おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2017.08.24column

9月8日上映会「市民が写した沖縄戦後史」

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8月17日朝日新聞京都版に紹介していただきました。もっと早くに掲載すれば良かったのですが、22日に関連した記者発表が予定されていましたので,その解禁を待っておりました。

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琉球朝日放送、沖縄テレビでも放送されたようです。この記事には「ハワイで開かれる沖縄フェスティバルで上映するなど」 と書いてありますが、「など」には当おもちゃ映画ミュージアムも含まれます。9月8日18時半からの上映会「市民が写した沖縄戦後史」の時に、10分程度のこの貴重な作品の一部も上映していただきます。

8月5日に研究発表会「映画の著作権を考える」を開催したばかりですが、今回復元されたフィルムにはクレジットがありませんでした。しかし、同時期に製作された『執念の毒蛇』(1932年、日布映画㈱。プロデューサー:ハワイ移民の渡口政善、監督:吉野二郎)はスタッフのクレジットがあったために既にパブリックドメインになっていることがはっきりしています。公益に資するために、今回記者発表し、さらにプロデューサーゆかりのハワイでの上映、さらに監督ゆかりの京都でも上映し、何らかの作品に関する情報が得られえば良いなぁと思います。

なぜ、監督が京都ゆかりかと申せば、『日本映画監督全集』(1976年、キネマ旬報増刊12、24号、№698)によれば、吉野二郎は、1923(大正12)年の関東大震災で松竹蒲田撮影所から京都の松竹下加茂撮影所に移ったこともあったり、1928(昭和3)年2月には、マキノ省三の御室撮影所にいて、1931年マキノプロダクション閉鎖まで活躍しました。その後独立して「ツバメ映画社」を設立していますから(マツダ映画社のサイト参照)、今回修復された作品はその頃のもので、記事にも出てくる沖縄アーカイブ研究所の真喜屋力さんは、「京都での上映は里帰り的な意味合いもあります」とメールに綴っておられます。

このブログを書く前にFacebookで紹介したところ、「吉野二郎の現存する最も新しい作品ですね」という意見が寄せられ、

それに対し、真喜屋さんは「現時点では同時に撮った『執念の毒蛇』が吉野二郎の最も新しい作品かと。今回の記録映画にクレジットがないので、断言できないのです。現在、この記録映画は著作者不明の孤児作品に近い扱いです。とはいえ、いろいろ情報も聞こえてきて、9/8にはいろいろ新展開がお話できるようにしたいと思っています。」とコメント。

先のコメントを寄せてくださった方は「現存するもっとも古いのはNFC(東京国立近代美術館フィルムセンター)が持ってる国活(国際活映)作品(1920年)ですかね。桁外れの作品数を生んだ監督ですが10本と残っていないですから、この沖縄の作品は貴重です。」と続けて書いてくださいました。「早撮りの名手」として知られ、「一日に2本」の映画製作記録を持っているのだそうです。『執念の毒蛇』と一緒に『沖縄縣の名所古蹟の實況』を撮るなど朝飯前だったのかもしれませんね。それにしてもサイレント映画の残存率が低いことが、この例でもおわかりでしょう。

この作品の一部上映も9月8日の目玉ではありますが、何といっても主役は沖縄の市民が撮った1951(昭和26)年~1985(昭和60)年の貴重なカラー映像の数々です。

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KyotoFlyer2戦争で燃えてしまう前の旧那覇市街などの映像と、戦後の混沌から立ち上がっていく沖縄の市民の姿、風景をどうぞご覧ください。真喜屋さんのご配慮で、「市民が写した沖縄戦後史」上映は県外初となります。貴重な機会ですので、どうぞお見逃しなく!そして、お知り合いにもご紹介いただければ幸いに存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

 【後日追記】8月31日RBC(琉球テレビ)でも詳しく放送されましたし、今日9月1日付け琉球新報でも見開きで大きく報道されました。かつての美しい沖縄の様子が記録された映像が見つかったことに対する関心の高さがうかがえます。元の35ミリフィルムの劣化の凄まじさとその進行具合の速さには大変驚きましたが、まだどこかで眠ったままのフィルムがあるとしたら、それこそ急がねばなりません。

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