おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2018.02.01column

お馴染みさんと一緒に「第3回桂花團治の咄して観よかぃ」

落語家の桂花團治さんをホストに、歴史小説家木下昌輝さんをゲストにお迎えして「桂花團治の咄して観よかぃ」の第3回目を去る1月19日(金)19時から開催しました。中には、連続シリーズ皆勤賞の参加者、ゲストの木下さんのファンの方も参加いただき、和やかな雰囲気の中で始まりました。

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花團治さんのオープニングトークは、木下さんの著書『天下一の軽口男』を取り上げてスタート。上方落語の祖・米沢彦八(江戸前期から中期の人)を初めて小説に書いたのが木下さんなのだそうです。彦八が江戸落語の祖・鹿野武左衛門を訪ねていく設定は木下さんのフィクション。当時京都でも、露の五郎兵衛が活躍していました。彦八は大阪の生玉神社の境内に葦簀張りの小屋を張って大名の物真似などをして笑いに命をかけていましたし、露のも京都の北野天満宮で彦八同様に大道(野外)をしていました。一方の鹿野武左衛門は大名に呼ばれて座敷で落語をしていて、どこか上から目線。それを見た彦八は太鼓持ちのような鹿野の芸風に反発し、上方に戻って落語の花を咲かせました。上方落語の花團治さんは、彦八の生き様に勇気づけられて、この作品が大好きなのだそうです。曰く「上方落語が一番!」。面白いのは、彦八も鹿野も共に大阪難波村の生まれであること。そして木下さんによれば、鹿野と露のが一緒に本を出していたり、彦八が露ののことをギャグにしていたりと、三人が交流していたことが文献に出てくるのだそうです。

また「史実は体制側から見るのか、弱者の側から見るのかで変わってしまうが、木下さんは後者の視点で描いているのも嬉しい」と花團治さん。その視点の背景にあったのが若い頃にしていた「竹内流武道」にあるという話が面白かったです。例として「風呂詰」。自分より強い相手がいたら、謝って弟子になって、風呂に入れて接待せよ。そうして油断させておいて殺せ。「えぇっ!卑怯!」と思わず突っ込みたくなりますが、そうしないと生きていけない時代に岡山の美作で発生し、百姓から武士でない人、女性にも教えていた弱者に寄り添う武道なんだそうです。「ただ卑怯なだけなら発生から400年も続かない」との言葉には頷きますが。花團治さんは「落語も民衆の立場から見ているので同じ」と続けます。

体制から見るのか、弱者の側から見るのかの視点によって作品が大きく異なる例として、花團治さんは源平合戦の頃の物語「藤戸」を取り上げて、能と歌舞伎の描き方の違いを熱く語ってくださいました。長くなるので、それぞれのお話は割愛しますが、結論から言うと花團治さんは能を支持されることは書いておきましょう。

DSC03827 (2) - コピー続いて、初めて来館の方もおられるので当館の説明を館長から。今から十数年前におもちゃ映画の復元に取り組んでいた頃、知り合いを通じて、大河内伝次郎の大ファンでコレクターの人にお話を聞く機会を得ました。その時彼が言った言葉が「しまった!数百本が全て劣化してダメになり、捨てた。10年前にやってもらっていたら協力したのに…」。その言葉を聞いて「10年遅かった!」と思い、一刻も早く貴重な無声映画を発掘して保存できるようにしなければならないと、なお一層取り組むようになりました。ミュージアムでは、そうして保存した映像を自由にご覧いただくことができます。

世界的に見ると、海外では初期のナイトレートフィルムは燃えやすいということで販売されず、安全な小型映画が普及しました。けれども、日本では映画館で不要になった35㎜フィルムが「おもちゃ映画」として販売されました。熱狂的なファンがいたからこそ、こうした貴重な映画の断片が残りました。小型映画はストーリーがありますが、おもちゃ映画は面白い部分を切り売りしていたので、ストーリー性がなく、タイトルや製作年などわからないものもたくさんあります。

例としてご覧いただいたのは、まず最初に『三味線武士』(衣笠十四三監督、嵐寛寿郎主演)。1939年日活京都製作のトーキー作品なのですが、おもちゃ映画として販売するため音無しです。余りに短いので会場から「CMみたい」の声が。次に『雪の渡り鳥』(1931年、阪妻プロ新興。宮田十三一監督、阪東妻三郎主演)。当時は手回しなのでカメラマンも映写技師も、1秒間に2回まわす訓練から始まったと聞いています。1回回すと8コマなので1秒間に16コマとなります。

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保存した時代劇映画のリストの中から木下さんがご覧になりたいものを上映しました。著作に『敵の名は、宮本武蔵』がありますので、『宮本武蔵 剣心一路』(1940年、日活京都。稲垣浩監督、片岡千恵蔵主演)から。巌流島の佐々木小次郎(月形龍之介)との決闘シーンでは、宮川一夫キャメラマンが稲垣監督の意向を受けて、長い剣に対抗するための演出として、何度も跳んでいるシーンを撮影し、間合いを取るために何カットも重ねて編集しています。

『宮本武蔵』(1929年、千恵蔵プロ。井上金太郎監督、片岡千恵蔵主演)は、二刀流になったときの戦い。木下さんは「武蔵は二刀流を教えてはいたが、ほぼ一刀流で、二刀流では戦ったことがないという説がある」と解説。これに館長は「内田吐夢監督の『真剣勝負』で、相手(宍戸梅軒)が鎖鎌を使っていたので、それに対抗するため二刀流で戦ったという描き方をしたのが始まりではないか」と解説。もう一つの『宮本武蔵 風の巻』(1937年、Jo東宝。石橋清一監督・黒川弥太郎主演)は、トーキーですが、音を切って販売していました。

