おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2019.02.01column

1月7日に掲載した映像「諏訪大社御柱祭」の撮影日が特定できました!撮影者の「YASUHIRO KANEKI」をご存知ありませんか?

シーケンス 02.Still073

諏訪1

シーケンス-02.Still0751月7日に掲載した動画から抜き撮りしたこの写真、3枚目は公開した後で、幾人もの助言をくださる人がおられて、もう一度見直した時に気付いて撮ったもの。「諏訪大社式年御柱祭 山出し四月一二日 里曳五月五六日 茅野町」と読めます。

これは16㎜フィルムのカラー映像(11分54秒)の上映用ポジ・フィルムですが、音はありません。

チャート

カネキ映像最初のチャート(上)と映像最後に「YASUHIRO KANEKI」と名前が載っていますが、この撮影者についての情報が全くなく、今度はこの方をご存知の人がおられましたら、ぜひお教えください。

現在当館では、「国産アニメ誕生102年 パイオニアの一人 北山清太郎関連資料ミニ展示」を開催中ですが、北山と一緒に字幕スーパーの仕事をしていた娘婿の嶺田四郎宅に残っていた2本のフィルムのうちの1本がこの映像でした。因みにもう1本も16㎜のカラー映像「昇仙峡」(7分45秒)で、「御柱祭」がスタンダードなのに対し、風光明媚な観光名所として知られる「昇仙峡」はシネマスコープ。こちらも音はありませんが、撮影が昭和35(1960)年11月8日と日付が載っています。16㎜でシネマスコープというのは、アマチュアでは簡単には作れません。

先ずは「御柱祭」の撮影年月日などの情報が得られないかと、いくつかあたって、諏訪市博物館に辿り着きました。同館の中島透学芸員さん宛てにテレシネしてDVDに焼いたものをお送りましたところ、一昨日中島さんからお手紙が届きました。映像をご覧になって、当時の新聞記事や各種記録などを参照して下さった結果、撮影されたのは、昭和31(1956)年5月5日だと特定されました。諏訪大社は上社と下社があり、寅と申の年に両社とも御柱祭を行っていますが、この映像は上社の映像で、4月に八ケ岳のふもとの山から大木を曳いて里に下す「山出し」に続いて、5月に下した大木を諏訪大社の境内に建てる「里曳き」のものだそうです。撮影場所は主に茅野駅周辺と諏訪大社上宮本宮~前宮間の街道とのこと。

中島学芸員さんは、細かく映像を見て下さり、そこからわかることを丁寧に書いてお教えくださいました。伝統行事を見て歩くのが好きな私は、少子化や高齢化、そしてサラリーマンが多くなった今日、伝統行事を継続されるのに苦心されている話をたくさん聞いて来ました。ですから、この半世紀以上前の映像に今は見られない出し物なども映っているのではないかと思ってお尋ねしたのですが、「御柱祭はその時その時でさまざまな要素が加えられたりして毎回祭が違うと言われるのですが、今回の映像に含まれる部分については、今とさほど変わりがないように見え、意外に感じた面もあります。従いまして、今と同じようなことが昭和31年に行われていたということがわかるという意味で貴重なものと言えそうです。一つだけ大きな違いは、御柱の『メデトコ』が現在より非常に短いということで、これは既に写真などで指摘されてきたことではありますが、今回の映像でもそれが確認できたということになります」と教えてくださいました。祭そのものについては「(敗戦直後の)昭和25年の時は、もう少し違っていたかもしれませんが、昭和31年は、賑やかになり始めた時期。それが今とさほど変わっていないことが意外でした」とおっしゃっていました。戦前については残っていないのでわからないそうです。

2月10日は、参加者の皆さんと、上掲のことの他にもわかったことなど中島さんから得た情報を共有しながら、16㎜フィルムを上映します。63年前の祭の様子を記録した鮮明なカラー映像は「御柱に関する貴重な歴史資料であると考えられ、写っている人の中にはご健在の方や心当たりのある方がおられるかもしれませんので、地元の人に紹介する機会が作れたらと思っています」と中島さん。その機会の実現を楽しみにしています。こうしたご縁をいただいたので、3年後の「諏訪大社御柱祭」は自分の目で見に行きたいなぁと今から夢見ています。

それにしても、半世紀以上前の映像にしてはあまりにも鮮明で、フィルムの状態も大変良いです。ひょっとしたらオリジナルを後に16㎜にプリントしたのかもしれません。コダックのフィルムには、エッジにマークが付いていて、+●の表記は1934年、1954年、1974年の製造だと言うことです。20年単位でマークが示されていて、1990年以降はバーコードになり、表記から、1954年か1974年のフィルムということになります。日本でのカラー映画長編は富士フイルムの『カルメン故郷に帰る』(1951年、松竹)が最初だと言われていますので、カラーフィルムが広がり始めた頃のもの。1970年代のものにしても一切退色していなくて美しいです。劣化したフィルムばかりを見てきた私どもには、とても不思議な印象を受けます。この2作品が撮影された目的や嶺田四郎宅に残っていたことなど、現状では何もわかっていないので、益々興味深く思います。

【2日付け追記】

ネットで「YASUHIRO KANEKI」について情報提供を呼びかけたところ、早速知り会いの小型映画研究者、飯田定信さんより連絡がありました。1976年度版『アマチュア映画年鑑』557頁に「金木保啓」が載っているとのこと。飯田さんにその掲載部分のコピーを送って貰ったところ「住所:東京都世田谷区、職業:スーパーインポーズ・㈱日本シネアーツ社、所属:日本小型映画協会」とあります。

㈱日本シネアーツ社は、1951(昭和26)年6月に北山清太郎の娘婿、嶺田四郎が東京の神田に映画フィルムの字幕製作を業として設立した会社で、現在も新宿区市谷にあります。その会社で働いていたアマチュアカメラマンの金木保啓が撮影した作品の一つが、この「諏訪大社御柱祭」であり「昇仙峡」だったことがわかりました。アマチュア映画の括りで載っていることから、当初から16㎜フィルムで撮影されたものだろうと推測します。アマチュアだったからこそ、撮影のためのフォーカスチャートとフレームチャートをしっかり残して、丁寧に作られたと言えるのかもしれません。

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