おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2019.12.26column

12月25日付け朝日新聞京都版に「戦争プロパガンダ展」が大きく掲載‼

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カラーで大きく載せて下さるタイミングをはかっておられたそうで、取材して下さってから少し時間が経ちましたが、新聞を読まれた方々が、朝から次々お越し下さり、昨日、今日と大いに賑わいました。新聞の影響力は大きいですね‼

向井記者さんが河田さんの思いを丁寧に綴って下さり、それが読者の方にも直球で伝わったようで、みなさん熱心にご覧いただきました。河田さんも連日丁寧に説明をしてくださり、好感を持って耳を傾けてくださっています。

昨日は「戦争プロパガンダの紙芝居」を持っているという人、今日はポスターに関心を持って30年ほど前から集めているという人も。そのコレクションの中には、折り紙の兜を被り、銃を構えた幼児が描かれているポスターもあるそうです。記事には「戦闘機の模型で遊ぶこどもたち」のキャプションが付されたポスターの写真が掲載されていますが、銃を構えた幼児も時代を反映していますね。ミルクのポスターなのだそうです。河田さんに「国だけでなく民間企業もプロパガンダのポスターを作っていたのだから、そういうのもあっても良かったですね」と申したら、「1枚持っていますが、現存している会社の企業イメージにも関わることだから」と見合わせたそうです。

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 これは、ポスターではありませんが、私のコレクションから。幼児が飛行機を手にしている人形は珍しいと思います。手前の人形は12月8日の「映像を通して平和を考える」のチラシにも掲載しました。子ども用ご飯茶碗や着物にも、勇ましい戦車などの絵が描かれています。身の回りには、戦意高揚を目的としたモノがたくさんあったことを示す一例です。

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これは人気漫画「のらくろ」シリーズのレコード。児童劇「のらくろ小隊長」の一部分から引用すると、「何!よくも…よし、そんなら其の地雷火、此ののらくろが火のついたままくはへて行って貴様達の大将の居る所へなげつけてやる」と勇ましい。子ども達は、これを聴きながら自分がのらくろになったかのように感じて、息巻いていたのでしょう。

21日は、珍しい戦前戦後のSPレコードを集めているという男性が来館され、ご持参の北原白秋や高村光太郎が作詞した曲のレコードをこの蓄音機で聴きました。事前に打診があり、教えて貰ったYouTubeにupされているのを聴いて吃驚仰天しましたが、「当時の恐ろしい空気」実演は、改めて「二度とこのような歌が聴かれることのない世の中にしなければ」と思わせてくれました。

24日の京都新聞「梵語」書き出しは、戦死者約3万人を出し太平洋戦争で最も無謀といわれたインパール作戦についてでした。イギリス領だったインド北東部の2000メートル級の山系を徒歩で越える強行軍で、食料や兵器の補給を軽視し、「果敢な突進こそ戦勝の近道」と決行したあげくの惨憺たる大失敗でした。21日に聴かせて貰ったうちの1曲は高村光太郎作詞、飯田信夫作曲、徳山璉(たまき)唄の「歩くうた」。重く、暗い唄です。

(1番)歩け歩け 歩け歩け     (3番)歩け歩け 歩け歩け

      南へ北へ 歩け歩け        身をやく日照り 歩け歩け

         東へ西へ 歩け歩け        塩吹く背中 歩け歩け

            路ある道も 歩け歩け       身を切る吹雪 歩け歩け

            路なき道も 歩け歩け       凍てつく目鼻 歩け歩け

「梵語」を読みながら、この曲が頭の中を行ったり来たりしました。

昨日お話を聞いた男性は、1935年に満州国間島省で出生。お父様は東満州の竜井で商いをされていました。小学4年の1945年6月19日、お母様と小さい弟さんと一緒に日本に一時帰国していたときに、福岡の第1回空襲に遭遇。「ヒュー」という音がする爆弾、大きな音がする爆弾におびえたそうです。その後、博多から夜船で釜山に向けて出航し、釜山から満州に向けて汽車で移動中、ソ連兵が攻めてきたので足止めに。8月12日お母様の機転で京城へ戻り、そこで8月15天皇の玉音放送を聞いたそうです。でも良く聞き取れなかったとか。翌16日、街に「ソ連軍入城万歳」の旗がひらめくのを見て、釜山へ戻り、その足で桟橋へ向かい、博多に行く船に無事乗ることができたそうです。お母様の機転で何度も危機を乗り越え、「女性は強い」と思ったとか。東満州には、満蒙開拓団の村があったと聞いていて、敗戦後残留孤児が出たとも聞いているそうです。

戦後37年経った1982年を最初に、これまで8回満州を訪問されているそうです。短期間のつもりで勉強机の上に小学4年生の教科書を置いたまま日本に一時帰国されてから、初めて訪ねた故郷。人ごととは思えども、想像するだけで胸がキュッとなりますね。こうした思い出を日付も鮮明に覚えておられることに驚きました。人生に起こった大きな出来事というのは、強く深く脳裏に刻まれるものなのだと思いました。そして思うのは、戦場で修羅場を経験した人たちの決して忘れることができない辛い思い出のことです。父は一度も戦争に行ったときの話をしませんでした。それほど深い傷を心に負ったのだと、今頃にして思います。

幸いにして、平成の時代は戦争が起こりませんでした。平和憲法のおかげです。そして、令和の時代もまた、戦争に巻き込まれることがないよう、「どうやったら戦争を本当に防げるのかを考えるきっかけに」なるよう、残り二日となりましたが、見に来て、一緒に考えて貰えたらと願っています。

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