おもちゃ映画ミュージアム
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Toy Film Museum

2022.08.26column

9月3日に上映する『戀の花咲く 伊豆の踊子』の主演田中絹代と五所平之助監督の思い出話の音源から

いよいよ9月3日の講演と上映会が近づいてきました。

京都新聞の催し案内欄にも載せて頂きました。ありがたいことです。更にありがたかったのは、川端康成の生まれ故郷である茨木市にある市立川端康成文学館の高橋館長様がお越しいただけるほか、館長様自らのご提案で、今月28日に開催される連続講座「昭和の文豪たち〈戦後編〉」の第1回講座を受講される45名様に、上掲チラシを配ってご案内いただけることになりました。こうしたご協力を頂けることを本当に嬉しく思います。

本日、国立映画アーカイブから『戀の花咲く 伊豆の踊子』のブルーレイディスクが届きましたので、早速点検を兼ねて拝見しました。事前に、親交がある北海道の松山さんからLP版『音による日本映画史 なつかしの無声映画』所収の、田中絹代と五所平之助監督が『戀の花咲く 伊豆の踊子』の思い出を語っておられる音源を送っていただき聞かせて貰っていましたので、なお一層興味深く観ました。

残念ながらLPレコードにはいつ対談の録音をしたのかが明記されていないようです。田中絹代さんは、『伊豆の踊子』が川端の出世作であると同時に、自身にとっても女優として確定的なものとなり、谷崎潤一郎の『春琴抄』と併せて、「お嫁にも行かず女優の道を突進することになった」作品だと話しておられます。「サイレント映画の難しさがあり、言葉ではなく、無言で表現することが、伊豆の踊子には全巻としてあった。『セリフを言う以上にパントマイムで表現しろ』ということを、特に五所監督は要求された。大変厳しさが求められた。そういうひとつの修行、訓練、厳しさから入ったように思う。ただスターにするとかというのではなく、そういうことを心から学んだ。陰で泣いたことはありますけどね、現場では許されませんしね」と思い出を語っておられます。無声映画を経験した監督の作品は、セリフや説明に頼らず、仕草や所作、表情などのカットを丁寧に積み重ねることで、何気ない別れのシーンでも、ドラマを盛り上げて深い感動を与えてくれます。

今の人気俳優ばかりに依存した映画製作とはちょっと違うなぁと見ていて思います。これでもか、これでもかと積み重ねた努力の上に根性が座っているとでも言いましょうか、そういう姿勢を田中絹代や先日拝見した『流星』の李香蘭改め山口淑子になった彼女の演技からも感じました。年齢を調べると伊豆の踊子を演じた田中絹代は23歳。恥じらいのしぐさや天真爛漫さなどを初々しい魅力いっぱいに演じています。

五所平之助監督は、田中絹代の演技で感心した場面として、下田の港での別れのシーンをあげておられます。当時は汽船をチャーターできる時代ではなく、一回で撮らなければならず、カメラは1台。突堤の良い場所にカメラを据えて撮影開始。大日向傳が演じる学生が乗った遠のく汽船を追って田中絹代が走っていたら、突然、船から張ってあった鉄線に足が引っかかってパタッと倒れてしまったのです。転倒した弾みで握っていたシャープペンシルが手に刺さって出血のハプニング。驚いた五所監督は「撮影やめて医者へ!」と言いますが、「これ、二度と撮れないのでしょう。やっちゃて」と田中絹代が言うので、カメラをずっと回し続けたのだそうです。

実はこの前の場面で、「思い出に欲しい」という学生の求めに応じて踊子は櫛を渡しますが、五所監督は「物でやらなきゃ」ということで、原作にはなかったのですが、学生が胸に付けていた当時流行のシャープペンシルを踊子の手に渡す演出をされました。小道具を上手に使って二人の思いを表現されたのですが、その演出が田中絹代の手に怪我を及ぼすことになったので、さぞかし監督も慌てられたことでしょう。

こうした思い出話をLPレコードで聞いていたこともあり、別れの場面を食い入るように見ました。周囲のハラハラを少しも感じさせない見事なラストシーンでした。監督は「実にいい顔だった」と田中の演技を評し、「そういう我慢強さ、俳優さんの根性、演技に対する執念が、田中絹代の場合は燃え続けていた」と語っておられます。

「小道具をなるべく使おうと考えてね」と五所監督が仰っているように、シャープペンシルもですが、明治ミルクキャラメルや明治ミルクチョコレートを使ったり、クラブ白粉の看板、「伊豆半島・大島新航路」のポスター等々とタイアップして宣伝して制作するのが上手。時代劇だとこの手は使えませんが、十分に宣伝効果も意識して演出しておられます。

西村小楽天はさすがに名調子でなめらかです。「あの踊子の若い方、田中絹代の若い頃にそっくりだ」には観客がドッと笑う声が収録されています。映画公開は1933年ですが、小楽天の活弁付きで上映されたのは1974年のこと。その時は楽士が付いていなかったこともあり、「こういうラブシーンの場合は音楽が奏されます。我々弁士もその音楽に乗って喋ると大変やりやすい」と話して「ズンタタタン、ズンタタタン」と口拍子。観客の反応も収録されていて、生の活弁上映の臨場感が伝わります。

無声映画は本当は16コマ/秒再生なのですが、トーキー用に24コマ/秒で再生していますから、チョコマカ、チョコマカしている印象がありますが仕方ないですね。

2015年当館開館に際し、映画評論家佐藤忠男先生から頂いた「応援メッセージ」には、「むかし、親しくさせていただいた五所平之助監督がよく冗談に言っていました。『小津安二郎君がうらやましいよ。あまり当たらなかったからフィルムがきれいに残っている。僕や斎藤寅次郎君の作品はヒットしてフィルムが全国を回って引っ張り凧だったから、ボロボロになって、なくなってしまった』(略)」と書いてくださいましたが、本当に巧みな演出で、小楽天さんの名調子もあって惹き込まれました。

なお、5月に東京の国立映画アーカイブで初披露されたこの作品には、大勢のお客様が詰めかけてご覧になり、その評判は上々だったそうです。関西のお客様にもぜひご覧いただきたいです。貴重な機会です。皆様からのお申し込みを、心よりお待ちしております!!!!!

【追記】

2日に訪問した国立映画アーカイブの常設展から。展示資料で知ったのですが、五所監督の本名は“五所平右衛門”とクラシックな響き。素敵な方ですね。『戀の花咲く 伊豆の踊子』のクレジットでは、監督名を“平之助 ごしよ"と、恐らく自筆で書いてありました。

上掲キャプションには、サイレント映画の名作『村の花嫁』(1928年)やここで取り上げた『戀の花咲く 伊豆の踊子』などロケーションを活かした抒情的な作風で知られていると書いてあります。私が好きなのは、ここにも書かれている『煙突の見える場所』(1953年)ですね。

同じく展示されていた資料から。人形好きなので、どうしても目がいっちゃいます。遺作となった人形映画『明治はるあき』(1968年、73分)で、竹田劇団「竹田人形座」が人形遣いを担当し、人形すべてを竹田喜之助が製作しています。五所監督をモデルにしたこの人形を、ご自身はとても気に入っておられたそうです。

 

 

 

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