木下さんの小説に切腹がよく出てくることについて「切腹することは武士にとって名誉?」との花團治さんの問いかけに、「戦国時代は追腹(主君の後を追って死ぬこと)は名誉なことだった。命の値段が軽くて、その軽い命をどうするかは死に方しかなくて、打ち首、磔という不名誉な死よりも、主君の息子を守るために死んだとなると三階級特進のようなもの。それだけで子孫の生活が保障される面もあった。当時家を残すことが一番大切だったので、そういう意味で、死に方をちゃんとしなくちゃいけないという強迫観念があったと思う」と木下さんが応じます。このお話を聞きながら私は、以前書いた「1銭五厘の命」を思い出しました。1銭5厘は召集令状のハガキの値段で、上官から「お前の命は馬の値段より安い」と殴られたという実話です。こうしたことは何も過去だけではなく、残念なことに今も見られることではないでしょうか。

花團治さんから「映像から死ぬやつありますか?」と尋ねられてご覧いただいたのが『仇討選手』(1931年、日活京都。内田吐夢監督、大河内伝次郎主演)。殿が仇討の美談に憧れ、百姓の大河内伝次郎が仇討相手の侍に仕立てられ、御前での戦いとなって、「どうせ死ぬなら」と死に物狂いに戦い、殺されてしまう話。仇討は武士道の花だといいながら、武士道の仮面を剥がす社会主義的な視点で描きました。戦争の時代は劇映画が規制されたのですが、映画人たちは「慰安も必要だ」と主張して時代劇の中に喜劇的な要素を加えて作っています。

続いて伊丹万作監督の『花火』(1931年、千恵プロ日活)と『国士無双』(1932年、千恵プロ日活)を。片岡千恵蔵主演のナンセンス時代劇で、後者は本物が偽物に勝てない、肩書ではなく、名もない人間の方が偉大な場合もあると、そんな風刺の効いたお話。当時威張っていた軍部への痛烈な批判を込めた作品です。他に最初に掲げた写真の『自来也』(1925年、日活大将軍撮影所。池田富保監督)も木下さんのご希望でご覧いただきました。多重露光で4人の自来也が登場する「目玉の松ちゃん」こと、尾上松之助の作品です。

木下さんは『金剛の塔』執筆中で、日本最古の四天王寺を建設したのが金剛組ということから、1932年に撮影された16㎜プライベート記録『大阪名所』に写っていた四天王寺の映像をご覧いただきました。そこに五重塔が写っていますが、戦争で焼失していることから貴重な映像です。金剛組は1400年前にできた宮大工の組織で、ギネスブックにも載る世界最古の会社と言われているそうです(現在は高松建設の傘下)。執筆の動機は、五重塔から独立している芯柱が、地震で倒れていないことへの「なぜか?」という関心からだそうです。その芯柱は、丸の内ビルディング、スカイツリーにも継承されていて、大昔の技法が現在も引き継がれていることが凄いなぁと思いながら聞き入りました。

続いて『新選組隊長近藤勇』(1928年、阪妻プロ松竹。犬塚稔監督、阪東妻三郎主演)。日本の映画は歌舞伎から始まっていますので、モノクロの時代の主役は白く顔を塗り、他の人は塗らなかったのですが、リアリズムを追及したこの作品では、阪妻は顔を黒く塗っています。

7月に歌舞伎の場面の血みどろ絵を描いた「絵金」の本を出版予定の木下さんは、「予習にしたい」と『切られ与三』(1928年、松竹下加茂。小石一監督、林長二郎主演)を希望され、それを見ながら、最新発刊の『秀吉の活』の話に及びました。婚活、就活、妊活など失敗ばかりしているけれどくじけずに頑張って天下を取る秀吉のあり方を、現代とリンクしながら描いた作品。「勝ち負けだけが全ての価値ではない。これからもヒーローじゃなく、負けたけれども誇り高い人物を恰好良く書けたらと思っている」と話してトークコーナーを終えました。

27018707_1430714133718341_1185546409_o - コピーこの後は、花團治さんの落語『佐々木裁き』を熱演。名奉行佐々木信濃守が繰り出す難問奇問に、「四郎吉」という子どもが頓智で答え、居並ぶ役人たちを唸らせるという面白いお話でした。

DSC03835 (3) - コピー毎度お決まりの集合写真。

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この後は列を成して木下さんのサイン会。『宇喜多の捨て嫁』『敵の名は、宮本武蔵』で直木賞候補になった木下さん、「皆さんが応援してくだされば、きっと‼」と挨拶され、応援団になった人もたくさんおられたことでしょう。もちろん私も。皆さん、「あー楽しかった‼」とおっしゃりながら家路につかれました。花團治さん、木下さん、そして寒い中お集まりくださった皆さまに心から御礼申し上げます。

次回は3月(金)19時、狂言師・舞台俳優の金久寛章さんをゲストに「動きと間が語るもの」をお送りします。こちらも、どうぞお楽しみに‼

【おまけ】

当日初めて参加して下さった平井道夫さんは、天狗が履くような一本歯の下駄を履いておられました。それが珍しくてお声がけ。

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ワァワァはしゃいでいる私に反応して、着付けを教えてくださった日浦さんが、早速一本歯下駄を試し、

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それにつられて木下さんのファンの奥西さんも試し履き。

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そして、私も。鼻緒がスカートの色にマッチして、自分では中々イケてると思うのですが、如何でしょう?こうした楽しみの場が持てるのも良いものです。日浦さんは、映画に登場する女性たちの襟の手ぬぐいが気になり、奥西さんは、同じく登場する人物たちの家紋が気になると言って、それぞれの興味によって同じ作品を見ても目の付け所が異なるのが楽しかったです。

 

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