おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2020.05.18column

開館5周年の誕生日

今日5月18日は開館5周年の誕生日でした。皆様のおかげでどうにか5年の歳月を活動し続ける事ができました。検察庁法改悪案の動きが気になって仕方がない日々が続き、コロナ禍で休業していたこともあって、この動きへの関心が「誕生日」を上回る日々でした。廃案になったわけではありませんから油断大敵ですが、先ずは民意が反映されて良かったです。

さて、と落ちついて京都新聞を広げたところ、お世話になっている中島貞夫監督の足跡をたどる連載第1回目が目に飛び込んできました。

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16回も続くのだそうです。新聞を読む楽しみが一つ増えました。ご自宅には、以前プレゼントしたおもちゃ映写機があり、中島先生の取材の時によく写り込むのですが、今回の写真には残念ながら。ともあれ、とてもお世話になっている先生の映画人生60年、次回が待ち遠しいです。

誕生日、中島先生ときて、ふと5年前の5月17日に内覧会をした日のことを思い出し、ブログでその時のことを見てみようと遡ったのですが、残念ながら綴っていませんでした。当時はまだ内装工事が完了していないバタバタの状態で全く余裕がなく、それどころではなかったのでしょう。京都新聞の記者さんが5月18日付け1面コラム「凡語」で開館の記事を用意して下さっているのに、未完成な状態を心配して「間に合いますか?」と尋ねてくださり、見るに見かねて不足するモニター用部品を買いに走って下さったことも、今となれば懐かしい想い出です。

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開館したときの外観。今は西隣がワンルームマンションになっていますが、当初は3軒の町家が並んでいました。手前の黒っぽく写る葦簀が下がった家は、建築専門学校を出た若夫婦が仲間達と改装し、その様子が毎日放送の番組「住人十色」にも登場した面白い家でした。

斜めのバス通り「後院通」から路地を少し東に入るのですが、その道の角度が微妙で、しかも付近に目印になるお店もないことから、多くの人が迷子になってグルグル。その殆どが京都市内の人でした。土地勘があるだけに「あの辺だろう」と思って来て下さるのですが、ところがどっこい。東京や海外の人は迷わず来て下さるのに。今は、マンションのオーナーさんの配慮もあって、「後院通」から見えるようになり、通りすがりに「何だろう?」と覗いて下さる人が増えました。迷子も殆どなくなりました。ありがたいことです。

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20の個人・団体から綺麗なお花を頂きました。お祝い金やお酒の贈物も頂戴し、当時の山田啓二京都府知事から祝電もいただきました。

皆様、その節は誠にありがとうございました。お陰様で今日の日を迎えることができました。

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応援メッセージの数々です。受け取った順にご紹介しました。たくさんの方から温かいお言葉を頂戴しました。ありがとうございました‼

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まだ二階へ行く梯子が残っていますね。当初の階段はとっても狭くて急で、怖くて、怖くて。

内覧会の最初に、中島貞夫監督からお言葉を頂戴しました。

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乾杯の発声も先生にお願いしました。遠方からお越し頂いた方もあり、たくさんの皆様にお祝いをしていただきました。

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連れ合いの「少しでも無声映画を救出して、次世代に残したい。ただ残すだけでなく、活用して世の中の役に立てたい」という強い思いで立ち上げました。開館1ヵ月半前の4月1日に突発性難聴になり左耳を失聴し、昨年は心臓のカテーテル手術をして障害者手帳を貰いました。今年3月に大阪芸術大学を定年退職し、と老いは確実に身近に。今はコロナ禍で大変ですが、もう少し二人で頑張ろうと思っています。

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新型コロナウィルスとの戦いは今後も続きでしょうし、それによる大きなダメージを受けた経済の回復も簡単にはいかないでしょう。けれども、希望を持ちながら前を向いて歩いて行かねばなりません。引き続き皆様の応援を賜りますよう、心よりお願いを申し上げます。

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