おもちゃ映画ミュージアム
おもちゃ映画ミュージアム
Toy Film Museum

2022.08.28column

9月10日のシベリア抑留をテーマにした講演と上映会は満席になりました‼

昨朝の京都新聞地域総合面に、開催中の「『シベリア抑留』って、知っていますか?」の紹介記事を載せて頂きました。新聞の効果は大きくて、読まれた方からの申し込みが相次ぎ、お陰様で定員に達しました。現在はキャンセル待ちの方が数名おられる状況です。会場が広ければもっとたくさんの方に参加していただけましたのに、誠に申し訳けございません。

さて、展示には、新聞記事にお名前が載っている「京都シベリア抑留死亡者遺族の会」を引き継いでおられる村田(旧姓亀井)洋子さんのおじいさまと同じように、大切な兄上をクラスノヤルスクで亡くされた“クラスノヤルスク遺族会”会長の村田みつ様手作り資料も加えています。20日、東京からみつさんのお孫さんの由佳子さんが来館。

クラスノヤルスク遺族会」では、コロナ禍で渡航できなかった昨年、一昨年はオンラインで、クラスノヤルスク駅からバスで10分ほど離れた丘陵地にあるニコライ墓地にお参りされました。由佳子さんから、みつさんが、つい最近パスポートの更新をされたとお聞きしました。90歳を超えても思いは彼の地へ飛んでいます。

日々新聞のスクラップを欠かさず、今回の展示でもそのうちの一枚と、クラスノヤルスク地方の収容所や墓地、埋葬された人数などを書き込んだ手作り地図を掲示しています。遺族会の活動などで忙しい毎日だそうですが、時間を見つけては戦争の話をしておられるのだとか。二度と愚かな戦争を繰り返すことがないようにと願う思いの強さを感じました。この度の展示をとても喜んで下さったそうです。

亡くなったお父様が、シベリアでのことを話されたのに「自分が若くて、あまり真剣に聞いていなかった」と後悔しながら見に来られた方もありました。どこに抑留されていたのかも今となってはわからないそうですが、地図を見ながら「チタ、チチハル、ウラジオストック、ナホトカ、ハルピンなどの地名は言っていた。3年前に亡くなるまで『ダモイ ダモイ』とよく言っていた。日本へ帰れるのだと思っていたら、そうではないことに途中で気が付いて、遠くの方を見て、『あれは731部隊やで』と皆で言っていた。見たくなくても死体の解剖も見た。毎日伐採のノルマがあったなどと言っていた。(展示している絵をご覧になって)この絵の通りのことを父は話していた。もっと聞いておけばよかった…」と話し、「改めて、ずいぶん苦労したんだなぁと父親に感謝の思いで一杯です」と感想を綴って下さいました。

ノルマ」という言葉はロシア語だったのですね。ネットで検索すると、個人や団体に対して国家や組織が強制的に割り当てた労働の目標量のことをさし、多くの場合は労働の成果だけでなく時間的な制限も付加されるとあります。今日、シベリア抑留について関心があって、ネットで調べて展示を見に来てくれた写真の男子中学生さん(宇治市)も、このことをご存じでした。彼が指さしている故・吉田勇さんが描かれた絵のキャプションには「ノルマを強制され切り倒した木材を、吹風の中を馬橇で運搬する。馬橇運搬係は比較的ラクに見えるが、伐採に従事する者と寸法通りの長さに切断する人たちは全くひどい労苦だったに違いない」とあります。

ノルマ」の言葉は、シベリア抑留から幸いにも帰国できた人々によって広まったようです。展示している吉田さんの絵19枚の中には「ノルマ」の単語が含まれたキャプションが5枚もあります。抑留経験者にとって厳しいノルマは何年経っても記憶から消そうと思っても消せないものだったことがわかります。「ノルマ」をこなせなければ、例えば「大豆、粟、コウリャン、ハト麦、エンバク粥が飯盒の蓋1杯と黒パンが一切れ」というただでさえ粗末な食事がさらに減らされるので、生き延びるために必死にならざるを得ませんが、塩分不足の為足が上がらなくなったり、厳しい寒さ、不十分な施設、飢え、重労働などの悪条件が重なって、抑留者60万人のうち、6万人の死亡者が出たといわれています。

亀井励さん著『シベリア抑留者と遺族は今』(1992年、かもがわ出版)から青木信夫さんの文章を引用すると…

「何人かの仲間と一緒に荷車を引いて郊外にゆくと、カチカチに凍りついた裸の山がいくつかありました。その山には50~60人の死人がたきぎののように積み上げられていました。埋めるには数が多すぎるうえ、凍土は掘れない。焼くには燃料がない。だから黒龍江に流すのだという。(略)黒龍江の氷の下に流された二百人余りの人たちの遺体はどんなになったでしょう。名前はもちろん、どこで、何の仕事をやっていた人やら一切わかりません。ゴルバチョフ氏来日の際に発表された死亡者名簿に記載されるはずはなく、日本側の記録にも見当たらない。一切が空であると考えざるを得ません。謹んで冥福を祈るばかりです。」(99頁)

別の中学生は「戦争が終わった後、海外にいた人がどうなったか、一部でも知ることができて良かったです」と感想を綴ってくれました。昨日は9月8日から1か月単独でウズベキスタンに行くという66歳の女性が来館。「10日の講演会には間に合わないから」と展示を見に来てくださいました。79名の日本兵のお墓が公営墓地にあるので行ってくるとのこと。掲示している地図は1946年当時なので現状が分かりにくかったので、急いで手持ちの世界地図帳を展示に加えて、それを見ながら「隣国のカザフスタンにも墓地があるそうだ」と教えて貰いました。「戦争は誰も勝者はいないと思うのですが、歴史から学ばず、同じ愚、過ちを繰り返している大国よ」と感想を綴られました。無事帰国されたら、お話をお聞きしたいものです。

この女性にもお教えしましたが、毎月第3土曜の20時から、今回の展示でお世話になった団体の一つ「シベリア抑留者支援・記録センター」有光さんによって、「シベリア抑留・Zoomでビデオを観る会」がオンラインで開催されていますURL: https://us02web.zoom.us/j/5982358528 (ミーティングID:5982358528) 。無料、予約不要(これは毎回同じです)。関心がおありの方は、ぜひ参加してみて下さい。

 

記事検索

最新記事

年別一覧

カテゴリー