おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2020.08.16column

新聞に催しの案内記事2つ掲載

2020年8月16日読売新聞

今朝の新聞2紙に、当館の催しを紹介して頂きました。

一つは、開催中の資料展「『満州国』って、知っていますか?」を紹介してくださった読売新聞の京都版。早速お読み頂いた方から、23日参加したいと電話を頂戴しました。昨年12月に「戦争プロパガンダ展」をしたときに、見学に来て下さった方々とお話をしていると、「小さいときに満州から引き揚げてきた」という体験をお持ちの方が少なからずおられると実感しました。

昨年春、たまたま入手した16ミリフィルムが、1939年頃に撮影された満州移民を促すためのプロパガンダ映画だとみられること、友人から寄贈を受けたパテ・ベビーフィルム(9.5ミリ)も1930(昭和5)年、1931年に満州大連などを撮影したものだったことから、終戦75年の今年、これらの映像も随時見て貰いながら「満州」について、知って貰う入門編になればと、小さな資料展を思い立ちました。

年表を見ていましたら、1929年に始まった世界恐慌により、1930年には不況で大量失業の時代になり、都市の人々は苦悩し、農業の不況もいよいよ深まり、恐慌の嵐に。そして、1931年に満州事変が勃発。そういった時代であるにもかかわらず、この「満州旅行」『満州牧場』『平和な村』『楽しき夏の一日 大連・星ヶ浦』等と題した記録映像は、そのどれもが、とてものどかで、穏やかです。

満州事変後、国は本格的に国策移民を展開し、1936(昭和11)年には20カ年100万戸移民計画が発表され、大量の満州移民送出がなされます。展示では東京都日野市にあった東京府拓務訓練所の資料を展示しています。不況で仕事を失った人々は、大陸での成功を夢見て、こうした日本各地に設けられた訓練所で、慣れない農業や軍事の訓練を受け、大陸での過ごし方などを学び、大陸に渡っていきました。

しかし、日中戦争の本格化により、兵隊や工場へ成人男性が動員されるようになると、移民団が組織できなくなり、旧大日向村のように、村をあげての移民や、数え年16~19歳の少年達からなる満蒙開拓青少年義勇軍が移民の主力となっていきました。満蒙開拓青少年義勇軍の訓練所があった茨城県水戸市内原の内原郷土史義勇軍資料館から、貴重な写真集もお借りしましたので、手にとってご覧いただけます。

農業と軍事の訓練を受けた開拓団は、実は、対ソ防衛、関東軍の兵站(へいたん)の役割も兼ねていたことから、ソ連との国境地帯や鉄道沿線の要所に配置されました。戦争末期、男達は根こそぎ動員され、開拓団に残っていたのは女性、子ども、年寄りだけ。1945年8月9日、ソ連軍が日ソ中立条約を破り、国境を越えて侵攻してきます。卑怯な関東軍はその前に鉄道などを破壊して、撤退していました。「棄民」。残された人々の過酷な逃避行が始まり、大勢の人が犠牲になりました。命を守るために残留孤児になった人々もいます。23日の茶話会には、その体験者の方から、貴重なお話をお聞きします。

読売新聞の記事の隣には、「語り継ぐその先に 戦後75年」連載4として、児童文学作家あまんきみこさんの話が大きく載っています。14歳まで満州で生まれ育ち、1947年大阪に引き揚げてこられました。自身が体験した戦争の脅威を「あるひ あるとき」という絵本にして6月に発行されたばかりです。

これを書いている途中にも、新聞を読まれた方から何人も問い合わせの電話を受けました。「満州国」に関心を寄せて下さる人が多いのだなぁと実感。せっかくの資料ですから、お一人でも多くの方にご覧頂きたいです。

 森 英男さんの「ゆうじの夏」

もう一つは、京都新聞情報案内欄「まちかど」に載った学生映画上映のお知らせ。19日(水)~23日(日)まで上映する森 英男監督『ゆうじの夏』で、1982年大阪芸術大学映像計画学科・学科賞受賞作です。

…大阪の田舎に暮らす10歳の男の子「ゆうじ」は、大人達が忙しくしているので、いつも一人で遊んでいます。あるとき、墓で不思議な男を見ます。「お供えのお饅頭を食べている!…

森 英男 監督には、2018年10月20~21日に登壇して頂き、ドキュメンタリー映画『子どもに本を 石井桃子の挑戦』3部作をトーク付きイベントとして上映しました。その時のことは、こちらに書いています。

連日の猛暑と拡大する一方のコロナ禍で、お出かけにくい状況ではありますが、ご都合よければぜひお越し下さい。

 

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