2016.01.11column
「新野敏也のレーザーポイント映画教室~ギャグで綴る映画史・コメディー演出と技術のドタバタ年代記」から
1月8日、創立40周年の喜劇映画研究会会長・新野敏也さんを東京からお招きして、「新野敏也のレーザーポイント映画教室~ギャグで綴る映画史・コメディー演出と技術のドタバタ年代記」を開催しました。ミュージアムの場所がわかりにくくて迷った挙句、偶然目にした銭湯でひと風呂浴びて帰った人、家族がぎっくり腰になり参加を断念した人、風邪をひいた人などで欠席者も相次ぎましたが、元気で「新春の初笑い」を求める人々が、ミュージアムに集ってくださいました。
初めて経験する京町家での冬。先日北海道から来館された方にお聞きしたところ「京都の方が寒い」とのこと。仙台からいらした方も「寒さの種類が違う」と京都の寒さに軍配を上げられました。「アハハ」と腹をゆすって笑って熱を生み出すのも良しですが、万一風邪をひかれてもいけないし、ということで急遽貼るカイロを用意。参加費と引き換えに1枚ずつお渡しして、寒さに耐えていただきました。
京都国際映画祭2015で、レーザーポインターをグルグル回してスクリーンを指し示しながら、喜劇映画を解説する新野さんがとっても面白かったので、是非にとお願いしてこの日の開催が実現しました。参加いただいたみなさんから「楽しかった!」「勉強になった!」と満足いただいたコメントがたくさん寄せられ、企画した甲斐がありました。お忙しい中を来てくださった皆様に心から御礼申し上げます。
欧米の喜劇映画をたくさんコレクションされている中から、今回選んでいただきましたのは、以下のような作品群。
・ トマス・A・エジソン「中国人の洗濯屋」1894年
・ リュミエール兄弟「列車の到着」「水をかけられた庭師」1895年
・ ジョルジュ・メリエス「魔術師」1898年
・ ジョルジュ・アト「磁石警察」1902年
・ ジャン・デュラン「スポーツマンたち」1902年
・ フェルディナン・ゼッカ「奇怪な泥棒」(日本未公開)1909年
・ マックス・ランデ―ル「ライオンと制服将軍」(1922年)
・ ロスコー・アーバックル主演「デブの料理番」(1916年)
・ チャーリー・チャップリン主演「ベニスにおけるベビーカー競争」(1904年)
・ ロスコー・アーバックル監督主演、バスター・キートン助演「デブ君の女装」(1917年)
・ ハロルド・ロイド主演「爆裂映画館」(日本未公開)1916年
・ 喜劇映画研究会編「特選ギャグ集 1」2011年
・ ハル・ローチ「専売特許」1923年
・ 喜劇映画研究会編「マルクス音楽論」2005年
一般的なスクリーン上映から始まる映画史に対し、おもちゃ映画ミュージアムでは、映画誕生の3要因と言われている写真、光学玩具、マジック・ランタンを「プレシ・ネマ(映画前史)」と位置づけ、それらの歴史的展示と、一般家庭で楽しんだおもちゃ映写機とおもちゃ映画に焦点をあてた展示をしています。そういったミュージアムのコンセプトに配慮して、新野さんは、最初期のパイオニア、クリエイターたちを集結させた「ギャグの歴史と発展」という視点で上映作品を選んでくださいました。
昨年は映画誕生から120年の節目の年でした。1895年12月28日にフランスのパリで、リュミエール兄弟がミシンの機械を参考に発明したシネマトグラフで初の商業公開を行いました。今回の映画教室では、それより1年早い1894年に作られた発明王・エジソンの映画が見られたのは素晴らしい。リュミエール兄弟は、公開するためのポスターも作っていてそうした資料も見せていただきました。兄弟が作った「列車の到着」(1895年)は、映画を初めて見た人々が驚いて逃げだしたというエピソードとともに有名ですが、映画で列車から降りてきたのは兄弟の家族だったそうです。初めからエンターテイメントとして作られていたのですね。リュミエールの公開上映では、いろんな人が一堂に会して鑑賞したことから、大衆娯楽の始まりとされているそうです。この時代は、一番いい場所から固定カメラで撮っているので、何処の席で見てもよく見えることが、大衆娯楽のゆえんだと新野さん。
こんな調子で、映画草創期の話からわかりやすく、おもしろく解説していただきながら、貴重な映像を見せていただきました。眼鏡をかける前のハロルド・ロイドの映画もありました。京都国際映画祭でロスコー・“ファッティ”・アーバックルと彼の弟子で世界三大喜劇王の一人、バスター・キートンの体を張った喜劇に目を見張りましたが、1発勝負でできる人は19世紀からコメディアンだったそうです。この日も、彼らの映画を見ながら、凄い集中力と身のこなしだと唸るばかり。良い作品をたくさん見せていただき、とても勉強になりました。そして、いっぱい笑わせてもらい、楽しかったです!!!
参加できなかった方も、どこかでこうした喜劇映画が上映される機会があれば、ぜひ足を運ばれることをお勧めします。
この日集まってくださった方の顔ぶれは多才で、上映後の交流会で話に花が咲き、それぞれのネットワークが広がる有意義な場になりました。ミュージアムにとっても、今後の活動でコラボしていけたら面白いことがもっともっとできそうです。東京の人からこの日のイベントのことを伝え聞いたと、府内から駆け付けてくださった年配の男性は、映画監督・脚本家の勝見正義さん(1903-1961年)の四男さんでした。勝見正義さんの一番上のお兄さんが勝見庸太郎さん(1893-1962年)で、俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサーとして活躍された方。身内にそういう方がおられたので、日本の古い映画を見るのが好きだと教えてくださいました。勝見さんと話ながら、今のうちに、昔のことを記憶しておられる方と出会って、聞き書きすることも急がねばならないとも思った一日でした。
トレードマークの革ジャンを着た「歩くサイレント喜劇映画辞典」の新野さん(前列向かって右から2番目)。今頃は神戸映画資料館の「新春コメディ宝箱」でパワーポインターを手に張り切っておられることでしょう。1月8日から続く新野さんの大活躍で、関西にサイレント喜劇映画ファンが確実に増えています!ミュージアムでも続編を開催したいと、もう夢見ています。その時は、皆さま、ぜひ足をお運びください。