市中京区壬生朱雀町34番地の㈱千本銘木商会。よく看板を目にするお店です。

一般に、坂本龍馬と海援隊士を匿った材木商「酢屋」として知られている京都市中京区河原町三条下ルの「ギャラリー龍馬」「創作木工芸酢屋」は、享保6(1721)年に材木商として現在と同じ場所で創業し、子孫の方が商いをされているそうです。

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三条通沿いに西高瀬川が西から東に向かって流れています。この上流方向少し行ったところに件の駒札がたっています。

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そしてカーブを曲がったこの場所(壬生朱雀町)で西高瀬川は南下し、最後は京都市伏見区下鳥羽で鴨川に合流します。渡月橋西の桂川を水源に、鴨川に合流するまで総延長15.4㌔あると駒札にあります。

書きながら思い出したのですが、何度か来館いただいている映画好きの男性のおばあさまは、旧姓●晶子さんという方で、かつては、この辺り一帯で木材業「木政(きまさ)」を営んでおられたそうです。親戚も「木藤(きとう)」という木材業を営んでおられました。2015年10月8日に尾上松之助展をご覧に晶子さん(当時83歳)が来館されたときお話を伺うと、「千本三条近くで、貨物線が敷地内を走り、木材を左右に落とすのが圧巻の光景だった」と話してくださいました。

もっと驚いたのは、晶子さんのご主人のおばさまであるスージー・マツモトさんが、アメリカに住んでおられて、李香蘭こと山口淑子さんがシャーリー・ヤマグチとして初めてアメリカ映画に出演した「東は東」(1951年、キング・ヴィダー監督)に彼女の母親役で出演されたのだそうです。日本公開前のタイトルは「日本の戦争花嫁(Japanese War Bride)」でした。「京都ホテル、島津、都ホテルが、みな占領されていた時代に、スージー・マツモトさんは英語を話し、考え方もすっかりアメリカ人だった」という印象があるそうですが、映画出演は、この1本のみ。

来館いただいた日に上映していた「尾上松之助葬儀実況」(大正15<1926>年9月16日)をご覧になって、「小豆色の堀川電車が懐かしい。これに乗って学校へ通った。実家は下鴨泉川町」と話されたので、私たちの恩師である脚本家依田義賢先生のことをご存知かと尋ねましたら、良くご存知でした。お父さんは京大の経済を出て銀行にお勤めだったそうです。「小学生のころ、松竹下鴨撮影所で、まだまだ拙い方法で撮影しているのを良く見かけた。俳優の坂東好太郎(1911~1981年、昭和初期の歌舞伎役者で映画俳優。屋号は大和屋。時代劇映画の二枚目スター)は、隣組でとてもハンサムだった」と懐かしそうに話してくださいました。ご一家が揃って映画好きなのも、こうした経験があるからかもしれませんね。季節も良くなってきましたので、またご来館いただいて、昔の映画のことなどお話を伺えたら良いなぁと思っています。

山口淑子さんゆかりの日に、晶子さんからお聞きした話を書こうと、ずっと思ってきましたが、偶然、千本三条西にたっている駒札を目にしたことから、2015年に書いたノートのメモ書きを読み返しながら書くことができました。ちなみに、明治43(1910)年に京都で最初に作られた二条城西南櫓近くの撮影所「横田商会二条城撮影所」は、千本三条に材木商が集まったことも一つの要因だと言われています。映画のセットには材木がたくさん必要だったからです。

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